56.私の眼をみはらせた5名
札幌地区のローバー諸君が「宗教についてのアンケート」をされたその結果を「ローバーリング」誌から転載された記事を読んで、私はローバー達のあいだに宗教というものが必要だという価値発見をされつつあることに敬意を表します。
このアンケートの②として「入信の動機」というのがあるが、その中に、「スカウティングを通じて」と答えたのが5名ある。
私はこの5名という数字に目を見はった! それはなぜか?
この5名こそ、True scouting(本当のスカウティング)をした人だと思うからであります。
このアンケートには「信仰する宗教がある」――と答えた者が52名ある。52名中26名は、先祖代々家に宗教があってそれによって入信し、4名は通学している学校がつながっている関係から入信し、2名は自分の身辺の出来事から発心し、あと11名は、はっきり記していないが入信したとある。いまいう5名は、そうした人々とちがいスカウティングを通じて入信したという点、私は、まことに、異色であると思うのであります。なお、このアンケートで、宗教をもたない者が20名ある。――ということは、きわめて残念です。
規約507の(2)によれば、ローバーに上進するには、「明確なる信仰を持っていること」と、なっているから、速やかに、しかるべき、導きに接するよう、申しあげたいのです。このことは、True scouting へわけいる道だからです。さて、私は、この5名のかたがたに申しのべたい。あなたがたのされる奉仕こそ、本当の奉仕だということ。
すなわち、信仰の発露からにじみ出た感謝の念が、奉仕となることであります。それで奉仕というものを、宗教からでなく、道徳の次元での美徳あつかいしたり、形だけで精神(信仰心)のともなわない奉仕をしつつある人々に、これがほんとうの奉仕だという、りっぱな、お手本を示していただきたいのです。それが本当の教育というものです。
宗教信仰をともなわない教育は真の教育ではない――という思想が、昨年後半頃、日本の教育界にやっと生まれたようです。(注――日本連合教育会刊行書による。)
ベーデン・パウエル卿は、60年の昔、すでに、青少年の教育にそれを説きました。それがスカウティングというものなのですね。――
(昭和43年12月7日 記)
55.よく考えてみよう
大正某年のある夜、あるRSの冬の集会に招かれた。夜もだんだんふける頃。「一日の終」の合唱で閉会となった途端、会衆は、誰いうとなしに、机上の密柑の皮や、菓子皿や、茶碗などをきれいに片づけ始めた。この何でもないたちふるまいは、ぼんやり立っていた私を驚かせた。むしろ驚いた私自身のぼんやりさに自分自身が驚いた。
昭和某年のある日、某大学RSの最初の集会に招かれた。今は、私の余り好まない「ちかい」の合誦(ちかいは個人個人のもので一生一度のものと思うが故に、私は、この方式を好まない)をもって閉会となった。
来賓は退場したがRSたちはまだ残って雑談を続けていた。机の上には、皿や、密柑の皮や、灰皿が雑然とそのまま放置されていた。誰一人として片づけようとしない。それはこの大学の学生食堂のボーイさんの仕事だ。と、いう限界が守られているかの如く。
私は次のように考える。
人工衛星に乗せられたライカいう名前の犬は、乗せられるまでに、条件反射の訓練を、何カ月かにわたって施されたのだと報ぜられた。条件反射とは、ソ連の生んだ世界最初の大脳生理学者、ノーベル賞受賞者の、パヴロフの立てた実験的学説である。彼は、犬を試験台として唾液分泌の条件反射の研究を始め、唾液分泌という作用は、ある与えられた刺激が大脳皮質部に届いて、そこの神経に働いて、その司令部が、ちょうど電話交換台のように唾液を出させる別の神経に命令を発することによって起こるという説である。
そのため、犬に食餌を与えるたびごとにベルを鳴らす。それを何十ペン何百ペンと繰り返して施すと、犬は、食欲とは関係なしに、ベルの音さえ聞けば、唾液を出すようになる。これを条件反射と名づけたのである。かようにして第2の天性というか、ひとつの習慣が作られる。
その習慣は、人間の場合は人格を形成する。ある程度の形成が出来たら、今度は、条件を与えなくても自分の自発活動、乃至は無意識に、条件を与えられた場合と同じような行動をとるようにまで発展して来る。こうなると無条件反射になる。ライカ犬は、どんな外界からの刺激が来ても順応出来、死なないように訓練されたというのだ。
ソ連はこのパヴロフの学説をスポーツ界に用いて、選手を養成しているという。100米などの短距離レースでは、走法などというものは、世界各国とも、もう研究され尽くされ、技術的には進歩の余地がないほど改善されてしまった今日、問題は、スタートの号音を耳にした瞬間、1秒の何百分の一か、何千分の一か知らないが、他の走者より一刻も早く、最初の脚筋を動かす運動神経の、始動を起こした者が勝者になる。問題は条件反射の敏速さにある。こう考えて、ソ連は全スポーツのトレーニングの核心をここに求めた。
そして、各種目に、メキメキと世界制覇をなしつつある、というのである。誠に、ソ連式唯物観の勝利だ。
集会が終わると反射的にすぐ机上を片づけるというのは、一種の条件反射と考えられはしないだろうか? それを何度も繰り返すと、しまいには、習性となる。「ひとのお世話はするように。そして、むくいを求めぬよう。」――と初代の総長、後藤新平先生のいわれた言葉(これは、スカウティングという言葉の解釈になる)を、本当に実践し、身につける方法の一つとして、条件反射による方法が考えられるように思われるが、どうだろうか?
「ちかい」と「おきて」の実行も、また、条件反射の繰り返しによって、身につくのではあるまいか?
ただ、問題はこれを自発的に行うか、それとも、強制的に他律的にやらされるか、にある。ある一つの型に、強圧的にはめこまされるための、条件反射実験の道具に供されたのでは、たまったものでない。
英国初期の立派なスカウトの一人故ローランド・フィリップスの著書「班長への手紙」第1集、第2集から発見した言葉の一つ二つを紹介しよう。
「『ちかい』『おきて』は、これを実行しなければ何にもなりません。実行するその第1歩は、技能章をとることです。」
「救急法が出来ない者は『おきて』第8の実行は出来ないのです。質素――貯金する(Save する)――も人命救助(Save)も、同じくSave することですから。」
「キャンプの炊事場で、不潔な手やきたない炊具で炊事する者は、『おきて』第10(日本では第11)に反する。と、いわれても、いたし方ありません。」以上は唯心的なのか唯物的なのかよくよく考えてみよう。
2月ともなればオリオン星座は凍った中天に、きれいに光る。B-P祭は、毎年、この光の下で迎えられる。
パヴロフがノーベル賞を獲ったのは1940年である。B-Pは条件反射の学説をスカウティング構成のためにとり入れたか、どうか、私は知らない。知らないから、知りたいのである。ただし、その時の受賞は条件反射のための受賞ではなく、その過程として(後世からみれば)の消化腺の生理学として世界最初の受賞であったので、私のこの想像的設問には多少の無理があることは自認する。
私が私に発する質問として――お前は、条件反射を人格造立のための、一方法として考えることは、可能であると思うているが、パヴロフの世界はどこまでも唯物論の世界であると、いうことを忘れてはならない。どちらかといえば、永年、唯心論的世界観の領域の中に、人間完成の成長過程を歩んできた東洋人、なかんづく我々日本人には、そこまで非情に割り切り得ないものがあると、いうことを、考えの一隅においてから、考えてみることにしてはどうだろう?
とにかく、よく考えてみるんだな。1957年英国での国際会議で、スプライ氏が重大な情報をもらした。それは、ソ連が最近BS運動を採用したという報道である。
ロシアは、1909年早くもB-Pを迎え、時の皇帝はB-P卿に会見して、この運動に熱意を示した国であるが、革命後、ピオニールと名づける赤色少年団に改編して、我々の仲間から脱退してしまった。共産圏諸国も、これにならって皆脱退して今日に到っている。
私は、ソ連は、あるいはスカウティング界の一角に唯物派を設定するのではなかろうか、と、想像する。恐らくそれは、スポーツ界に示したように、パヴロフの理論を基とした条件反射を方法としての展開ではあるまいかと、推測する。もし、これがスポーツ界で成功したような結果をもたらすとするならば、米国BSを上廻る一大BS国となるかも知れない。しかし、やり方によっては、犬のような人間が出来るかも知れない。
私の予見が、誤りでないとするならばモンキースカウトではなく、ドッグスカウトが出来ることになる。(何らかの意図の光栄のためのギセイに供される者。イヌザムライ)
故に我々は、分析を充分行って検討せねばならんし、よく考えてみなければならない。
イヌの年の作文だと思って読んで頂きたい。
(昭和33年1月1日 記)
54.跳び越えるべきもの
“Aids to Scoutmastership”(「隊長の手引き」)の巻末に、B-Pは「平和と善意の人類」という項目をあげ、その説明には一字一句も示さずして、1人のスカウトが帽子をとばしながら木柵を跳び越える絵でこれを現わしている。
その木柵は5本の横木があって、上から自己中心、民族的嫉視(しっし)、信教の相違、階級意識、不機嫌、という文字が書いてある。即ち、この5つの障害を跳び越えなければ平和と善意の人にはなれないぞ、という示唆である。
スカウターとして、跳び越えなければならない柵が、この外にもあると私は思う。それは、天狗、名誉欲、虚飾等々である。「実修所を修了したくらいで一人前の指導者になったなどと思うな」とよく注意される。しかし、その程度の初心者の天狗はまだ可愛らしい。稚気愛すべきでその「ほこり」が時には役に立つこともある。
ところが、実修所に10回も奉仕し、講師をつとめたり、所員になったり、副所長だ所長だ、中央、地方の役員、さては受章されたなどと、経歴がつき兵隊の位でいうと、少将や中将になったような気のするオエラ方の天狗振りは、これとは異なって誠に感心出来ない。それはどんなことによって表れるかというと、「うむ、そんなことは、もう、とうに知っている」ということによって代表される。
私は知っていることを知らぬふりをしなさい。と、いうているのではない。知っているということが、いかにその逆を意味するかに自ら驚くからいうのである。
知らなかったことを本当に知ったときの愉悦感、そして知らせて下さったものへの感謝、よろこび。
そういう、よろこびの連続がスカウティングだなァと、いうことを、私は今回の第1期日本ギルウェル実修所で感じた。
子供というものは、知ることを喜ぶものである。大人である私のスカ天狗の戒めとしたい。
(昭和32年6月12日 記)
53.ユーモアの功徳
およそリーダーシップをとる人に、大切なことは、ユーモアである。ユーモアを発散出来ないような者はリーダーとして失格ではなかろうか? またユーモアを解しない者は、スカウトとしても、一流のスカウトといえないのではなかろうか? そんなことを私は、永年考えて来た。
私が昔、大阪で高津中学の教員をしていた頃は、今の社会科が、地理、歴史とわかれており、歴は、1〜2年生が国史、3年生が東洋史、4年生と5年生の1学期が西洋史、5年生の後半が上級国史というふうになっていた。私のところでは、2年の3学期から東洋史にはいって、3年の2学期に西洋史にはいることにしていた。ところで、歴史の中でも東洋史というしろものは、教える先生も苦手であり、教わる生徒も面白くないとみえて、なかなか乗ってこない。
その理由の一つは、東洋史専攻の先生が極めてまれだったこと、即ち先生みづからが、わかっていないことにある。田舎の中学になると年寄りの漢文の先生が兼務するのが例で、話術や講談調でゴマかすか、漢詩をうなって人気をとるかして間に合わせていた。当時、国史の先生は大体右翼型、西洋史の先生は左翼型だったようだが、それが東洋史をも教えるとなると、いきおい帝国主義や軍国主義や赤印に傾いてしまう。
国史や西洋史のアタマでは、到底コナせないあるものが東洋史にはあるのだが、それが先生たちにも消化できないのだ。
それはそれとして、東洋史の始めの方に、戦国の七雄というのがある。七雄とは、今の中国の黄河の沿岸から、揚子江にかけて勢力を示した、沢山の小政府の中の七つの大勢力圏で、秦、楚、燕、斉、趙、魏、韓である。私はこれを暗記させる方法として、お経みたいな声を出して「シン、ソ、エン、セイ、チョウ、ギ、カーン」とやったら、生徒は面白がって口真似をし、みんながケッコウ暗記してしまった。
この要領で、南京に都した六つの朝廷、即ち六朝の名も「ゴ、トウシン、ソウ、サイ、チョウ、チーン」(呉、東晋、宋、斉、梁、陳)とたちどころに生徒は暗記できた。そしていわく「チーヤン先生は、オモロイやつやなあ」と来た。
大正14年7月、私の隊は、宮津線の由良川から宮津まで移動野営をやった。2泊3日の行程だった。今から考えると私も新米で初級の者も移動野営につれていったものだった。
災熱の路上に2人の初級(中学1年)は、リュックを背負ったまま、小休止5分間の短い時間、ヘタばって、グウグウ、イビキをかいて寝る有様。班長が「出発!」と号令をかけても中々起きない。当時32才の若い隊長の私は例の茶目ぶりを発揮して「デッパツ」と大声で叫んだものだ。すると寝ていたドビンもシャモジ(彼等のニックネームです)もスクスクと立ち上がって歩き出した。
出発――をデッパツといいかえただけで、みな爆笑して、元気をもり返したのである。これ、青少年独特の真理なりと一席ぶちたいところである。
叱らずして自発活動を誘い出すにはユーモアに限ると思った。私のような気むづかしい理論屋は、特に、この逆手(ぎゃくて)を必要とする人間なることを自覚している。
B-Pにしろ、ローランド・フィリップスにしろ、ユーモアにかけては人後に落ちない達人であった。これを欠くならば、青少年は、決してついて来ない。ユーモアはレクリエーション、即ち疲れをなおす再生薬である。ビタミンB1B2かCみたいなものらしい。
昭和の9年か10年、上加茂で年少部の実修所があるので入所した。すでに少年部の実修所の隊長役を数回つとめた奴が、実習生として入って来る。と、いうわけかどうか知らんが、私の班は直径30センチもある根っこを、三つも堀りかえさねばテントが張れないサイトを与えられた。平地の班は、ゆうゆうと夕食を食べているのに、わが班は、汗だくで土ほり中である。
「難行苦行はカブにはない筈やないか」と、一人がボヤイた。すると一年志願兵出身の高松少尉殿(現在、住吉大社宮司)が、「ナニをいう。スカウトに難行があるか!」と一発ボエンをくらわす有様。その時班長役の私の口から無意識に出たのが、「ウスクィ、ヴィ、ヴィ、ウスクワッ、ヴァ、ヴァ、ジーボン、アークックー」という南阿のイェールであった。
このトテツもないイエールによって、みんな、不思議な元気が出て、作業はどんどんはかどって、テントも張り、夕食もすみ、最初の夜の営火の時間に間に合い、しかも営火の演出に優勝したのには、班長の私もあ然とした。営火のだしものは、相談する時間もなかったので、「爆弾三勇士」をやった。長い棹を三人でもって燃えてる火の中に本当に飛び込んで、向こう側に、ひっくりかえって戦死するだけで、残りの三人は、そのとき、バーンと叫んで、バケツと箱をたたくだけ…。実に今でいう、ブッツケ本番ものだった。
私はこの時、もし、あのイエールがなかったら、この班は最後まで愚痴をくり返し、班精神なんて到底生まれなかったろうと思う。イエールの効果はユーモアを呼ぶからで、それが、イエールの持ち味であろう。ソングと違う点である。しかし、ソングでもユーモラスのものもあってよい。そう考えた私は、その種のものも若干作っている。
「おうMy班長」だの「スカ天狗の漫遊記」だの――。
「スカウトは、ユーモアに励む」というものを雑誌に書く気になったのも私のこうした自発活動のほとばしりによる。
(昭和34年5月12日 記)
52.指導者のタイプについて
私は、スカウターの中に、「教える」ことのうまい人、或いは、「種子を蒔くこと」のうまい人と、「育てること」のうまい人との二種の、カタ(型、タイプ)があるように思う。
「教える」ということも、教育現象の立派な一つの分野である。それは、「真理を正しく教え」「それに近ずき、それを追及する方向を示す」という業務をもつからである。オリエンテーションである。真理とは「在るべきところ」のことで、ザイン(sein)である。それを教えるのが「教」の本旨であって、この分野は、小学校から大学、さらに大学院を貫く教師の仕事である。
ただし、教師だけがするもので、教師以外の者はしてはならん、とはいわない。私は、あまり好きではないが、例のマスコミ(新聞、出版、放送、映画etc の共同攻勢)にしろ、これに参加して、いろいろな解説とか啓蒙をやっている。しかし、それだけでは「教育」の片面しか達せられないことを、よく知るべきである。
他の片面とは、「育」である。これは、ザインに向かってゾレン(sollen)する「行動」を意味する。和の用語でいえば、「在るべきところ(即ち、真理)に向かって、在らしめる(ゾレンする)こと」である。ベストを尽くす――マコトを尽くす――ということばはこれにあたる。
「在らしめる」――という表現に二つある。本人はイヤでもムリに在らしめる場合と、本人の自発活動によって「在らしめ」ようと、「自分」を発動するのを、第三者(親とか、先生とか、スカウターとか)が、これを助け、はげます意味での「在らしめ」方との二種の場合である。私は、アトの方の場合のことをいうているつもりである。
「育てる」とは、これをいう。私は、商品価値を増さんがために、本人が極力イヤがるのにかかわらず、針金でくくったり、まげたり、切ったりして、盆栽(ボンサイ)の松の木を育てるような、育て方は、断然とりたくない。
育てる――という仕事には、短気は最大の禁物である。気永くこれを見守らねばならぬ。本人の意思を尊重せねばならない。
またあまやかしてもいけない。本人の心になり、本人の気にならなければ、反撥を買う。よく本人の個性と個体(身体)を知らなければならない。本人の生活環境をよく観察せねばならない。本人の特技と、そのウィークポイント(弱い点)も知らなければならない――。
私は、日本の教育界を、大局からのぞき見て、「教」の面だけは一応、先進国に追いついたが、「育」の面は、残念ながら非常におくれているだけでなく、おくれていることに政治家も教育家も、文化人も、気づいていないと、思う。
この盲点に、一番深刻に気づき、そして、その分野に献身出来る人は、おそらく、スカウターであるにちがいあるまい――という所感を抱くのでこの一文を草した。
B-Pのやり方は、結局、「育」の一語につきるように思う。そして彼自ら、それを実践し、実践から教理を発見し、その教理に基づいて、道を立て、道心堅固、ついになしとげた。のだと思う。
(昭和34年2月16日 記)
51.万年隊長のことについて
さきに、万年隊長論を述べたのであるが、これは恐らく賛否両論がきっとあると思う。私としても、心意気として万年隊長に、一応賛成するがその逆の方向を考えないでもない。
その理由の第一は、指導者もまた人間であるから年をとる。隊長として可能なる最高年齢は何才位か? ということが、ここに問題になる。その判定は、隊長その人の健康、肉体的順応性、それに、教養と、自己錬成、家庭および勤務先の状況、などによって、各人各様であろうから、単に数字上の年令からは判定が出来ないであろう。
私は自分の経験から、大体40才が最高のように思う。将来、年少隊(カブスカウト)が出来れば、50才位まではカブの隊長が勤まるかも知れない。だから、万年隊長というものは、心意気としてあり得ても、現実にはむつかしいのである。年をとれば、十二、十三才の少年とは時代的に、ズレが生じて、センスなり、思想なり、生活なりに、少年と合致しないものが出来る。いかに抜群な指導者でも、これはのがれることは出来ないであろう。
第二の理由は、いつまでも隊長のポストに頑張っていれば、後進の道をひらく――というスカウティングの、一つのつとめが出来ないことになる。すなわち、万年隊長の下に、同じように万年副長や、万年隊付がいるようでは、このスカウティングはどうかしているとの評を避けられないであろう。スカウティングには、進歩(Advancement)ということが大事である。無論、万年隊長でも、隊長としての進歩はあるけれども、ポストの進歩がないならば、マンネリズムにおちいり易くなる。こういう点から、万年隊長論は排撃されると思う。
そこで結論をいうならば、二十才で隊長になっても、二十五才で隊長になっても、大体少なくて五年は隊長修行をしてほしい。そしてその人によっては、さらに五年隊長の道を開拓して、そして後進に道をひらいてほしい。――と考える。
実役五年つとめれば、隊長としての経験の種々相を大体修められると思う。
投手だけではベースボールが出来ないように、隊長だけでスカウティングは出来ない。コミッショナーもいれば、県連の指導主事もいる。丙種適格(編者注、今はないが指導者養成委員のこと)の人も必要なのであるから、あまり万年隊長論の薬がききすぎると、スカウティング全局のバランスが破れて、まとまりというものがなくなることをご注意いたしたい。
全国高校野球に優勝した平安高校の勝因は、戦傷で右手を失った木村先輩が、左手一本で器用に打ったり、投げたり捕ったりして、後進のコーチに全生命をささげたその熱意にあったと伝えられる。このことは現任隊長たちに、何等の示唆を与えるだろう。ひとたび隊長となれば、隊員との間に、父子以上の愛情が出来、その熱が一切を支配する。隊長をやめることは、本人にとっても、隊員にとっても、全くつらいものだ。隊長をやめて他のポストについても、恐らく心の面では、万年隊長たることを失わないであろう。
この熱意が、今の隊長にあるか? どうか? 私の万年隊長論のスタートは、実は、この点にあったのである。読者諸兄、どうぞ、誤解ないように。
(昭和26年8月10日 記)
50.万年隊長論
現役第一線の指導者とは誰か? それは隊長である。――と答えて間違いあるまい。いかにベテランの指導者が雲のようにたくさん居ても、その人が現役の隊長でないならば、まずその席を現役の隊長にゆずるべきであろう。隊長の人格、識量、指導力を中心としてこそ、BSは組織として成立し得るものである。
隊がまとまらないでは、県連も、日連も成り立つはずがない。隊は班から成り立ち、その班というものがスカウティングの単位であることはいうまでもないが、いくら班が単位であったにしろ、一つの班というものは、登録の単位にはならない。いかにすぐれた班長があり、上級班長があっても、隊長が欠員の場合、それは完全な組織にはならない。
隊長として、最も苦しみ、かつ求めるものは何であるか? 育成会のBSに対するより大きな理解と財的後援、団委員会の教育に対する熱意と支援、それに加えて隊長への絶対の信頼――など、これがなければ実際にやれたものではない。
そのほか、県連、地区、小地区コミッショナーのよき訪問や、円卓集会での共励切磋(きょうれいせっさ)による指導力の成長、いろいろの指導資料の入手――これまた願うところである。
以上は、隊長就任以来1〜2年の隊長たちに、殆ど共通した苦しみであり、かつ請求である。この域をすこし経過し、3年4年と隊長経験を増すにつれて、次々と新たな苦しみと願求が起きる。いろいろと起きてくるが、真剣にやればやるほど起こってくるものは、結局プログラムのたて方と、指導技術の二つに帰着する。
もしこの二つに、あまり苦しみを感じない隊長があったと仮定すると、それは、いい加減にお茶をにごして、立ち廻りの巧みな隊長といってよかろう。彼等は、どうせ一年か二年したら、隊長をやめて、ベテラン顔をしたがる人種だろうから、問題外である。
問題になるのは、五年も六年も隊長をつとめ、恐らく十年以上の歳月をこれにぶち込むために精進する隊長である。これこそ、まことのベテランとなるような人物である。
日本のボーイスカウト再建後、日なお浅く、人物払底のため、目下のところすぐれた隊長は、コースリーダーや、コミッショナーの候補者に推されがちで、万年隊長を狙う愚直、地味、重厚な人物の存在をこばみがちであるが、もう三〜四年したら、日本にも本当に隊長らしい隊長が出現するであろう。
こういう、真に苦しみ、真に求める人々のために、隊長研修のコースをもちたい。万年隊長のコースを!
(昭和26年6月6日 記)
49.真夏の夜の夢
朝です。朝食のあとかたづけや、テントの裾からげ、持ち物の整頓、工具の手入れ、革具の手入れ、サイトの清掃もあらかた終わって、手を洗ったり、服装を整えて、早い者はもう整列をし始めていました。点検の時刻にまもないひとときでありました。
突如として、所長と隊長が所員を連れて、僕の班のサイトにやってきました。あわてて整列しました。
所長は誰なのか、夢のお話なのではっきりわかりません。隊長もそうです。
『けさは、みんなの鼻の点検をする』と、所長はいいきりました。
爪や、舌の点検はよくやるが、鼻の点検とは一体何だろうか? 班長の僕は、一瞬どぎまぎしました。
すると、1人の所員が、モノサシを右手にもって、僕の前へつかつかと進みよって、鼻の高さを測るのです。
そして、何メートルとか大きな声で呼びあげると、隊長が「よし」といいながらノートに記しました。
こうして班の者全員におよんだと思うと、サイトのほかの部分は何一つ点検しないで、さっと立ち去ったのであります。一体僕の鼻は何メートルも高いのか?
その日の午前、計測法の講義があり、閑時作業として体尺(からだのモノサシ)が課せられました。眼の高さだの、両腕を左右にひろげた径間だの親指と人差し指を張った寸法だの…。だが鼻の高さの測定は指示されませんでした。
夢のなかで、いつのまにか僕は所長になっていたのです。そして、こんなことをしゃべっていました。
『鼻の高さは不定であるから、体尺に加えなかった。毎秒ごとに高さが変わるものであります。低くなっているときは、大てい劣等感をもったときであり、高いときは、優越感をもった場合であります。自己本来のペースというか、その人固有の鼻の高さというものは、有史以来誰も発見したものがないそうであります。そんなきわめて、たよりにならないものですから、実修所を終了したぐらいでお天狗になるならば、どういうことになるでしょうか?…。』
そのあとの言葉は忘れましたが、私の目の前には、誰一人も居ない。私は、寝床の中で目がさめました。
(昭和33年8月3日 記)
48.ボエンの意義
再建10周年記念の大阪大会に、私は参加できなかったが、この前の大阪大会にくらべて企画の面でも非常に進歩していると耳にしている。もっとも、この前の大阪大会にも私は参加していないので、残念ながら、真相はつかめない。ただ、大阪で前後30余年のスカウト生活を送った私にとって、そのホームグランドを思う心は人一倍である。
今夏は、大阪の他に北海道、山形、福島、新潟、山口、愛媛、大分、福岡、長崎に県大会があった。私は、それを故佐野常羽先生のいわれた「実践躬行」Activity first だと考える。スカウティングにおいては、まず実行である。活動である。実行第一である。理論は実行のあとから組み立てられる。はじめに理論があって、実行に移るのではない。この点、スカウティングが、学校教育などと大いに異なる点である。また、いくら理論にあかるくても、実地が出来なくては一つも役に立たないことになる。
佐野先生は、一に実践躬行、二に精究教理といわれた。この精究教理を先生は英訳してEvaluation follows――評価がそれにつづく――と示された。前に述べたように、まず実行しその実行を評価反省して、初めて理論(教理)が組み立てられ、深められ、精究される。そこに初めて進歩が生まれ、自信が出来る。佐野先生は、第三として「道心堅固」(Eternal spirit)と、いわれた。
およそ自由教育やプロジェクト教育法において、一番肝要なことは、Evaluation である。これを講評とか、批判とか、反省とか、評価とかに訳す。スカウティングにおいてもこれは不可欠な要素である。
大阪のスカウトの先輩は、「ボエン」というスカウト語を創作した。それは今を去る33年前のことである。
このボエンとは、当時の大阪語の、「ヒヨコタン、ボエンとやられた」という言葉が語源である。この「ボエンのくらわせやい」によって、大阪のスカウティングは伸びたのである。これは「相互批判」であり、「苦言」であり、「忠告」であり、「評価」であった。自分で気がつかない点を、一発くらわせられるのである。まことにスカウトらしい評価法である。
佐野先生は、当時たびたび大阪に来られて、このボエンのやりあいを激賞された。先生のお言葉によると、これは、禅僧の行う鉗槌(カンツイ)だと、座禅の時に、放心したり、なまけたりしていると、棒のようなものでピシッ!。と先生はいわれた。
このボエンというスカウト語は、全国の実修所にゆきわたった。
さて諸君!
大会も無事に終わったと思うが、いかにそれが、意想外の大成功を収めたとしても、反省、評価を忘れてはならない。もし、それを欠くならば単なる行事に終わってしまう。教育でなくなる。精究教理とは、いたずらにスカウト書を読んだり、ディスカッションをすることではない。Evaluation(評価)がfollow(それにつづく)するのでなかったら、それは全然スカウティングとはならないのである。
めいめいのスカウトは自分で、班は班で、隊は隊で、団は団で、地区は地区で、県連は県連で、あるいはお互い同士で、8月下旬から9月にかけて、ボエンの最盛期でありたい。
もし、ボエンをひとからくわされて、腹を立てたり、いこん(遺恨)に思ったり、うらんだりするようなことがあったら、彼はまだ、スカウティングの達人とはいえないし、彼は、進歩の道を、自分でつぶしているということになる。
死ぬまで、ボエンをくわされるものは、さいわいである。彼は、師をもつからである。拓くべき未来があるからである。
(昭和33年8月6日 記)
47.指導者とは
現行日本連盟規約には、指導者を選任するにあたり、どういう人を選べばよいかという基準が、隊別ごとにわけて示してある。
即ち、402・421(年少隊)447・448(少年隊)478・479(年長隊)509・510(青年隊)、ただしこれは隊長と副長とについて主として示してある。
その要旨は、青少年を託するに足りる品性と経歴、そして講習会の課程を修了した者またはこれと同等以上の資質と経験を有する者、という。それと年令についての規定。
以上は決してまちがいでもなく、それでよいのであるが、「指導者とはどういう人であるか?」「あるべきか?」と詮索してみると、これはそう簡単にはいいきれない。隊長に適していても団委員には適さない人もあろう。コミッショナーには適しても隊長に適さない人があるかもしれない。それは性格や技術上の問題ばかりでなく、時間的余裕の有無とか住所遠隔などの理由も関連する。
極東地域の会議で、専従指導者の資格、という議題で討議された結論を見ると――(a)スカウト運動への信念(b)性格(c)教養(d)健康(e)年令(f)技術(g)若さ(h)人格(i)家庭円満――の9項があげてある。ただしこれは専従指導者(有給者)だけについてである。それにしてもボランティア(無給者)の人たちにも参考となるであろう。性格と人格との区別など、日本語ではちょっと、はっきりしないが、性格は固有のもの、人格は風格、品格の意味と考えてよかろう。
しかし、これにも、やはり足りないものを感じる。例えば、明確な宗教信仰心だとか、清廉潔白とか、ユーモアの必要とか、または就任後の精進性――実践躬行、精究教理、道心堅固とか。いろいろあると思う。また、その個々が立派な資質をもっていても、個々の完成だけでは、これまた駄目である。なぜか? と、いえば、この運動には、チームワークが絶対必要であるから、協働性のない人、つまり個人プレイの巧者は、いくら条件が完備していても失格だと考えられる。そのような人は、パトロールシステムがわかっていないからである。
何というても、子供からきらわれている人ではお話にならないであろう。また、感化力が欠けているならば、一体、何のためのリーダーかわからない。云うことは立派でも、ご本人が、実行していないならば、お手本とはならない。
教育という仕事は、時間の長くかかるものであるから辛抱強い人でなければならない。無給指導者の場合は、何よりも生計が立っていて、時間的に奉仕の出来る人でなければつとまらない。そのため妻子をこまらすようでは、これまた困る。
最後に、指導者には、指導者の道があるということ。これは指導者コースだけをいうのではない。師匠をもつこと――。これが重要である。師匠の方では、自覚してオレは師匠だとは思っていないかもしれない。(実は、本当の師匠は思っていない。)けれども、こっちから見れば師匠だ。そういう人に師事し私淑した人が、こんどは後輩から、いつのまにか私淑されるようになる。その者が、また次の後輩から私淑される…。
「道」というものは、古来、みな、このコースで相続されている。茶道、香道、華道等々「道」と名づけられるものことごとくそうである。若い人たちは、あるいは、封建制だとくさすかも知れないが、これは封建制とは異種なものである。これが「教育」というものである。
世の指導者諸君、あなた方は、何人かの少年たちから、現に、私淑されつつあることに気づかれたい。これを指導者道という。
スカウティングにあっては、他の教育法にもまして、指導者道(Leadership)を強調していると私は思うからである。
(昭和36年1月13日 記)
46.グンティウカスを戒める文
昭和33年の新年を迎え、お祝詞を申しあげます。
さて、昭和32年をふりかえってみると、人間はついに人工衛星をうちあげるという、前古未曽有の才能を発揮しました。この点だけでも1957年という年号は、永久に人間の歴史に記録されるでしょう。
われわれスカウト界では、B-Pの生誕100年と、スカウティング創始50年の年でした。ジュビリー・ジャンボリーを始めとして、各国で記念行事がありました。日本では、一昨年の日本ジャンボリーの余勢をかって、各地で県大会や、ブロックの大会が盛んに行われて、相当の成果をあげ、一方ではこの年を倍加運動の年として、キャンペーンが展開され、これらが、相関連しながら、一大PRとして、この運動を盛りあげたことは、疑いありません。
私はここで、その中の、県大会またはブロックのキャンポリーについて、一つ考えてみたいと思います。
大会とか、キャンポリーとか、ジャンボリーとかは、結局「おまつり」である。という説があります。無論そこには「訓練」もあるし、「交歓」もあるし、「運動」の発展が促進されるから、決して無駄なお祭りではないと思います。けれども、戦後、特にこうした企画が、少し多すぎるのではないか、という声に対しては、私は、耳を傾ける者の1人であります。即ち、本来のスカウティングをする分量が減って、大会に出るための「俄か勉強」とか、「つけ焼刃」的な、いわゆる「まにあわせ」の教育に、陥った隊が相当あるという事実について、大いに反省の要があると考えるのです。
がっちりした、正規の班別制度も実行しない。年少幹部班の訓練も一向やっていない。前に書いたように、隊長が、自分のヒマな時に、隊員を集めて一斉訓練をして、お茶を濁している――と、いうような隊に限って「ソラ大会ぢゃ」となると、無理をして金を集め、服装や野営具をととのえ、威風堂々(?)大会に乗り込むようです。ところが平素、本式の訓練がしてないものだから、大会の2日目、3日目になると、体力がもたなくて、疲労が人の目につく。病人もできる。ホームシックにもなる。と、いう工合で、期間中に、こっそり撤営して逃げ出した例さえあります。(軽井沢所見)
これなどは極端な例ですが、本式のスカウティングをやる方に全力を尽くさないで、「大会スカウト」を製造するということは、本末転倒(ほんまつてんとう)で、私は、これをグンティウカスと名づけたいのです。
大会に出る資格が、2級以上とか、1級以上とかに制限されると、「俄か勉強」で2級や1級が、大量生産されます。これは、進級意欲をたかめる一つの方法ではあるが、問題は「その後」の成績にかかる、と思うのです。
「その後」、一向にスカウティングを継続しなかったり、進級もしないならば、一体、何のための大会ぞや、といいたくなります。
こういう点も考えてみたいのです。それはある班の全員が、そろって大会に出るのであるならば、本来の班そのままの編成で出られるから結構であり、正規の班別制度をこわさずに済みます。ところが、どの班にも大会不参加者が何人かある場合、隊としては、混成の班を何コ班か作って、大会に挑むことになります。この形は、形式は班であっても、実質は臨時班であり、混成班であります。果たしてこれを正規の班別制度といい得るでしょうか? 私は大きな疑問があると思います。ところが、こういう実例は、実は、ザラにあるのです。
本式に班別制度を実施するためには、どの班も、自班専用のテント、シート、工具、炊具、毛布を持たねばなりません。ところがこれは、何万円という大金がかかるので、中々出来ない。やむを得ず、隊が何張りかのテント類を持っていて、各班はそれを共用する、という隊が非常に多いのです。もし、大会に出る人数が、隊所有のテントの収容人員を上まわる場合には、どこからかテントを借りて来て間に合わす、という例が、非常に多い。
こんなことでは、本当の班別制度は出来んのじゃなかろうか。と、思います。かつ、こういう因子の上に成り立った大会というものは、結局「おまつり」になってしまうほかあるまいと考えられます。
今度、英国のジュビリー・ジャンボリーに参加した各国のスカウトは、ほとんどシニアーばかりであった。と、いう話をきいて、私はそれが本当だろうと思います。体力からいうても、訓練の程度からいっても、こうしなければ耐久力がもつまいと思うからです。
15才以下のスカウトは、大会に出ることよりか、もっと、基本的な、本格的な正規の訓練を、そして正規の班生活を修める方が大切であります。相撲でいうならば、まだ彼等は、十両の位にもなっていないのです。もっともっと、基本をうちこむ時期であります。
私はこういう意味から、本末を転倒しないように望み、グンティウカスを戒めるよう強調したいのであります。
(昭和33年1月1日 記)
45.コミッショナーの質問
華々しい楽隊に迎えられて小倉の夜の町で下車したのも、早や一ヶ月前の昔話になりました。5月1日のメーデーに皆さまを東谷の道場、童心門でお迎えしたあの日からの一週間は、まだ醒める夜のように思われます。
さて皆さまは、その後ご健在のことでしょう。私は当地に帰った翌日から次の仕事に忙殺されました。それは5月14日をもって東京に発足する資料編集委員会への準備でありました。それには日本最初の隊長研究所(編者注:昭和25年福岡県連盟担当実習所の前身)で経験したことを一応整理して、その会議に報告することが含まれていました。
5月16日会議を終わって帰広してからはコミッショナー制を設置すること、上級スカウト制を始めることという、二つの大きなプロジェクトを課せられ、目下それと昼夜取り組んでおります。研修所でも問題になりました15才以上のスカウトへのプログラムは、結局3段階の制度とし技能章プロジェクトでこれを盛り上げる。そのため日本BSの技能章制度を整備しなければならないので東京、静岡、大阪の委員達に交わって、私もその分担を引きうけ資料を携えて帰りました。けれども私にとってより緊急なプロジェクトは、コミッショナー制度樹立の方でありまして、今やそれと取り組んで居る次第です。
アメリカのコミッショナーの書物を一応勉強中であります。その本の中には次のようなことが書いてある。これは私が年来考えていたことと完全に一致します。それで、その文章をそのまま引きぬいてみましょう。これはコミッショナーとして隊の監査をするときのことを書いた章にあるのです。
まず第一に重要なことはコミッショナーが隊の組織を解釈することで、その時彼の最初の質問は「班別制度をやっていますか?」という質問である。どの隊長も勿論「やっています」と答えるだろう。
だがしかし、本当にやっているだろうか? 賢明なるコミッショナーは班別制度について、次の質問をさらに発するであろう。
a、隊は班構成の基本として自然的児群を用いていますか? 班は仲間達相互の組んだ形成になっていますか?そして彼等は自分達で班長を選びましたか?
b、隊活動は班によって営まれていますか?
c、班長は隊長やまたはその助手によって訓練されていますか?
d、各班とそれ等の班員達は、隊全体のディスカッションにデモクラティックな(民主的な)発言をあたえられていますか?
もし、班別制度が強く行われ、少年リーダー達が、プログラムの起案やその運用に発言をあたえられているならば、その隊は堅固な足場に立つものとコミッショナーは確認してよろしい。
次にコミッショナーは隊の指導陣を見る。そこに隊長たる能力をもった一人の人が居るか? その人の助手になるべき適当な人があるか? 強力かつ活動的な隊委員会があって隊長に協力して働いているか?
という一文であります。これを見ると、アメリカにも本式の班別制度をやっていない隊があるように思われる。
形式的には班というものは作ってはある。けれども、それは「作った」ものであって、大人の指図で子供に作らしたものにすぎない。
自然発生的な児群というものに根ざしていない。すなわち一種の造花にすぎない。
班長という二本棒をつけた者はあるにはあるが、大人が任命したもので、子供が選んだ班長ではない。
隊活動は相当やっているが、隊の一斉訓練であり、集合訓練であり、そこに班活動が無視されている。集合はいつも隊としてやっていて、班集会もなければ班訓練もない。
従って班にプログラムがなく役割の分担もない。班長訓練(グリンバー)は一つもやっていない。班長は班員と一緒に訓練をうけている。
班員達は隊長始め、隊幹部に引きまわされていて自分の意見をのべる機会を封ぜられている。
隊長の考えどおり一切引きまわす。あたかも軍隊の司令官のように。ボスのように。
こうゆうボーイスカウトが一体アメリカにもあるのだろうか? 日本には、昔からこんなのが沢山あり、再建後の現在でもある。厳密に申せば、そんな組織の団体はボーイスカウトではない。軍隊式である。
だから、事は非常に重大であるから、コミッショナーはまず第一にこの点について質問を発する――というわけである。
次に隊長たる資格者が、もし一人もないならば、隊は出来ないことは申すまでもない。そうして、副長とか、副長補とか或いは隊付とかいう助手がなくて隊長一人だけ、すなわちワンマン隊というものは、これも考えものだ。
研修所の答案中ワンマンの隊が二三あったが――。また強力な隊委員会がなくて一切合財隊長の一人舞台であることも困る。この点、日本の育成会や隊委員会は、大体においてBSのことをあまりご存じない。それがそもそも間違いである。
アメリカの隊委員会は自分の隊および、隊長の監査をやる義務と能力をもっている。それには隊委員や育成会員のための講習会や研修所があって、隊委員も育成会員も一かどの指導者資格をもっている。だから心から本気になって隊長に協力できるのである。従って地区委員会とか各種委員会なり、県連なりが充実して行ける。
日本では隊長が何もかも一人で兼任の風がある。これでは隊の成績もあがらないし、BS運動全体が進展しない。しかもこれを是正する係の、コミッショナーという役も、日本には今のところ無いから、是正する途もない。
私は、こんなことを思いながら目下勉強中であります。読者の中には、思いあたる方もあり、私と同感の方もおありのことと思います。
日本ボーイスカウトが国際的に復帰する日を迎えて、いよいよ内容、陣容、制度を充実せねばならないと切に思います。けれどもあまり熱心でない方々には申し上げても無駄だと思うことさえあるのです。幸いに日本最初の隊長研修所を開かれた、福岡県連盟の方々なら、こんなことを申し上げても、お同感願えると信じますので、書き誌しました。
(昭和25年5月30日 記)
44.班別制度の盲点を突く
班別制度という言葉ほど、盛んに口にせられ、その重要性を説かれること、おそらく他に比べるものはなかろう。それほどこれは、スカウティングの主軸であって、この軸が、もし無かったら、隊も、団も、地区も、県連も、日連組織もその骨を失うというてよい。
しかるに、いうは易く、行うは難しで、仮に分析鏡で現状を透視したならば、何パーセントが、クソマジメに実施しているか。私は、不安にならざるを得ない。
班が、自班固有のテント、炊具、工具を育成団体からととのえてもらい、常にその班の、基本構成全員で野営するとか、ハイキングするとか、であるならば、これはクソマジメに班別制度を実施しているといえる。
ところが、毎度の野営に、班全員皆出席するとは保証出来ない。誰か不参加者がある。もし、3人しか参加しない班があった場合、隊長は、その3人でもいいから固有の班として頑張らせるだろうかどうか?
私はおそらく、他の欠席者の多い班と合併した臨時編成の班をつくって、まにあわせるのではなかろうか? と思う。こうなると、単に人数をそろえただけの班であって、本来の班別制度ではなくなる。
そこへさして、隊には班の数だけのテントがない、炊具がない、工具がない、というわけで、やっと買ってある1張りか2張りの隊のテントを班に貸して、かわるがわるキャンプさせるとか、テント屋あたりから、損料を払って借りて来たテントで間にあわせる。というようなことであるならば、これも「本当の班別制度ではない」と、私は極論したい。
ただし、新しい団が、最初から班の数だけ野営具をととのえてやることについては、経済上むつかしいことは充分わかる。だが、それは、何カ年計画かで達成してやることが育成団体の責任であろう。隊長の側からも、育成団体または団委員会に要求するのが、当然な責務だといえる。
県連大会とか、キャンポリーとか、日本ジャンボリーとかに、借り物のテントや、よせ集めの炊具工具により、臨時編成の班を作り、俗に「特2」といわれる、にわか仕込みの2級のアタマカズだけをそろえて参加する、というような事実が、もしあるならば、形はスカウト野営であるように見えても、「班別制度」は台ナシであろう。
ただ、アタマカズだけ揃えて、キャンプさえすれば、スカウティングは成功している。と考えたら、大変な錯覚である。
団が、隊が貧乏で、いまただちにこの基準に達し得られない、としても、目標を本来の班別制度実施という点において、何年計画かで到着せねばならないのではあるまいか。
こういう大切なことをヌキにして「創立10周年記念」のお祝いをしたり、記念品に莫大なお金をかけたりして、トクトクしている隊、団、があるのではなかろうか。と、ひそかに憂うのである。
(昭和33年9月22日 記)
43.隊訓練の性格について
隊訓練とはどんなものか、と、いうことの検討をあやまると、スカウト訓練は、一斉訓練化して、班別制度は、全面的に破壊され、B-P本来の着想に反する団体訓練になってしまうのである。
そして、年少幹部班というものは、その意義を失い、すべては隊長の手によるところの一斉訓練と化してしまう。こういうことは、すでに百も承知の筈であるのにかかわらず、事実上では、それがあとをたたないのは、極めて残念である。
こんなことは、ひとり日本だけの現象ではなくて、どこの国にも現在あり、識者の間に問題となっている。
日本の地方実修所の入所者に課している事前問題に、「あなたの隊の年少幹部班の現況を問う」という問題が出されているが、その答案を見ると、着実に、年少幹部を訓練して指導力を班長に付け、その指導力によって班長が各班を指導し、そしてその成果が隊訓練によって比較され、励まされ、是正されるという本来のやり方を、辿っているとみなされる隊が、極めて少数なことがわかる。大ていの隊は、年少幹部班は、ほとんど実施されておらず、班長は、班を指導するだけの力がつけられないものだから、隊長が全員を集めて、一斉に訓練しているさまがありありと眼にみえるのである。
隊訓練とは、そんなものではないのである。隊訓練とは、班長によってなされた班訓練が、どれだけ出来たかをしらべる一種の検閲なのである。故にゲームによって、対班競点(コンペティション)によって、各班を競争させ、せりあわせて、レベルを向上させるものである。
ただし、隊訓練には、今一つ別の性格があることは否定できない。それは、班というよりも、もうひとまわり大きいグループとしての動き方、在り方を練ったり、また、どの班にも共通な広場としての最大公約数的な訓練、すなわち、その隊の伝統的精神の昂揚という一面である。しかし、これとても、それぞれの班のもつ特色や個性を殺してまでも、一色にぬりつぶすような全体主義的なドレイ訓練は、断然避けるべきである。この点は、かつてのヒットラーユーゲント方式におちいってはならない点である。
以上の諸点は、指導者講習会なり、研修会なりの講師諸君に充分はっきり説明して頂きたい点である。
隊長が全員を集めて、一斉的に訓練するということは、一番しやすい方法であるが、一番、これが邪道であるということを、くれぐれも反省していただきたい。
B-Pの意に反すること、これより大なるはなし、と、申し述べたい。
(昭和32年11月12日 記)
42.班活動の吟味
次の如きは本当の班活動といえないのではあるまいか。
1 隊として決めた行事を各班に分担或いは一任したり、若しくは競争でやらせる。いかに班の意思を尊重して行なっても、これは、隊活動と見るべきもの、况んや班の意志を度外し、上からの仕向で行った場合は、本来の隊活動にもならない。(大日本式天降りである。例、赤い羽根募金、緑化運動参加)
2 一見班活動の如くに見え、又その様に報告はされても似て非なものがある。それは、
a 行事のためにした行事
班長が班報告に何か書かねばならない必要上作った行事の如し。往々班監査の場合これに感心する余りゴマ化されやすい。例えば、防火運動、街路清掃。
b 班内の有志だけが行った行事
これは班全員の参加でないから、班活動と考えたくない。個人スカウティングの集合である。
3 班活動を行事面だけで要求したり取り上げたりするような考え方は、未だ班活動の真髄にふれておるとは思われない。
我々は行事スカウトではない。事業団体でもない。行事をしなければならないように考える事は 本末転倒である。我々のする行事はそれ自体が教育と直結する。唯やりさえすれば良い、そこに教育がなくても人から賞められ認められさえすれば大成功だと思うが如きは外道である。換言すれば、行事面だけがプログラムではない。
スカウティングのプログラムは広汎であって、行事のみに止まらない。いかにプログラムを班で考え全員が分担参加し、それを具現(project)したかが班活動である。従って班活動という言葉の含みは広汎であり、スカウティング全局に展開されるべきである。
4 班全員参加――と云う意味は、その相談から始まるのであって、一人でも相談に欠席し、事後承諾で決議を押しつけるが如きは、厳密に云えば本当の参加ではあるまい、况やプログラムの実施に際して一人でも欠席した場合も、厳密に云えば班活動とは云えない。だが、欠席の理由によっては――班意志の反抗、反対でない限り――許容されて班活動と見ても良いことがある。
5 以上のような失点が一つもなく立派な班活動と思われるものであっても、隊の責任者(隊委員長――現在団委員長――隊長)の方針に逆行し、隊内のチームワークを無視した独善的班行動は審査の必要がある。例えば、事務的打ち合わせの不充分とかに原因があったとか、或いは他意あっての事かは、隊名誉会議で審査すべきであろう。シニアースカウトに往々ありがちな現象である。
まだ考えたいのだが次にゆずる。しばらくは 引戸をあけて外界の風ふき入れて 春を吸わなん
ここは東京渋谷の病院の一室、時は3月27日です。梅がやっと咲いた。那須から上京し、入院して今日で6日、網膜出血により左眼の見えない今の私には、新聞の字もろくに見えない右眼の力をかりて、春の光を求めています。
人生無限の広野 暗黒世界その一角に私は立っている(この切実感は失明の経験のない人にはわからないだろう)私の立つ限り、私の周囲には方位が存在する。八方位か、十六方位か、三十二方位か、それとも三百六十度の方位が私をとりまく。
私は常に三百六十分の一、その一つの方角に進まねばならぬ。私に方向を示すものはパトロールコールであり、モールスであり、そしてそれはB-Pの教えである。暗黒の中のサインである。
あっ! 私の後ろから沢山の仲間のやって来る足音がする。私はそれらの人々に、サインを、光をかかげねばならない。
(昭和26年3月27日 病床にて記)
41.班活動について
近来各地からの色々の報告や資料を見る機会に恵まれ、大変勉強になっている。私はそれらを通じて、BS運動の動きをじっと見ているのですが、職業の余暇をさいて、この運動のために情熱を捧げられている何千人かの人たちに深厚なる敬意を払うのであります。
それと同時に、みんなが実に貴重なる時間をさいて建設されているのだから、すべての努力が正しく顕現され、そして、その結果が正当にあらわれて帰って来なければならない。
これがマイナスになったり、ダブった徒労に終わってはつまらぬ。また力を入れねばならぬ点に力が抜けていて、入れなくてもよい所によけいな力が入れられているような場合もあろう。そうしたことは、のちに、我々お互いの省察、反省または評価、ときに討議によって見出され、指摘されて是正され、妥当化されて“あるべきところに”“あらしめられる”のである。それが一つの新しい経験を形成する。実に貴重な経験である。
こうした意味から、今日は一つ“班活動とは何ぞや”ということを考えて見たい。これがハッキリしていないと、今云ったようによけいな所に力を入れすぎて、大切な他の一面を見のがすことになる。
普通皆さんによって考えられている“班活動”という言葉は班会をしたり、班訓練したり、ハイキングしたりキャンプしたり、色々の奉仕をしたりするいわゆるプログラム面での活動をのみ指しているようである。だからハイキングもやらない、班会もやらない場合、班活動はゼロなり――という評価になる。例えばコミッショナーの人が、ある隊の監査に行く、そして評価をする。
そこの隊委員や隊長に対して自分の所見を告げて助言するような場合、班が週に1回班会をもち、週1回の班訓練をやっており、月1回位、班ハイクをしたり班奉仕の作業をしていたりするならば、まずその班の班活動は可である、或いは優であるという評価になり勝ちである。――班活動は活発である。クラブハウスを使用し、全く自発的に行われている。満足すべき状況にある――というような講評として表現され勝ちである。
私はそれでよいのか?――といいたい。
ある程度プログラム面では立派に針は動いている。その時計は決してとまっていない。動いてさえいれば時を刻み進展するだろう。それを私は否定するのではない。けれども、それに対する他の一面が大切だということを見逃してはならない。それは一体何か?
私はこれを“班の機能”という本来の作用に照らして検討すべきだと考える。たといプログラムは進行していても、それが班制度のもつ基礎的、本来性から来る“班の機能”によって自発的、自主的に発動して、その力がプログラムという水車を廻したのか、それとも自分のやむにやまれぬ本然の作用ではなく、誰か別の人(例えば隊長、隊委員または県連役員…)が廻してくれた水車(プログラム)の上に、班がフラフラと乗せられたり、乗っかったりしているのを、判定者は判定を誤って、これを正しい“活発なる班活動である。満足すべき状況にある――”と評価したとするならば、このScouting たるや一場の喜劇でしかない。
私はこういったような、何だかコソバユイScouting が、ある地方では流行しているのではないか?――と空想(空想ですよハッキリ)することもある。
これに反して、班のプログラムは今一つうまく進展しない。集会の度数も月一回か二回、それも出席は53%位で欠席が多い。けれども出席した少数の者は熱心である。であるからその班活動は可である――と云えるかどうか? 私はこの場合も不可だと思う。それは――傍観者が一人でもあったなら、それはScouting の本来性から云って、班の機能を欠いていると診断するからである。
結論的に申せば“班の機能は、果たして正当に発揮されているかどうか?”――ということによって判定されるべきであってプログラム面のあらわれだけでは判定尚早なりと見るのである。
私はこの判定尚早がBS運動全体を至極安易な傾向に甘やかしているのではないか? と実は怖れている。これはお互いに、よほど戒心する必要があると思う。万一そのように甘やかされた班活動が批判されずに進展したとしたら、われわれのScouting は“行事”Scouting に堕し、健全にして正当なる班機能から生まれ出されるScouting でなくなって、班別制度という他の団体に持ち合わせのないこの特異性が、形あって魂なきものになってしまうと私は考える。そのときは、もう、それはScouting とは云えない。
私は今、何よりも、この擬態的班別制度を撲滅せねばならないと思う。
(昭和26年1月17日 記)
40.自己研修とチームワーク
指導者道の講義で、つねに引用されることは、故佐野常羽先生が、実修所でお話になった実践躬行、精求教理、道心堅固という三つのことである。また三島総長がお話になった運動への忠誠ということである。
これらは、誠に指導者道を照らし出された光明であって、このタイマツがなかったら、我々は暗い道をふみ損じたかもしれない。時としては非常に自分を奮起させる力ともなったことは事実である。
ところが、その受け取り方が、極めて大事だということに、最近私は気がついたのである。と、いうわけは、これらの光明は、指導者個々の自己研修を励ます面々に多分に服庸される傾向が強いのではあるまいか…?
それも誠に結構であります。仏教の教えの中にも驕慢と弊(卑下すること)と惰怠(サボること)は正法を修する者にとっては禁物であると戒めている。天狗になったり、おれには出来んと捨てたり、怠けたりすることは、スカウティングにおいても、正しいスカウティングに伸びゆくことを妨げるものである。このようにして、以上の
教えは、自己研修を励ます上に、またとない力となり、カガミとなることはいうをまたない。
けれども自己研修を積み重ねたり、深く掘りさげたりするだけで、that's all であるならば、これはまだスカウティングの5合目あたりを登った位のものではないか、と、私は思うようになった。そのわけは、自己研修が最終点でなく、それを足場としてのチームワークが終点であり、それが頂上でありそのもりあがりが、今まで絶頂だと考えていた頂上を、更に更に高め築いてゆくと、思うからである。
この絶頂が高まってゆくにつれて、おのれの自己研修はさらに勇気づけられて伸びるだろう。
もしチームワークがなかったら、いい加減のところで自己研修は停止するか、自己満足するか「我流」になるか「私立スカウティング」化して、その人は活きても、死んでしまっても、一つも惜しくない存在に終わってしまうだろう。
このことは「班別制度」の出来た根本原理に結びつくと思う。班員の中で、とても熱心で勉強家(スカウティングでの)で14才にして富士スカウトになるほどの、自己研修家が出た、と、例にしてみても、その少年が班のチームワークに何らプラスになっていないならば、それは学校の優等生と同じようなもので、一つも公民性が出来ていないことになる。
ぬけがけの功名手柄を争ったり、一番槍をめざすみたいに、それは個人プレーでしかない。これらは過去の日本でこそ賞めたたえられたが、民主主義の今日では人間として一番いやしい人物といえよう。もし我々のいう「先駆者」「パイオニア」という言葉を一番槍みたいな功名争いに解釈したら、それはとんでもないマチガイである。
「班」とはスクリーンみたいなものである。自己研修をした自分が、どんな形で、そのスクリーンにうつるかを示すカガミである。即ち自分の在り方を反省するチャンスである。さらに言えば、自分の役割、分担と、それに伴う責任、そして自己のペース(本領)や特質が、班というチーム(小社会)にいかにその在るべきところに
在らしめえたか、或いは、在らしめられたか、を検討する場――それが班である。
これを総称して、チームワークという。在らしめさせる側のさせ方をもふくんでいる。こういう修練は、日本の過去の教育にはなかったと思う。あったのは、宇治川先陣争い式の、英雄思想の教育であった。
今日、非常に自己研修の面で、アタマのさがるような傑出したリーダーを私は沢山知っている。けれどもその何パーセントかは、少年時代にスカウティングをやっていなかった。そのためなのか、班別制度の在り方、チームワークの修練にかけている人がある。それが年をとるに従って先輩扱いをうけてくると、自己研修の面での、永年の積み重ねが高まるにつれて、他の一方のチームワークへの不馴れさが暴露してくる。
そこで、考えさせられることは、いかに班制の運営が大切か――と、いうことである。従って少年の時代から、正真正銘の班活動をやらせよ――と、いうことである。形だけの班なら造作なくすぐ出来る。3分間とはかからんだろう。けれども本当の班は、中々そうはゆかない。
スカウターは、すべて無給で余暇を奉仕するのが建前であるから、自己研修ということは容易ではない。時間的に恵まれ、立地的に恵まれている者と、そうでない者とでは、大差がつくだろう。そうなると、自己研修を自慢したりハナにかけたりすることは、誠に一方的なヒトリヨガリで、正に児戯にひとしい。と、言わざるを得ない。しかも前述するように、それが終点ではないのだ!
いい方はよくないかも知らないが、――自己研修の面では2番手であっても、チームワークの面で、すぐれている人の方が指導者道では、一枚上ではなかろうか――。そのリーダーなら、少年たちに、正真正銘の班別制度をリードしてゆけることうけあいだ。と、いいたい。名曲「スカウティング」の楽曲は、いかに名人でも一人では奏しきることは出来ない。
(昭和34年12月10日 記)
39.自発活動ということ
私は最近自発活動ということをひとしお思いつづけている。スカウティングは自発活動に始まり、その不断の持続を以て一生を貫くのだということをハッキリ体得した。もし、自発活動によって入隊したのではなく、また、自発活動なくして班や隊が動いているのであるならば、それは、スカウトではなくて、少年団、または、コドモ会だと思う。
“Scouting for Boys”の巻頭にイギリスのチーフ・スカウトであるロウォーラン氏の序文の中に次のようなことが記されている。
ベーデン・パウエルが“Scouting for Boys”を書いた意図は、既設のBoy's Brigade やY.M.C.A.の訓練を補足する考えで書いたのであった。然るにこの本を手にした少年達は勝手に班を作ったり隊を作り、隊長を探してきてBoy Scout を作ってしまった。女の子でガール・ガイドを生んだのも、弟分のコドモたちが、ウルフカブを生んだのも、年長の少年がローバーリングを始めたのもすべてこの調子である。――と。
即ち、スカウト運動はベーデン・パウエルが作ったのではなく、少年それ自身が生んだのだ、と、いうわけである。私のいい方でいうならば、少年どもの自発活動が、作りあげたということになる。こんな珍しい教育は恐らく他にあるまいと思う。
「私は、名誉にかけて次の三条の実行をちかいます。」――と、いう言葉は、実に、自発活動のスタートである。「私は」という一人称の単数に注意されたい。
「我々は」といわず「私は」である。他の青少年団体は大多数が「我々は」という表現をとるのにスカウトは「私は」とハッキリ発言するのだ。人から、大人から、国家から、政府から命令されたり押しつけられたり、強いられたりして「ちかい」を立てているのではない。「私は」とハッキリいう以上、スカウトの班や隊は厳密に団体ではない。従ってスカウト訓練は、団体訓練ではない。それは、個別訓練が基礎である。それ故、個人別プログラムは、班や隊のプログラムより先行すべきである。
少年一人一人皆、顔がちがうように性質も体質も、個性も、家庭も環境も、将来の志望も皆違っている。これを十把ひとからげに一斉訓練するようなやり方をするならば、自発活動は殺されてしまう。班や隊のプログラムは、各個のプログラムの最小公倍数、あるいは最大公約数のものであるべきで、それを因数分解するならば、8人それぞれのプログラムが因子となって出てこなければウソである。個別のプログラムも立てさせないで、徒に班のプログラムがどうの、隊のプログラムだ、と、アクセクすることは本末を転倒している。
「我々は」でなく「私は」である点を充分考えてほしい。
スカウト教育は個別教育であることは前述したが、個というものは個体のみでは生きてゆけないし、生き甲斐が出ない。訓練の方法としては切磋琢磨――磨きあい――の方法が効果大である。これがグループ・システムの起因である。人生の年令が加わるほど細流から大河、大海に出てゆく。大きな社会、広い世界に出てゆく。そこで、もまれて、人となる。と同時に、社会または集団の中で、自分がどういう生き方、働き方、をするかテストされる。(否、テストしてみる――自発的に。)そこに自分の分担がある筈。その責任を全うすることによって、協働(CO-Operation)出来る。これが、公民たるゆえんである。
スカウト教育の目的は、B-Pのいうように、能率の高い公民を作るにある。公民教育であるが故に、協同体における協働の訓練を必至とする。たまたま、少年の本能として群居本能と名づける児群の生活がある。これを活用して教育の組立に役立たせる。これ、即ち班制度である。班制は協働訓練(チーム・ワーク)の単位である。
隊は、もうひとまわり大きい協働体である。さらに隊の4つ5つをもって小地区とし、小地区の4、5をもって地区とし、数地区で県連となる。と、いうように、この協働体は、どこまでも班制を起点として遠心的に広がり国際協働に至る。
こういう形を、従来の日本人の概念では「団体」あるいは「団体訓練」とよぶが、私は決して「団体」と思わない。私は「組織体」または「有機体」と呼ぶ。
「団体」とは、観光団体のごとく、個人の希望を一時すてて便乗するものである。観光が終われば解散する。
「団体とは離合集散体である」と私は極言したい。「一時的便乗体である。」他人の作ったプログラムに便乗して運ばれるだけだ。コドモ会がその一例である。きまったメンバーがあるようで実はない。出席不定、風の如く集まり、音もなく去る。メンバーとして分担もなければ責任もない。一体、参加しているのか傍観しているのか、ハッキリしていない。
スカウティングには、一人の傍観者もあってはならない。「全員参加」を必須とする。ゲームの時も、班の営火劇でも全員参加を立前としている。一人残らず分担( part )をもつ。各人のpart の協働によってparticipation(参加)が成立する。それは、組織体、あるいは、有機体の原則である。一つの器官(例えば胃とか肺とか)でも欠席したなら生物(有機体)は生命を失うだろう。班とは生物である。定刻に一人でも遅刻または欠席すれば班の機能は滅殺する。否!、班は成立しない。ここに公民教育訓練の厳しさがあるのだ。「団体」は無機物である。
B - P は“ Scouting for Boys ” に― ― The main object of the patrol system is to give real responsibility to as many boys as possible with a view to developing their characters. 「班制の主たる目的は、出来るだけ沢山の少年たちに人格を発達させるため、本当の責任を与えるにある。」と記している。
責任を与えるとは、分担、役割(part)を与えることである。そのpart が協働して「全」となる。Each for all(全のための個)であるし、逆にAll for each(個のための全)でもある。
「個」と「全」との相関関係である。即ち、スカウト各個人によって班は構成されて「班格――班の人格」が出来て発展するが、逆にその「班格」によってスカウト各個の人格も造立され発展されるのである。有機体とは、こういうものである。
諸君!! 陶器と磁器とは一見、同じようで見わけがつかないものである。陶器は陶土で、磁器は石英粗面岩で作る、と一応常識的知識でいい得るが、さて、これはどっちか? と、きかれるとハッキリ答えられない。ボーイスカウトと、少年団も、これと同じ。古い人たちは、今でも、ボーイスカウトは少年団であり、少年団は即ちボーイスカウトだと平気でいうている。私は有名な、ある陶工の大家から、次のような名言をきいた。――― 陶器と磁器との区別は、本当にむつかしいです。陶器は有機物で生きているが、磁器は無機物で死んでいます。
いわゆる何百年もたった古い名器(茶碗の如き)は、陶器ですから、生きていて、形も変われば色も変わりつつあります。だから貴重なものです。東照宮の古杉の並木と同じです。これは、陶器ですが(と、一つの作品を手にして)生きていますから刻々に、形も色も変わりつつあるのです。」と。私はその瞬間、ボーイスカウトは陶器で少年団は磁器だ!! と思った。実によく似ている。班制もあれば班長もある。ネッカチーフをかければ見わけがつかぬ。
陶器を作らないで磁器を作っている人はないですか?
その陶工さらに言葉を加えて曰く「磁器は、多量製産が出来ますから商売にはなります。陶器の中にも硬質陶器があってこれなら多量製造が出来ますが、内容としては有機物ではありませんよ。」と。
自発活動の強い人間でなければ、物の役に立たないし、人格、健康、技能、奉仕も自主的に出来ず、結局、奴隷になるほかない。自発活動についてもっと考えたい。
(昭和30年5月8日 記)
38.技能章におもう
私の住む狩野村にも、那須第13隊が結成されて、スカウトの香りが村中に漂い始めました。宇都宮市にも、今度第1隊が出来て、同市としては始めてのことで張り切っているようです。とりわけ那須第13隊は、昔あった、那須野ボーイスカウトが再建され、昔の団旗が伝統旗と銘打たれて、新隊長に渡されたという点で、列席者達を感激させました。
今の中学生、高校生たちは、昔の学生と外見も心情も大変ちがっていて、私にはどうも親しさがピンと来ないのですが、スカウト服の少年達は、その点、今も昔の少年と一向かわりなく、にこにこして明朗なのに2度びっくりしました。“自分はスカウトだ”という意識が、否スカウト教育の力が、現代の少年を、そのように育てているのだと、私は思いました。大変うれしいのです。
私はかって、隊長をしていた10余年以前と同じ気持ちで、今の新しいスカウトと同席して、語り歌うことが出来ました。これは近来の一大発見です。国敗れ、人心一変するも、スカウトスピリットは昔と変わらぬ、そして、ひとたびこれに触れれば、いつの時代の少年をも、薫化せしめ、この道をたのしませることが出来るのだ、と。私のスカウト道を信奉する念は、いっそう強まったのです。
ここに1人の少年がいる。その少年は学校では劣等生である。いつも先生から、叱られ、親は、その少年に期待をかけない。同級生も彼を尊敬しないのみならず、馬鹿扱いする。彼はみんなが、そう評価するのだから、まちがいなくオレは劣等生で、馬鹿なのだろう、と思う。相手にされないし、あそんでもくれない。すべて悲しく、さびしいが、もう泣きなどしない。あきらめた。彼は鶏に餌をやるときだけが楽しみだ。鶏だけが彼の来るのを期待し、よろこんで迎える。飛びついて来るから、彼が叱ると、彼のような劣等人間の命令でも聞いてくれる。こうして彼は学校から帰ると、1人とことこと歩いて鶏小屋へいそぐ。
鶏の中にも、彼と同じような劣等生がいることがすぐにわかった。その鶏を彼は抱いてやった。涙がわいてその鶏の上にこぼれた。彼は、その一羽の劣等生を可愛がった。そうするうちに、彼は鶏飼育の名人になった。
けれども誰も彼が、鶏を飼う天分をもって生まれたとは思わない。彼も初めはそう思わなかった。“人はみな誰でも何か一つは人にすぐれた天分をもつものである。”ということを、新聞で、誰かが開いた座談会の記事を彼は読んだ。それで彼は、鶏を飼うことが、ひょっとすると自分の天分ではなかろうか、と考え出した。学校の科目の中に養鶏というのがもしあったら、オレは優等生になっていると思うようになった。彼は自己を発見した。その天分を伸ばしたいと思った。けれども、学校の先生は、彼を相手にしてくれなかった。
スカウト教育に入らない少年の中には、こういう少年が、沢山いるのではあるまいか? 教育の機会均等などと、立派なことを口にしながら、教育家と称する人達は、限られた時間割で限られたページの本から、限られた者に、限られた教育をしつつあるのだ。
スカウトの技能章制度の立案をなしながら、私は考えさされた。養鶏章をとるべく、この少年が一心不乱に、プロジェクトしたならば、彼はこの一つを通してでも、人格造立を果たすことが出来るにちがいない。劣等感よ! うせてしまえ!!
技能章こそは、教育の機会均等のために、万人が一人残らず、自己の天分を自覚して、勇み立ってこれを伸ばす鍵となり、自己を信じて疑わず、自己のペースをよく守り、相対の世界にひきずられてくよくよすることなく、自己の技能をもって、よく他人のために奉仕する心を生ぜしめる、尊い発心をよび起こす鍵となることを意味すると私は思う。
それにもし、技能章は職業訓練のためだ、などと思うような人あらば、この人、けだしともに語るに足らぬ。
教育とは、それほど打算的で、狭い小さい浅いものかね、といいたくなる。
(昭和26年10月1日 記)
37.技能章について
スカウト教育の三大制度の中の技能章制度がまだ実現されなかったことは、我が国BSの一つの大きな空白であったのだが、いよいよ1926年度実現のメドがついたので、遠からず全国のスカウトたちはこの新しいプログラムに歓声あげて突入することであろう。
そこで技能章教育の性格、その目的は何であるかということについて指導者はハッキリした理解をもたねばならなくなった。今まで講習会の講義で述べられたことは、実際に技能教育をやっての上から来る講義というよりも、書物などから、或いは教育論の上から来るいわば抽象的な概論的な講義であったことを、私自身の反省から告白できる。といって、他の人々の講義もそうだ――とけなすつもりは毛頭ない。これは日本BSの発達の段階として無理でないことを是認されねばならない。
今度、いよいよ実施するにあたって、私はもっと具体的に掘り下げて、その本旨を把握されねばならぬ――と思う。私は約2カ月の余を技能章に没頭して来た。そして、その間色々の問題にぶっつかった。何れそれらの私のなしたプロジェクトはまとめてみたいと思うが、まだそこまで出来ていない。ここにその一部を書かせて貰う。
「技能章の性格」――という意味で、最も古く研究されたのは、故中野忠八先生で「少年団研究」の第二巻第六号(大正14年6月号)に「徽章制度に就いての考察」というのが、私の注目をひく。その論文の中の主要な点を引用する。
4 スカウトの訓練はスカウト集会時だけを以て完全を期するのではない。即ちこの制度は集合時以外の少年の時間をスカウトの中に掴まえる処の作用をなすのである。
5 指導者は適当なる助言は必要であるが無暗に奨励すべきではない。スカウトの閑時を利用せしむるものたることを忘れてはならぬ。又直ちに職業教育と解してはならぬ。スカウト自身の自己発見たる一事を銘記せねばならぬ。併し、そのことに熟練の度を進めたるときは、必要に際し職業となし得る便宜あるは云うまでもないことである。
6 学校の成績が良くない少年が、特殊の技能に於いて天才的に秀でたることがある。学校の課目は人間の全能力に触れていないから、学校の課目に触れざる処に如何なる天才的能力が隠れているかも知れない。この隠れたる能力は、この制度によって啓発せられ、天分を発揮し、その個人の為にも人類の為にも幸福に寄与する事が少なくないのである。学校の成績が劣るがために自ら軽んじ、進取の志を挫かれる可憐な少年も、この制度によって勇気を与えられ、時としては自己の能力を知る事によって、不良なりし少年も学課にまで好影響を及ぼす事さえある。
これに対し、職業指導の面に活用せよという論文が、米本卯吉氏、津戸徳治氏などによって同誌に出ているのは興味深い。
私は今これらを詳しく述べる余裕がない。けれども新制中学の教科は学校教育令に明示されているように、職業指導であることを見るならば、人格完成という本筋の教育目的と、この職業指導との不可分性を無視することは出来ない。又、同じプロジェクトにせよ、これをBSとしてやるのと、4Hとしてやるのと、これまたネライが異なることを最近4Hの人々とのディスカッションで私は知った。
何れ、時期を見て、私はまとまった研究を出したいと思い、只今資料を集めている。
(昭和26年5月30日 記)
36.バッジシステムの魅力
進歩制度はこの旅の一里塚である。どれ程の旅が出来たか、それを自身で量り知る里程表である。時として階段である。山寺への坂道に立っている十丁とか八丁とか記してあるあの建石である。
班別は旅の道づれであり、進級は旅そのものである。人生が旅である以上、進級制度は必修科目である。
Hiking の形がそのことを具象している。進級しない者は旅をしない者で、旅をしない者はスカウティングではない。
まだ見ぬ山河を胸に描き、希望を抱いて颯爽と旅立つところにスカウティングは始まる。
旅にはお土産がほしい。技能章はお土産であろう。自分の好きなものを得ることが出来る。
子供達は競争でそれを得るであろう。これは、自分の力の代償として獲得するのである。それはあけて悔しい玉手箱ではなくて、開けて自分の生活を助ける玉手箱である。
選択科目であり、適正適職のよすがになる。新教育による学校教育法第36条第2項において、新制中学校の教育はハッキリと職業指導をその性格の一つにあげている。しかしスカウトの職業指導のやり方の方が一日の長がある。その仕組みにおいて授け方において魅力がある。この線に沿うならば、世にいう所の科学教育も、新しい進展をすることを確信する。
科学教育振興のための協議会が何百回となく過去に催され、学者や教育家達が甲論乙駁、名論を戦わしたのであるが、今もって具体的な方案は一として出来上がっていない。協議会の速記録がプリントされ、その記録が埃に埋もれて堆積されてるだけで、ペーパープランに終わっている。誰一人としてバッジシステムに思い及ばなかったとは何とした無能揃いであったことよ。バッジの魅力――それに気づかなかったのだ。
Scouting は実に傑出した新教育法である。そして、そのスタンダードは実に班制にあることを認識せねばならぬ。近時学校教育にもグループシステムが強調され、一種の班制が作られるに到ったが、同一年令児を以て組織した班制というものには、今一つ欠けている機能がある。それはドン栗のセイクラベということである。
兄と弟という関係がないということである。結局学習のための方便としてのグループにすぎない。スカウトの班はスカウティングのための方便ではない。班制即ちScouting なのだ。このことを初心の指導者はよく知ってほしい。
だから班制が形だけにとどまっているとしたら、そのスカウティングには根は生えぬ。従って成長しない。指導者が鞭うってタタキまわらねば車は動かない。徒に苦労するだけでオシマイだ。車は割れてこわれるからである。といって指導者が自分で車をひいたとしたら車は廻るかも知れんが、それは、猿のひいた車でしかない“Monkey Scout”だ。
子供のものでなくなって、陣頭指揮型である。
(昭和25年1月20日 記)
35.1956年の意義ジャンボリー
1956年のハイライトは何といっても日本ジャンボリーの開催である。これは今までの皇居前広場(日比谷)や新宿御苑で行った全国大会とも違うし、蔵王でやった大会とも異なる構想に基づいている。いわば本格的なジャンボリーの最初のものだといえよう。
ジャンボリーは、祭典である。だがお祭り騒ぎではない。次のような教育効果がなければなるまい。
第1には「参加する」ということである。これはオリンピック大会でも同様であって、勝敗を争うため行うのではなくて「参加するためにいくものだ」といわれている。参加するということは一つの教育であらねばならない。
従ってプログラムであり、プログラムがある。たとえば5月末までに初級スカウトは2級にならなければ参加資格がとれない。もうあと5カ月しかない。あと何科目残っている、それを、いつ、どうとるか、というプログラムが生まれる。また、参加費や旅費や不足の用具を、どう工面或いは稼いで作るかというプログラムもある。
こうしたことのプロジェクトに教育効果がある。唯、参加するという言葉だけのものではない。
第2に、現地に着いてから何をするか、というプログラムと、それをどう分担するかという役割、これぞParticipation すなわち「参加」の本当の意味であるが、ここに至妙な教育的ねらいがあるわけだ。以上のことが欠けたなら唯のお祭りさわぎに終わる。
第3には、親和ということ。即ち他県や外国のスカウトたちと本当に兄弟であるという実感の体得である。これぞジャンボリーの本質といえよう。ジャンボリーは訓練ではなくて祭典だということは事実であって、昨年の富士特別訓練とは性格を異にすることもわかってもらいたいが、それと同時にジャンボリーもまた、教育であり、プログラムであることも忘れてはならない。
集まれば必ず「励ましあい」(emulation)と「競争」(competition)が起きる。自己の足らない点、まさっている点がわかる。これによって学ぶところ非常に大きい。第4の教育的ねらいがここにある。友誼に厚い――ということはこの場合、身にしむと思う。おきて第4だけでなく、12のおきてのすべてが身にしみてくる筈である。そういうチャンスを与えるものが、ジャンボリーなのである。第5にスカウト熱をあげるチャンスであるということ。
昨年の富士特別訓練は、今年の日本ジャンボリーへの一つの試行であった。計画、実施の側からいっても、これは大いに勉強になった。今度はその時の10倍、1万人の参加者を予想するから目下委員の方々は大童である。
来年イギリスで世界ジャンボリーがある。その準備は既に昨年からかかっている由である。これは、スカウト運動50年祭と、ベーデン・パウエル生誕100年祭のジャンボリーである。日本も将来いつか世界ジャンボリーを主催するだろう。その時の準備は並大抵でない。今度の日本ジャンボリーの準備委員の方々も、そういうわけで目下勉強されている。かよう我々のすることは皆、勉強である。
1956年はこういう次第で日本のスカウト運動発展の上に深い意義があると思う。
(昭和31年1月8日 記)
34.スカウトソングについて
大阪の南東地区でスカウトソングの練習会をやる、という記事を見て、これは良い計画だと思った。それで、思いつくままに、スカウトソングについて書くことにする。
ある年の夏、私のところ(那須野々営場)に、カブスカウトが何コ隊も合宿訓練に来た。平生は淋しい、この大きな森も、急に若い人たちの声で賑やかになった。夏分なら最大限300人位舎営出来るここの設備も、ほとんどフルに活用された。隊によって皆それぞれの特色があった。
私は、だまって見ていたのだが、結局、一つの重大なことを発見した。それは、盛んに歌っている隊のコドモは、自発活動が旺盛だ、と、いう結論である。これに反して歌うことを進んでやらない隊のコドモはおどおどしていて、いつも隊長の顔色をうかがって動いたり、その命令を待って動いているさまが、私の眼に強く印象された。スカウトソングの教育的価値というものは、情操教育とか、スカウト精神の発揚とか、親和力のもとになるとか、表現教育であるとか、一つの健康教育、リズムによる心身のバランスの調整とか、色々と説明され得よう。
だが、これが自発活動力のアクセルになるという見方は、私にとって全く新発見だった。これは全く偽りのないことで、気分の悪いときや、病気や心配事のあるときには、歌はうたえるものではない。そういう時には、自発活動も弱っている。これに反して気持ちのよい時には、自然に歌が口をついて出るものだ。そういう時には自発活動も旺盛だし、飯もうまい。
だからといって、楽譜を無視した歌い方や、拍子をまちがえたタクトのとり方や、ふざけた歌い方は、むしろ歌はない方がマシということになる。これは、指導の仕方によって、どうにでもなると思う。例えば「光の路」についていうと、「おうぞらを…」の出だしの「お」は第4拍から出るべきなのに、第1拍にしたタクトのまちがったとり方――これは各地とも非常に多い。また「君が代」は完全な4拍子であるのに2拍子でタクトをとる人がある。これなどは楽譜を読む力がないのか。ただ、手をふって調子をとればよい、と簡単に考えている人だろうと思う。もう、こうなると、3拍子の歌曲などメチャ、メチャになる。「そなえよ、つねに」の歌が好例である。
いま一つ、ちょっとむつかしい例をとるならば、「営火の祈り」の歌。あれの、8小節から9小節にかけての「いのりは…」のところの、「い」は、8小節の第6拍である。従って、そのあと「…たちのぼりて」までは裏拍子を歌うわけになる。それは、ちょうど、アメリカ民謡のオールド・ブラックジョーの歌の、アイ、カミング…のところと同じように裏拍子になっている。然るに、一般の歌うのをきいていると「いのり…」の「い」は第9小節の第1拍に、さげて歌っている。これではこの曲の切々(せつせつ)たる楽想がこわされるのだ。
この歌曲は6拍子であり、8分音符6つで1小節になる構造なので、指導の仕方がむつかしい。私の作詞作曲になる「山鳩」の楽譜――これは、3拍子と4拍子とが入りまじっている珍しい構成である。この歌曲でタクトの練習をすると、今、私の云っていることが、よくわかると思う。
最後に、「花はかおるよ」の歌曲。これは、最もむつかしい一例である。作詞者は葛原しげる氏(現に広島県福山市に健在)作曲者は山田耕筰氏である。「ボーイスカウト歌集」10頁の楽譜の右上辺に、これが書いてないのは手落ちであるが、両者ともスカウトではない。旧日本連盟の委嘱によって作詞作曲して頂いたのである。
さて、この歌曲の4小節目「なのーか」のところの歌い方、且つはタクトのとり方――これぞ研究すべき好題目である。・・・・である。これを計算すると2/4+1/8+1/4+1/8、通分すると、4/8+1/8+2/8+1/8=8/8=4/4になる勘定。「な」は2拍、「か」は半拍になる。そこで「の」と「か」との持ち時間の工合いいかん、という点にカギがある。これは、くりかえし、くりかえし自分で4拍子のタクトをとって練習して会得すべき一例である。
(昭和30年8月30日 記)
33.B-P祭にあたって
世界のクリスチャンが12月25日をクリスマスとして祝うのと同じ気持ちで世界のスカウトは2月22日のベーデン・パウエル誕生日(マス)として祝う。もう、今ではお祝いするというよりも追慕するという方が適切であろう。それは1941年1月8日、アフリカのケニヤで世を去られたからである。既に10年前になる。
外国では、その人の死んだ日を記念しないで生まれた日をその人の記念日としている。日本や東洋諸国のように死んだ日、いわゆる命日というものを行わない。イエスキリストが果たして12月25日に生まれたかどうかについては異説があるそうだが、ベーデン・パウエルは確実に1857年2月22日ロンドンで生まれた。日本の年号で安政4年で明治元年よりも11年以前である。チーフスカウトの詳しい年譜や伝記については吉川哲雄先生あたりにお願いするとして、私は、かつて大阪の高津中学(現高津高校)スカウト華やかなりし頃のB-P祭の思い出をいたしたい。
そのころ一体誰がB-P祭をやろうと言い出したのか私の記憶にないが、いつのまにか隊(そのころは団といった)の年中行事になってしまった。また、そのやり方もいつしかきまって来た。まず、その前週の名誉会議(今でいうグリンバー・パトロール・ミーティング)で各班長が相談して、隊としての企画をきめる。そして各班の分担をきめる。例えば馬班は式場係、鷲班は装飾係、白熊班はエサ係(これは茶話会の食べもの係のこと)兎班は後片付け等々である。2月の末といえばその当時、中学校としては第三学期の峠で、五年生は卒業試験もすんで上級学校入学試験の準備中であり、卒業式を旬日の後に控えている。在校生は、第三学期の試験前の一種ボヤッとする時期なので、期せずしてB-P祭がすんだら勉強にとりかかろうというキワになっていた。
いよいよ当日になり、学校がひけると皆クラブルームに集って来て服をきがえる。ユニフォーム姿になると、その頃は冬でも半ズボンなので、寒くてじっとしていられないので、各自の分担についてバタバタ走り廻る。式場は正面にベーデン・パウエルの写真を飾り、そのバックに英国旗を張りつけ、壇上、向かって左に国旗の室内掲揚柱、右側に隊(団)旗、それにならんで各班々旗を立てる。唯、異様なのは写真の前に大きな花瓶が花なしに安置されていることである。
祭典は形の如く国旗掲揚から始まり、英国旗に敬礼し、団長たる私からチーフスカウトについて短い誕生の話をする。そして各班の最年少者が、それぞれの班で集めた色とりどりの冬の花の花束を捧げてB-Pの写真の前にあらわれ“おじいさん、お誕生おめでとうございます”というような言葉をつけて花瓶に花をさす。班の順番にそれを繰りかえす。それで献花祭とも云った。
それがすむと、当番班長の発声で“いやさか”を三唱して式は終わる。これからが第二部で室内シンポジウムになる。室内営火の形でもある。唯、各班の演技の中にベーデン・パウエルの伝記の一節が必ず劇化されねばならぬのが特色である。その他はソングや室内ゲーム等々、何でもよろしい。時期を見てエサが配給される。センベイ、モチガシ、ミカン等々であるが、冗費節約のためセンベイやオカキは松屋町あたりの問屋から屑物を安く沢山仕入れて来るという点、さすがは大阪っ子である。かくて茶が汲まれ和気アイアイとして番組は進行する。約1時間半くらいで会を閉じる。またたくうちに後片付けして、たのしかったB-P祭は終わりになる。
こういう行事を私の団長であった十数年間くりかえした。時に高校や高専に進学した先輩スカウトがやって来
て、昔の自分の班をなつかしみ後輩を激励もする。鈴木君や村田君などの昔なつかしき光景なのだ。
私は、終戦後の再建スカウト各隊のためにB-P祭を行われることを進言したい。この22日を含む一週間を全国的、或いは県連的にスカウト週間として特別なEvent を持たれるよう望んでいる。アメリカではスカウト週間中全員必ずユニフォームをつけねばならないと聞いている。これは世人にこの運動を認識させる一法でもあろう。ガールスカウトはこの日をThinking Day(思念の日)として全界のGSがお祝いする。
下に記した一文はB-Pが1941年1月8日アフリカのケニヤでなくなられた、直後発見された遺言文である。アメリカ版の“Scouting for Boys”の巻末に出ているのを私が下手な翻訳をして見た。これをもっと上手になおして貰いたい。そしてB-P祭の時、朗読するならば、我々の追慕の念を最も適切に表すことが出来ると思うし、この祭典の意義を最もよく発現するものだと考える。
チーフ・スカウト最後のメッセージ
親愛なるスカウト諸君
君達が、もし、“ピーターパン”の芝居を見たことがあるならば、海賊の頭目がいつも、遺言状を用意していたことを思い出すであろう。それは彼が死期の来た時、彼の箱からそれを取り出す時間がないかも知れないことを虞れたからである。それは私の場合も全く同様であるから、今私は死ぬのではないけれども、私はそういう日の来ることを思って君達にサヨナラの一言を送りたいと思う。
諸君が私から聞く最後のものになるだろうと思ってほしい。くれぐれもそう考えられんことを…。
私は最も幸福な生涯を送った。だから君達の各々にも亦幸福であるよう私は望むのです。
私は神様が私たちを幸福にすべく、生を楽しむべき愉快なる世界に下し給うたことを信ずるのです。幸福というものは金持ちになったり単なる立身出世することや、我がまま気ままから来るものではありません。幸福に至る一つの階段は、君達が自身を少年の時代から健康に強壮にすることにあります。そうすれば君達が大人になったとき、役に立つ人間になることが出来、そして生活を楽しむことが出来ます。
自然研究というものは、この世界が美と驚異に充ち満ちていることを教え、神様がそういう世界を君達の快楽のためにお造り下さったことを示すでしょう。
君達の得たるところのもので満足し、その最善をつくしなさい。物事の暗い面を見ないで明るい面を見なさい。
けれども本当の幸福を得る道は他人に幸福を与えることによって得られるものです。諸君の発見した世界より、多少でもこの世界を善いものにするならば、君達の死ぬる順番が来たとき、君達は自分の最善をつくしたのだから兎に角、時を無駄にしなかったという幸福を感じながら死ぬことが出来ます。この考え方の上に“そなえよつねに”を行なって幸福に生き、そして幸福に死ぬこと――それはスカウトのちかいをいつも実行することです。
――たとえ諸君が少年であることをやめた後でも――そうすれば神様は諸君を助けて下さるでしょう。
君の友
ベーデン・パウエル・オブ・ギルウェル
(1941年1月8日、ベーデン・パウエルの死後彼の書類の間から発見されたものである)
私は、三つの“ちかい”をこの意味から“幸福への三つの道”と考えている。
私は偶然にも2月21日に生まれたので、B-Pmasの前夜祭を祝う幸福をもつ。
なお、このB-P祭当日の2月22日は、ワシントンの誕生日であるとともに「国際友愛日」(International Friendship Day)であることを追記する。
(昭和26年2月1日 記)
32.冬のスカウティングとプログラム
スカウティングは1年を通じて休みというものがない。スポーツならば夏に出来なかったり、冬に出来なかったりするものがあり、いわゆるシーズンオフということがあるが、スカウティングにはシーズンオフはないのであるから、リーダーは冬でもプログラムをもたねばならない。
ところが実際、隊の状況を眺めると、冬季の12月は反省会とか忘年会、1月早々は新年の会合など、半ば行事的なプログラムによって集会をうづめることが出来るが、1月の中頃から2月、3月にかけては休隊状態に 陥る傾向がある、これは
(1)学年末で隊員の学校生活に余裕がなくなり、隊、班活動にこれが響いて欠席がふえるため。
(2)リーダーの方でも教員の人はこれと同じ理由で力をそがれる。
(3)寒さのため戸外活動がにぶる。
(4)室内集会にすることは場所、暖房などの手間がかかって引きうけてくれる人がない。
(5)寒いことから来る横着性――等々が、一般的の理由である。ただし土地の状況によって多少の差異はある。
以上のことは外国のスカウト界にもあるようで、従って冬のスカウティングについてのやり方が研究され、単行本になって出版されているようである。私の所感から申せば、これは結局、プログラムの貧困から来ることが、実際の原因だと思う。すなわち“種子(たね)ぎれ”状態が、たまたま冬季にばれた――馬脚をあらわした――と診断する。もし、プログラムが豊富であり、それの展開が隊員をかりたて、以上述べた冬のシーズンの不利な条件を克服さすだけの魅力があるならば、休隊状態に陥ることは充分免れ得られるのである。
ではそのような、魅力のあるプログラムはどうすれば作れるか? という本質的な題目にぶっつかる。そこでまず、冬――というものを研究せねばならない。指導者にとってのホームプロジェクトの第一歩はここに始まる。“冬将軍”の研究――。
冬というものがスカウティングの実施上、プラスに役立つ面と、マイナスになる面とがある筈だ。前記の(1)から(5)に至るファクターは、いづれもマイナス面である。こうしたマイナスファクターは、実は年中どのシーズンにでも若干あるので、冬ばかりに限らない。冬場が比較的高率、高濃度だというにすぎない。
ここで考え方を変えて、プラスの面を検討して見るならば、冬にしか出来ないことがいくつもある。冬の自然研究、霜、雪、霰、氷、濃霧を巧みに生かしたゲームや観察、救急法(結索を含む)、信号、方位、測定(測量)、追跡(雪中)、焚火(雪、風、氷上)と調理と後始末、冬の星座(1年中で最もよく見える季節である)それらを含めたハイキング、夜行ハイク、そのどれもが視、聴、嗅、触、味の五官の訓練を伴い、温度感覚、距離感覚、時間感覚を付加される。冬場あまりキャンプに行かないようだが、東京以南の西日本なら大体出来ぬことはない。
ただし山など高い所は避けねばならない。氷点下3度位までなら出来る。
室内集会となると、これは特に冬の魅力である。設備や場所に多少の難はあろう。だが、隊長は、隊委員と力を合わせて、室内集会の場所を是が非でも獲得してほしい。隊長の資格の一つでもある。ことに北日本の隊では、室内集会場をもたないならば致命的マイナスを来たす。
隊長を20年つとめたようなエキスパートでも、1人でプログラムをすらすらと年中立てられるものではない。
彼が職業的リーダーでない限り、時間的に無理である。もし出来たとしても、それが最良ではない。隊長は副長、副長補、隊付、上級班長と合同してテーマを選び、そのテーマを中心として次週から次々週まで、或いは月間のプログラムを作成することを本則とする。幹部訓練という面を忘れてはならない。隊長は隊員だけを指導するのでなくて、副長以下の中級幹部の教育をも行う義務がある筈だ。
これで出来たプログラムはいわば、幹部の行ったプロジェクトであり、ワークショップでしかない。これをそのままナマで班長に手渡して班訓練に流したのでは、班長や班のプロジェクト・ワークショップにはならない。
素通りで終わってしまう。どうしても、これをさらにグリンバーの訓練(班長訓練)にかけて、班長のプロジェクトやワークショップにしなければ身につかないし、彼等のスカウティングにならない。
このようにして、隊のプログラムは出来るのであるから、“種子切れ”のあろう筈はないのである。一人がいつも作るのなら種子ぎれはあるかも知れないが、たくさんの人々が、それぞれテーマを中心にプロジェクトしたり、ワークショップするのだから“3人よれば文殊のチエ”とやらで何か出て来る。この何か出て来ることがスカウティングの面白いところなのだ。またそういうふうに仕向けることがスカウティングだともいえよう。だから種子ぎれになった人は、スカウティングでないことをしていた――のではないかと自省されたい。
最後に結論を申し述べよう。以上いろいろとファクターをならべたのは、考え方のより所を作ったにすぎない。
また、プログラムを作る方法として幹部会、グリンバー集会などの段階を述べたが、それらは途中の駅であって終着駅ではない。終点は個々の少年である。実はその個々の少年のスカウティングのために、班や隊や、地区や県連や日連が奉仕し、成人指導者や育成会が奉仕しているのである。無論、それら各々にはそれぞれの立場においてのプロジェクトを通じてのスカウティングはあるけれども、これらは恒星であり或いは遊星であり、星群であり、星座であるにすぎず、太陽系の中心は太陽である。ボーイスカウト宇宙の太陽は、実に、個々の少年である。
従って真のプログラムは個々の少年自体を対象とされる。その個々の少年に一番身近いものは“班”である。
この班が立派な班機能をもっているならば、絶対に種子ぎれはあり得ない。
“種子は蒔いても芽は出ない。そのうちに種子はなくなった”とこぼす人は、土壌のあり方を検討して見るとよい。土壌(班)に欠陥があるようだ。酸性土壌かも知れない。そしていきなり、畑へ蒔かないこと、その種子を苗床(幹部会)に一旦蒔いて発芽させた後、分ケツするよう、グリンバーにおろし、班(土壌)ごとにそれぞれの要求する肥料を施して育てることだ。
冬の農閑には工作や救急法や、モールスの暗記など好適のテーマとなろう。
2月22日の“ベーデン・パウエルの日”(いわゆるB-P祭)の行事、2月12日の日連再建記念日の行事、それを中心としたスカウト週間の行事など、行事面もプログラムの中に生かしたい。
(昭和27年2月4日 記)
31.スカウト百までゲーム忘れぬ
相当の老頭児(ロートル)が陣羽織を一着に及んで子供と一緒に兎狩りをやった。大阪連盟のB-P祭の記念行事は誠に愉快な企画である。
私は妻から「オオドモのコドモ」という異名をつけられたので「大伴子朋」という筆名を用いることがある、まことに光栄である。
B-Pは“Boys man”(子供大人)という言葉を発明し、スカウターは、童心をもつべしと条件ずけている、子供と一緒に遊べないようなものは隊長になれない、というのである。
“Scouting”は“game”である――という言葉もこれと同じように名言である。もし我々が、日常生活までを一つのgame としてこれを楽しむようになったら、その人の人生はB-Pの理想に叶うのであろう。
学校の勉強も、試験も、就職も、そして職業も、結婚も、家庭生活も、社会生活も、病気も、失恋も、煩悶も、
死も、悉くをgame としてゆけるかどうか――私には自信はまだない。ただし、このことは、悪フザケにフザケた一種のニヒル的な態度とは大いに違う。と、いう注釈が入用である。それ故にgame とは何か? ということの解明が不十分であるならば、極めて危険である。ピストル強盗のようなものは、我々のいうgame ではないのである。ストライキのようなものもgame じゃない。
game は所詮「こころ」の問題である。形じゃない。従って、これは「わらべ、ごころ」(童心)がモトである。
然し、その童心とは、良識をはずれた無分別であってはならない。少なくとも「大人の童心」は良識そのものであらねばならない。そこに指導性が内包されねばならぬからである。邪気のない、曇りのない、作意のない、極めて自然な天真らんまん、天衣無縫の利害を超えたものである筈。
スカウティングをやっている仲間のみが味わい得る境地であろう。
今一つ、つけ加えねばならぬ。それは、game には必ず相手があり、仲間が出来るということだ。
人と人とのつながり、人に対する在り方、思いやり、Caie、covei 責任そして「励まし」「扶けあい」「協働」(CO-operate)などという、生き方が知らず知らずのうちに身につくようになる。
利己的、独善的な横紙破りはgame をぶちこわす。ルールを守り、他の人々と結ぶことによってgame は成り立つ。
「なんとう」誌が24号も続いたのも、game だからである。イヤイヤながら「仕事」として科せられたらモウ続かない。
“スカウト百までゲーム忘れぬ”“雀百まで踊り忘れぬ”と、いう言葉があるが、私にはそれよりかこの方がピンと来る。
(昭和32年3月21日 彼岸の中日に記す)
30.自分のプログラムというものをよく考えよう
この半年にわたって私は相当各地のリーダーと膝をまじえて語る機会に恵まれた。そして、何処でも、プログラムという問題で悩んでいることを訴えられた。その、いうところのプログラムとは何か、と、聞くと隊のプログラム、地区のプログラム…時として班のプログラム、それを、どう作ってよいかわからないので、日連できめたものを出してほしい、と言われる。私は前後して、カブの講習を応援のため、各県をまわった井上茂氏からも同じような訴えがあるときかされた。
そんなものを中央で作って流したならば、それは隊や班の自主性、否々個人の人権をも無視した統制団体、例えばヒットラー・ユーゲントや、大日本青少年団になりますぞ! と、M氏が警告したという話も耳にした。再建10年とか、日連35年とかいわれている今日、いまもってそんなタヨリないというか、少年団的な、一律他力統制がプログラムだと考えている人が割合に多いのに、私はガッカリした。どうしてこんなにみんなは奴隷になりたがるのだろうか?
プログラムは自分のプログラムに出発する。自分は今、県コミである、或いは隊長である。または理事長である、とするならば、自分が今しなければならないことは何であろうか? 何に一番努めなければならぬのだろうか?
ここにその人の今のプログラムが出発する。隊員においても同様である。学校の勉強もあれば、家庭の用事もある。スカウトの修行もある。それらを計算にいれて何年の何月に2級になり、何年何月までに1級になっておかないと受験準備が出来ない。と、いうように、各自めいめい別々のプログラムが立てられるべきである。
そういう個人プログラムを全然指導してやらないで、群集心理で作ったり、指導者の側の都合で一方的に作った班のプロ、隊のプロに便乗させようとするのは危険ではあるまいか? 勿論、班とか隊とかいうもの自体にも自体としてもプログラムがなければならない。組織体であり有機体であるならば「あゆみ」があるのは当然である。しかしこれは班や隊が果たして有機体であるかどうかという吟味、分析にパスした上での話である。寄り合い世帯の、烏合(うごう)の衆みたいな班や隊には、有機体としての生命力が欠けているから問題外である。
そんな問題にもならんような、形だけの班、形だけの隊の、班プログラムや、隊プログラムで、個々の隊員の、大事な生活のあゆみを縛ろうとする大人の横着さを私はにくみたい。だが、勝負はもうついている。縛りきれなくて子供たちは逃げていった。どうすれば子供を逃がさずにいけるか?
こういうイミで、大方の人々はプログラムに悩んでいる。――これが本当の姿ではなかろうか?
もし、私の、診断どおりであるとするならば、「あなたは、スカウティングでないものを、スカウティングだと思ってやっている。」と、忠告してあげるほかはない。
(昭和32年5月9日 記)
29.強制ということについて
親愛なるT君、お手紙ありがとう。お元気で何よりです。お手紙の中で、“スカウティングに強制ということ”が問題になっていることを知りました。果たして、強制ということがあり得るものかどうか、お質問があったので、この誌上をかりて私見を申しのべることにいたしました。
ある隊員が、隊長のいうことをきかない、とか、みんなと協調してゆかない。とか、班生活をみだすとか、集会に出て来ないとか、横暴であるかということは、スカウトが、もともとやはり人間である以上あり得ることです。これをなおすため、隊長が見せしめのため全員の面前で叱りつける、或いはある種の制裁? を加える――という意味から、「指導者に強制力ありや」という問が出たようですね。
ほかの言葉で云えば「教権」ありや――ということになります。教権ということは、既に、教育界でも論争があったことで、「有る」という人と「有りはするが濫用してはならぬ」といった人々があって、「無い」と断定した人はなかったようでした。もっとも、これは十何年昔のことで、現在はどういうか知りません。そんなことは、ここではどうでもよろしい。私はいわゆる「反抗」ということを、もっと検討して見たいと思う。「反抗」の本意がわかれば、それに対応する教育指導は考えられると思う。この研究なくして指導法のみを論じたのでは、変なものになりはしないか?
ある意味で私も一人前以上の反抗児であったので、「反抗」という文字には魅力をもちます。それで、ますますこの研究に興味をもちました。私は次のように「反抗」の種々相を分析してみました。
A.少年自身から発する反抗
これは、他の力への反発ではなく、その少年自体に原因があり、他人の力をかりずに、独力で反抗するものです。これには次のケースがあるようです。
a. 自分でもわからないが、本能的に潜在的に、したくなる反抗、ちょうど空気を呼吸するのと同じように、むらむら、自然に起きて来る。
b 自分の存在を示したい本能から、非凡なことをして、人の注目をひこうという、英雄的心理から来る反抗、やや無軌道ぶり、前後の見さかいがなくなる――これはスカウト年令の者には、量の多少こそあれ共通にもっている。
アプレゲールも、この部に属し、不良少年の出発点にも多い。
c ふとした思いつきから、反対のことを、やって見るという反抗、別に他意もなければ、悪意もない。一種のレクリエーションみたい。これは少年心理的に一種のバランスになることもある。動あれば静あり、静あれば動あり、といったような振子の作用のような、プロペラの回転のような、一つの前進運動か?
d 善いことは、すべて偽善である――ときめて「オレは逆コースを行く」という反抗。これはニヒル性反抗と診断しておこう。シニアースカウト年令にちょっと出る奴。
e 実際は外部(他)から誘発されたのでないのに、自分でそうきめて人を恨み、意趣返しの心理から起こる反抗。人から笑われた、馬鹿にされた、圧迫された、人権を犯された。――と自分できめ自分を卑下し、自分を嘲笑した末に、そのハケグチとして爆発する――時に暴力を伴う。――妄想的反抗、自家中毒症、被害妄想型。そのハケグチたるや、どこにどういつ出るのか本人にもわからない。まアこれはヒステリー的反抗である。
f 平和になるとシャクにさわる、平和を破って見たい本能から出る反抗、いわゆる事件屋的人物によくある、変態的な嗜好です。悪い道楽、イヤガラセなどする。「人生は斗争なり」という赤い哲学を生む。
g 勝利観念の異常に発達した少年によくある。敗ければアテツケイジワルという反抗を発し、勝てばゴウマン、傍若無人という反抗を表現する――これが勝ちつづけるとボスになる奴。
h 至って素直でない、ツムジ曲がりの児の場合で、イイワケしたり、クチゴタエしたり、モンクをつけたりする軽反抗であるが、少々ウルサイ奴、ヒチクドイ奴。
i 改善欲の盛んな少年にある現状打破、革新派、何に限らず現状では飽きたらぬ奴。これも反抗の一種、極めてよい場合も一面にあるが、朝令暮改でもある。
j 支配欲旺盛でなんでもリードしなければ治まらぬ、それには何かの立場を作らねばならないので、曲がっていても頑張るという勝気な子供に出る反抗の一種――これもボス型。
k 非妥協性の少年。他人と協調出来ない我がままから出る反抗。いつも番外扱いされる。自分もそれをよく承知しているのに協調しようとしない。
l 反抗のためにする反抗、アマノジャクである。反対反対へといつも出る。アーユートコーユー奴。これは多少誰にもありそうだ。愛嬌になることもある。
m 忠言癖から来るもの。一言居士的の反抗大久保彦左衛門流。
以上列挙して見ると、反抗にもいろいろある。先天的の性格から来るもの、自己防衛本能から来るもの、競争本能、支配本能から来るもの等々、というものが、隊長の意志と正面衝突する。衝突した瞬間、一々これを分析する余裕がないから、「隊長」は、「教権」に挑戦したな!…とばかり立腹してどなりつける。「親」にも「先生」にもこれはある。
ところがその大部分は、潜在している本能から出発していること上述のとおりである。このことは、反抗している少年ご本人にも、その自覚がない。そこで叱られている本旨が一向にこたえんものだから、叱る方はますます激怒する。――一体この取引は有効なりや? 恐らく無駄弾丸(ダマ)に終わるだろう。怒るだけ損ということ。
一体教育とは何であろうか?(ひらき直るようだが)それは、第一に本能の浄化(或いは昇華)にあるのではないだろうか。持って生まれた本能をよい方向にむける。本能をそのままに放任しておけば、人間は犬猫と何らちがわぬ動物になりさがる。その上、各人各様の性格をもち、誕生以来育って来た環境が、それぞれ皆異なるのであるから、教育は一筋縄には行かぬ。ワクにはめる「強制」というものは考えられない。
もう一歩考えを深めるならば、成人指導者の側から名づければ、それは「反抗」と名づけられるだろうが、子供の側からいえば、それは反抗ではない。ではそれは何か? 私は子供のために、あえて弁護してあげよう。
(子供は表現力が一人前ではないからね。)よく聞いて下さいよ。隊長さん達。どこの国の子供でも、どんな子供でも「僕はこれだけ成長したよ」といって、親にも兄さんにも、先生にも、隊長にも「見てもらいたい」のです。「認めて貰いたい」のです。身長が何センチ延び体重が何キロになった――というように、心の成長をも認めてほしいのです。ですが、それをどう表現したら認めて貰えるのか? 子供の乏しい表現力では大人に通じない。
ここで世界で最大の悲劇が生まれているのです。どう表現すれば認めて貰えるか? いろいろ試しているうちに、成長なんていう重大なことをとかく見のがしがちの大人どもは、生意気云うな! とすぐ云いたがる。この発信者と受信者との未熟練から、意思が疎通せず、子供は業(ゴオ)を煮やし、大人は短気になり、「反抗」は成作されるのです。ですから、反抗――とは、大人と子供合作の演出劇ですね。
考えてごらんなさい。万有引力が働いて、雨も天から地に向かって降る世の中に、なぜ草や木は逆に地上から上に伸びるのでしょうか。
私は成長とは反抗だと思います。反抗なくて何で草木が伸びうるでしょう。ですが、大宇宙の心は大きすぎます。この反抗をだまっています。
草木はその大きな心に甘えているからです。私は反抗とは甘え得る者のみがなし得る特権だとね…。」
これは私が青年時代に書いた下手な脚本の中の一対話です。
要するに、以上のAに属する反抗は、各人各様のもので、その起因もいろいろのケースがある。彼は「成長権」を叫んでいるのに、我は「教権」で渡り合い、「強制」せんとするようなことは、およそ悲劇(喜劇?)の骨頂であって、いわゆる「反抗」をして本物の「反抗」に育てあげる結果となり、世に流行の逆コースとなりはしませんか。どうもリーダーのサインのつけそこないのように思います。
次にBの分類――ほか(外部)からの原因によって起こる反抗、これにまず(a)(b)ありとする。
a 暗示にかかり易く煽動されて反抗派の代表となって反抗する。
b 自分には反抗の意志はないが、皆から推され、或いは義侠的に買って出て反抗する。
二つとも学校ストライキによくある型です。前の英雄型も多少含んでいる。これは要するに自己の意志の弱いことが主因です。すなわち自己本来のペースがない。いつも他人に引きづられる。大変危険人物です。これには、もっと「自己」を知らせる教育が必要です。それには彼の「特技」を発見させ、これを伸ばさせて、その特技を通じて「分担」と「責任」とを体得させ、それによって「自己」というものを知らせ、自己の在り方を知らせることが大切でしょう。「分担」から「全体」がわかって来ます。
例の義侠心も、この土台の上で発揮されれば聡明(分別力)を伴ったものとして賞賛に値します。自己のペースを知らんということはなんとしても不聡明のことです。いつも他人に引っかき廻されていては、どこに彼の「生活」があるのでしょうか?
次はc項。これは彼の班生活から来る反抗です。すなわち班の他の者との折り合いが悪いとか、ウマが合わぬとかいうことが原因になる。
a 班長の固癖と彼の固癖の衝突。
この場合、班長は強制的に出ましょう。ところがそれが、その班の伝統的精神(フンイ気)に合致していれば正当化されるが、班長それ自身の独断(ワンマン)や、固癖が基準になった圧力であるならば、これは班長自身がまず班精神を犯している次第でお話にならない。
b 班員が多数決をもって、彼を圧迫するため起こる反抗。
抑々善いから多数決になるので、多数決だから常に善いのだという逆説は あり得ない(日本人には、この逆説の方しかわかっていないことが多い。)前者の場合その圧力は正当化されるが、逆説 の方であるならば、彼の反抗の方が正当である。
a・bともその判断の基準は班精神である。日本BSの現状ではそこまで班制度が育っていないように思います。そんなことでは「ボーイスカウトは行方(ゆくえ)不明」です。
最後のd項、これは隊長が「反抗」の原因を作る場合です。私は次の諸項を列挙して隊長の反省の資料といたしたい。
次のことが「反抗」の原因になる。
a 隊員にあることを説明する場合、その表現に研究の要なきや?
イ.自分だけにわかっていて、聞き手(ことに少年)に意向が汲みとれぬ。
ロ.あまりくどくどしくて反感をもたせる。
ハ.あまり命令的、強制的で反感をもたせる。
ニ.態度が気にくわぬ。
ホ.あまり表現が下手(へた)で、混雑させる。
ヘ.大人言葉では子供に通じない。
ト.少年心理に合わぬ表現。
b 旧軍人式の号令、命令口調(くちょう)が出やしないか?
c ガイダンスの不備
少年から引き出すことをしないで押しつけやしないか?
d 興味を呼び起こさすことを忘れ、興味を押し売りしてはいないか?
e 自律自発にもちこまないで他律的になっていないか?
f 討議せず隊長の一存で臨んでいないか?
g 試行錯誤をやらせないで短気に成功を急ぐことはないか?
h 成長ということを考えていないのではあるまいか?
i ユーモアに欠けていないのか?
j 「寝ている人を起こす」ように、隊長自身の出来ぬことをやらせていないか?
k みんなの前で叱っていないか?
l ほめることの方が叱るより効果あることを経験していないのではなかろうか?
m 自制自戒に訴えるため「手紙」による指導をしているか?
これは何月何日何時(就寝の頃)開封せよ――と記した手紙をそっと本人に渡す。手紙文には、隊長の愛の心のこもった訓諭が書いてある。それを寝てから読めば必ず反響がある。
n 「ちかい」「おきて」を他律的な攻め道具にしてはいないか?
o 「おきて」の本文とは注釈文も含んでいる。注釈文にしても、実はあれも本文なのだからよく読ませて自戒させること。
私はイギリスの“スカウティング フォア ボーイズ”、アメリカの“ハンドブック フォア ボーイズ”、“ハンドブック フォア スカウトマスター”を見ても「強制」ということを発見しません。“エイズ ツースカウトマスター”には、いかにして隊員をキャッチするか?――という所がある。
結局、隊長が隊員を充分にキャッチしていないのが根本の原因だと思う。充分キャッチしておれば、「強制」を発動する必要はないのではあるまいか。
なお、これを一つの資料として、円卓会でプロジェクトしていただき、私へもその結果をおしらせ願いたいと思います。この説に「反抗」されても怒りませんから。ただし私は決して「反抗」を美徳としたり、奨励してはいません。最後に一言!
(昭和27年3月20日 記)
28.少年がBSから逃げていないか
Boys are in scouting because they want to be and not because they have to be. They stay as long as the program satisfies them and only as long as it holds their interest and enthusion.
“少年達がスカウティングしているのは、したいからしているのであって、せねばならぬからしているのではない。彼等はプログラムが彼等を満足させる限りにおいてのみ、とどまり、そしてプログラムが彼等の興味と熱意とを保持する限りにおいてのみとどまる。”
この面白い言葉はアメリカの“Commissioner Service Manual”という書物にあるものである。実に端的にものの道理を説破している。英文としても中々面白い文章と思う。
一体日本のスカウティングは現在の処、何をもって少年達を引きとめているだろうか? と反省して見るのである。恐らく少年達はバッジや服装にチャームされ、キャンプやハイクに引きつけられ、一風変わった三指の敬礼やスカウトサインに一種の魅力を感じて、辛うじて隊員たることに満足しているのではあるまいか。
もし、それ以上のもの、例えば班生活の味わいとか、責任と義務の喜びとか、いうものでスカウトがやめられない分ならよろしい方である。最初は物珍しいからよいものの、キャンプの5~6回もして、こんなものか――と珍しさが薄くなると、丁度2級に半分なった頃になると、段々集会にも来なくなり新制高校に入る頃になると逃げてしまう――というのがありはしないか?
これは指導者の教養の不足、経験の乏しさもあろうが、それならそれでproject しようという熱の貧困の方が大きい。一年もすれば種ぎれになる。資料をかき集めるのはまだよい方で、それさえやらない。日本のBSは目下のところ指導資料が貧弱であるから探し求め得ないことも同情に値する。
英文の読める人達だけがアチラの資料を何とか利用している。けれども私は罪を資料難に帰するだけではイクジがないと思う。問題は指導者の創意工夫の欠乏、換言すればプロジェクトの不足に訴えねばならない。それよりもさらに何故子供達にプロジェクトさせて良いプログラムを自分等で作るよう仕向けないか? ――という点である。
経験のある大人でさえも中々プログラムを考案しかねるのに、まして、もっと新米で智能も低い子供にそんなことが出来るものか――と云う人もあるかも知れない。無論イキナリ立派なプログラムが出来ようとは予測しない。けれども、そういう方向に教育することがスカウティングではないであろうか? いつも大人の幹部の立てたプログラムや県連のプランした行事への参加ばかりに隊員が動かされていて、それでスカウティングなんだろうか?
前記の英文の言葉は指導者に対するボエンであって、プログラムもよう立てられんような指導者だから子供を逃がすのだ――という逆説的なイミを含んでいる。その点で天下りのプログラムを指しているようである。勿論指導者にその能力がないということは、指導者として致命的な欠陥である。といって、彼がプログラム編成の名人であったとしてもそれ故に彼が立派な指導者であるとは申されぬ。というわけは、子供にそれをやらせないからである。
子供にやらせないということは彼が名人であって得意だからだ。その結果はどうか? 彼は巧みに子供をアヤツっているが、子供自体は少しも育たないのだ。依然として、子供達は「せねばならぬから」やっている。という形だ。下手でもよいから子供にやらせる。そして作ったものをディスカッションする。評価する。そこに教育があり、子供は育っていくのではあるまいか?
得意になって指導者が引きずり廻している間は教育の教だけの世界であって、育はお留守になっているといわねばならぬ。子供にやらせるには、そこに分担というか割当(assignment)が必要である。割当はその各の子供の好きなことをとらせる。割当られた子供は責任と興味とを感ずるであろう。これスナワチ云うところのプロジェクト教育法の出発である。
次に子供は観察推理工夫をするだろう。指導者はそれに「方向ずけ」(orientation)をすればよいのだ。これがスカウティングの本道であって、その本道を歩く者がスカウトである。
服装やバッジに心をひかれている間は、まだカワイラシイ卵である。それが孵化しなくてはならぬ。それも大きいスカウティングの一つのプログラムだから大事だ。コワシてはならない。
(昭和25年9月12日 記)
27.自分に敗けない
6月24日から、私は少し無理がたたったのか、肝臓の周辺大動脈のあたりの腫脹のため、静養することになり、今日で正味1カ月、自宅で坐業している。この好機にかねてから着手していた、B-P著「The Wolf cub's Handbook 」の全訳を目標に、日々炎暑と戦っている。そしてすでに1カ月となった現在、第Ⅲ部(指導者用)を訳了し、前の方に戻って、第Ⅰ部(カブ用)を進行中である。これは、コドモに読ます部分なので、用語、文字、文脈に一方ならぬ苦労をしている。ことに、新送り仮名法が発表された折りも折りとて、その苦心は並大抵ではない。毎日8時間平均、ペンと辞書を友として、汗をかいているのだが――。
頭の中では、「自分に敗けない」――これをモットーにしている。
英国カブのロウ(さだめ)は
1.The cub gives in to the old wolf.
1.The cub does not give in to himself.
の二ヶ条である。
恩師、佐野常羽先生は、戦前、これを邦訳して――
1.目うえをうやまう
2.わがままをしない
とし、日本のカブのおきてにされた。先生がgive in を「うやまう」とし、give in oneself を「わがまま」と訳されたのは、きわめて日本的、または東洋的で、結構であるし、敬服している。リズミカルな点もよい。
ところが、このHandbook を訳しているうちに、いろいろ出てくる例話をとおして、私は「give in」を本来の訳語の「したがう」に「does not give in to himself」を「自分に敗けない」と訳した方がぴったりすると考えて、そう訳しておいた。
その後、同書の旧訳本「幼年健児教範」(大正16年1月日連刊行)によると、
一 幼年健児は年長健児に服従します。
二 幼年健児は自分に降参しません。
という訳になっている。この訳は多分、当時の日連参事、奥寺龍渓さんの訳だと思う。(奥寺氏は、既に故人、沢山の良書を邦訳された)
さて、「自分に降参しない」という表現力はなかなかおもしろい。当時のコドモには、コウサンという言葉が日用語だったからである。しかし、今日のコドモの用語は、コウサンなんて漢語より、「まけない」の方が親近感があるのではなかろうか?
「わがままをしない」ことは「自分にまけない」ことから生ずる行動的な面をもつ。しかし、同書のB-Pの示した例話をみると、「がんばる」とか「しんぼう強い」「屈しない」という語の方が的中する。いづれにせよ、「自制」であるが、私は「まけない」という訳語をとったのである。少年、年長、青年スカウトの「誘惑にかからぬ」の前提になるとして――。
とにかく私は、7年前、59才の時、「スカウティング フォア ボーイズ」を訳した。あの時は実働121日で訳了した。そのレコードに、まけてはならん、出来れば新記録を出したいものと、「自分に克つ」「自分にまけない」を実修中である。
万一、日本ジャンボリーに参加が出来なくても悔いないつもりである。
ことは肝臓疾患に発生したのだから、キモに銘じて忘れず、キモをつぶさぬよう、ねばること肝要々々。
(昭和34年7月24日 記)
26.新春自戒 ジャンボリー
今年は、第10回世界ジャンボリーと、第2回日本ジャンボリーの年である。
ジャンボリーなるものは、スカウトの祭典にちがいはないが、単なるお祭りさわぎには反対である。
戦後、諸外国の人々との往来が、航空機の発達にともない、はげしくなったため、鎖国的な日本人も、外人と接触する機会を多く持つようになっては来たものの、地つづきの大陸民に比べると、まだまだ“give and take”する機会が少ない。
そこへさして、戦後、日本にも混血人が殖えはしたものの、日本という国の国民編成は、あたかも、単一民族であるかのように、まとまって実に平和である。他国ではなかなかそうではないのである。
人種、民族、信教、国語、文字を異にする人間を、抱き合わせている国が大変多いのである。
それだから、おきて第4は、そういう差別を超えたヒューマニズムな「友誼」を、勇気を出して実行するよう、スカウトたちに望んでいる。
「スカウトは友誼に厚い」だの「スカウトは総ての人を友達と思い、総てのスカウトを兄弟として、正しく明るい社会を作る」――というような、誠に平盤、単調なおきてではないのである。もっと切実な、具体的な、国としての、悩みと苦痛を、治療せねばならんという祈願が、外国のちかい第4にうたっている。(スカウティング・フォア・ボーイズP17参照)
1937年、第1回インドジャンボリーにあたり、眼前に、第5回世界ジャンボリーが、オランダで開かれることがわかっておりながら、インドにおける人種、民族、宗教、そして印度独特の、先天的階級制度(種制――カースト――という)による、人間同士の闘争、反目、アツレキ、陰謀――それは生死、生命に関する――を必配し、ひいては大英帝国の統治の上に、これが大きなガンとなっている。この国難の打開という点からも、彼の「国に誠を尽くす」という実行の上からも、B-Pはもう立ってもいてもおられず、永い船旅をして印度にわたった。 時に、B-Pは80才の老人であった。しかるに、釈迦さえ達成できなかったその解決を、scouting は立派に達成していた。集まってきたバルテス族や、ベンガル族の少年たちは、仲よくキャンプをし、「もう、ぼくたちの時代は、お互いに首狩りをせずにすむね――」と云っていたという。(レイノルズの書物The scout Movement より)
ジャンボリーの本質は、このひとこまに要約されると思う。
ゲームを通しての、ヒューマニズムの実践――これである。(「スカウティング」昭和33年8月号 P1B-P生涯の絵物語の南亜と印度の項参照)
私はジャンボリーの企画者も、隊指導者も、よくこの点を心得て企画し、参加スカウトたちに了解させておいてほしい。と思う。私は、ジャンボリーを、単に訓練の“give and take”の場なり――と片づけてしまうに忍びないのである。前述のように、異人種、異民族、異宗教徒について、あまりにも接触する機会の少ない日本のスカウトたちにとっては、ことのほか、おきて第4実践のよきチャンスだということを指摘しておきたい。こうした努力の足らなかった点を自ら戒める。このことは、次の段階では、おきて12「スカウトはつつしみ深い」につながってくる。「スカウトは信仰の心をあつくして、そのつとめに励む。しかも謙譲の心を失わず、他人の信仰や主張や風俗を軽んじない」
即ち、世界的公民資質を、「実行することによって学ば」させる「場」――それが、ジャンボリー、特に、世界ジャンボリーの目的ではないかと思う。
今まで、その分析の足らなかったことを自戒する。結果的には、世界平和運動に寄与するであろうが、そうかといって、世界平和運動や、国際運動のために、ジャンボリーをやるのだ、といいきることに対しては、私は異議がある。
スカウトである私(我々)は、まず、その行動の第1歩を、いずれの場合でもちかい、おきてから踏み出さねばならない。そして、その実践(プロジェクト)の結果の反省や評価の終点は、これまた、どんな場合でも、ちかい、おきてに戻って、分析し評価されねばならないと思う。だからこのスタートラインと、ゴールラインとを無視した進行そのもの、運動だけのものを見て、それが、カリキュラムであるとみることは、早呑み込みであり、マトがはずれている。と、私は自ら戒める。
(昭和34年1月1日 記)
25.B-Pはおきて第4をこのように実行した
英国の、おきて第4は――「スカウトは、全てのものの友であり、他のスカウトたちと兄弟であり、その者の属する国と階級または信条(creed)の如何を問わない。」
日本の、おきて第4は――「スカウトは友誼に厚い。スカウトは総ての人を友達と思い総てのスカウトを兄弟として、正しい明るい社会を作る。」と。
読者は、以上の二つをならべてみてどう思いますか?
私は、日本という国が、その昔は色々な人種民族の混在していた国であるが、今では、まとまった融合されたものになっているのに感謝する。それも小さく分析すれば、部落問題などのシコリが残っているかも知れないが、他国と比べるなら問題ではない。あの近東の、アラブ対イスラエルの対立などとは比較にならない平和国家といえる。
英国は、なかなかそうはゆかない。特に1600年代以来の発展によって多くの海外領土をもち、幾多の異民族を含めた大英帝国としては、その統治は容易ではなかった。カナダ、南アフリカ、インド、オーストラリアなど、現在次々と独立国となってしまってはいるが、大英共栄圏としては、今なお多種多様の人種、民族、宗教徒を抱いているのである。だから、おきて第4のいい方は、対内的にも通用する表現を帯びている。
今では、インドはインドとパキスタンの二つの国に分かれているが、昔は一つであった。そして、インド教徒と回教徒が対立していた。このほかに種姓(caste)という生まれながらの階級が、千何百階級にも分かれていて、上級の者は下級の者にモノも云わない。昔、釈迦が仏教をおこしたのも、実はこの悪習を改めて平等に「一切衆生」とみる仏の慈悲を投影し、生病老死という現実からみて、これは万人に共通する四苦であるから、差別の世界から超えて共通の広場(仏の世界)に出なければ救われないと説いた。しかし、成功したであろうか?
B-Pは、そのインドで青年期と中年期をすごした。だからインドの悩みをよく知っていた。ベンガル人にはベンガル人の血が流れ、パンジヤブ人にはパンジヤブ人の血が流れている。血と血は相対立し相争った。食人種は、その血をすすって歴史を誇った。
こんなことでは、インドだけでなく大英帝国としても永久に平和は来ないのである。
スカウティングの力で、これを何とかしなければ、おきて第4は空文死文となってしまう。
B-Pはいても立ってもおられなくなって、1937年(昭和12年)インドへ行った。時にB-Pは、80才であった。これを機会に、第1回全印ジャンボリーが、デリーで催された。
E. E. Reynolds 著“B-P”の115頁をみると「夢は現実となったようだ。すべての宗派、すべての種姓のスカウトたちは、スカウティングという大旗のもとに、彼等は一体となって、みんなのチーフを迎えたのである。この広大なる国のスカウトたちは、すでに、隊々での健康運動や、宗教的儀式の実行によって、この訓練の価値を立証していたのである。」と記している。
Bay Burnhan とKenneth Brouken 共著の「B-P生涯の絵物語」(日連発行スカウティング誌上の連載)の中に、このジャンボリーで、初めて立ち会ったスカウトたちが、仲よくキャンプしている絵があり、僕たちの親の代までは食人種で、互いに食いやいをしていたのに――という説明が載っている。
B-Pは、ジャンボリーという共通の広場で、おきて第4を実現、展開させた。「ジャンボリーの目的は、一体何ですか?」という質問に対して、「おきて第4の実習です。」と答えてまちがいはない。
今一つ、B-PはPen-Pal、即ち手紙による未知のスカウトとの接触を励行した。メーフキングの英雄から、返事を貰う少年のよろこび方は、想像にあまりがある。スカウトは互いに兄弟という実行の多くは、未知のスカウト同志の間で行われる文通による。
1922年、Bruce 将軍一行がヒマラヤ探検にいった時、B-Pは一通の手紙をKalinpong Himalay an Home
に在るスカウト隊に託した。この隊には、かつてB-Pが訪れて写真を与えたことがある。託した手紙には、――地図上、インドで一番高い所にある隊よ、スカウトの腕前でも最高であれ――と。
1933年、D.C.C.のH. W. Hogg がB-Pに送った報告書に――人界から遮断された13、000乃至14、000の裸岩ばかりの山中に、村があり、その村で私はスカウトを何名か発見した。Jot では、カブ隊を見つけたが、この村は7日間歩かねば文明社会に出られない。(以下略)
これは、パンジヤブ地方の話である。(Reynolds 著“The Scout movement”162頁より)
このように、インドでスカウティングが成功したのは、全く、B-Pの偉大さによる。スカウティングという教育法が、いかにあの抗争のインドを平和にしたか、証明になる。
釈迦が、達し得なかった大仕事を、B-Pは30年にしてやりとげた――と云うて過言であろうか?
カナダにも南アフリカにも、これに類する実績がある。
日本のような、平和な、単純な、結構な島国の国民は、この種の悩みがないから、従ってスカウティングの有り難さもわからないのではあるまいか?
B-Pという人は、おきて第4だけを実行したのではない。すべてを実行したマコトの人である。
私は「隊長から、一度もおきての解説をして貰ったことがない。」と、いっているスカウトを知っている。何をかいわんやである。
(昭和33年4月2日 記)
24.スカウトの精神訓練
北海道のスカウトの皆さん。新しい年を迎えておめでとう。みんな元気ですか。わるい感冒にやられた人はありませんか。雪国のお正月というものを知らない私には、想像しか出来ません。
さて昨年1年中の、めいめいのスカウティングを反省されたことと思います。なんといってもジュビリーの年ということで、去年はいろいろのことがありました。
今度極東委員会が出来たので、アジア各国の、スカウティングが一層、躍進することになると思います。スカウトの人数からいうと、日本はアジア諸国の中でも、インド、フィリピン、パキスタン、タイなどより少ない。
少ないということは残念ですが、これらの国々は、ほとんど、政府または国家の事業としてやっているから多いのです。
日本のように有志の者が金を出し合ってやっているのとちがいます。しかし、スカウティングは、元来、有志運動なのですから、やり方としては日本の方が正しい。正しいのに、日本はスカウトが少ない、ということは、我々スカウトに責任があると思います。よく父兄や先生方や一般人の理解がないとか、足りないとか、従ってお金も出来ないとかいわれますが、これはあたりまえのことです。なぜだろうか?
それは――スカウト達が日々の善行に励んで、人のため、世のために尽くしていないからです。また、ちかいと、おきてを本当に日々守っていないからです。もし、これらに努めていて、立派な生活をしているならば、世人はスカウトはよいものだということを、おのずから認めるでありましょう。認めてもらうために、善行をしたり、ちかい、おきてを守るのでは無論ありません。よい生活、スカウトらしい生活をしていれば、自然人の眼にそれがうつるということになるのであります。
近頃、文部大臣は、道徳教育をやる。と、いい出されています。それについて、よいとか、反対だとか、方法はどうするのかなど盛んに論議がたたかわされていますね。
私はスカウトの立場から、これを考えてみました。
道徳とは何か? これだけでも、色々の定義が出ましょう。私は、仮に、これをモラル(徳性)としておきます。このモラルというものは、センス(感性、感覚)によって出来上がる。センスがよいセンスであれば、モラルもよくなる。センスが低ければ、モラルも下劣になる、と思うのです。こう考えてみると道徳教育の今一つの手前に、センスの訓練がなければならん、と私は思う。
ところが学校の教育では、センスの訓練をやっているかどうか? センスに関係のある情操教育は音楽や図工でやったり、国語でやっています。しかしこれは、センスの訓練そのものとはちがう、と思う。視聴覚教育が叫ばれて実施されてはいるが、視覚、聴覚を媒介として知識を修得するもので、方法にすぎない。視覚、聴覚、そのものの訓練ではなさそうです。
ところがスカウト教育は、センスそのものを訓練している。追跡にしろ、信号にしろ、結索にしろ、みんなセンスそのものを訓練している。センスの訓練を狙っているので、追跡屋や、信号師や、結索師を作るのが目的ではない。
こう見てくると、スカウト教育は、センス(感覚)訓練に大きな比重をかけていることがわかる。それをさらに強化したものが、技能章であります。技能章は、それぞれの技能を身につけるということも目的の一つではありますが、同時にこれは、高度のセンスを磨くためのものだと私は考えます。
今は亡き、ローランド・フィリップスという英国の初期の代表的スカウターの書いた「班長への手紙」の第1集を私は訳してみましたが、その中に彼はこう言っています。
「ちかい、おきて、を実行しなさい。ちかい、おきてを実行する方法は、とりあえず技能章をとることから始まるのです。」と、私はボウ然としました。ちかい、おきてと技能章と一体どういう関連があるのだろうか?
ちょっと見ると、そうたいした関係はなさそうなのに――。
これは皆さん結局、スカウトセンスと、スカウトモラルの関係を、フィリップスは説いていると思うのです。
即ち、ちかい、おきては、スカウトモラル(徳性)の基準であるが、その基準に達するには、スカウトセンスを磨かねばならん。そのスカウトセンスは、進級課目によっても磨くが、高度のセンスは技能章によって磨くのであるから、とりあえず技能章をとること。と、いうことになりそうであります。
ところが私は、去年ある人から「技能章をいっぱいつけている者ほど精神訓練はゼロでした。」と、いう報告を耳にしました。この人はフンガイしていうのに「彼等は、技能章をアクセサリーまたはかざりと考えている。ケシカラン」と。
私は、先の、フィリップスの言葉と照らし合わせ、こうもちがうものか、と、あきれたのです。即ち、技能章を、ただ技能章だけに考えている。ちかい、おきてとの結びつきをしていない。ここにまちがいがあるのです。
「スカウティングの全ての作業はことごとくが、ちかい、おきてに結びつけられねばならない。」と私は結論づけたのです。
ここに、一つ、英国流の面白い考え方を紹介しましょう。このローランド・フィリップスが「班長への手紙」第一集で、おきての説明を書いているのですが、その中に、日本でいえば、おきて第9の質素(英国も第9倹約)について、次のような意味のことを書いている。
――スカウトは質素である。倹約するというが、そのためには、救急法を知らなければならない。無駄な金をつかわないで、これを貯金save すること、無駄なことで人が死なないよう、これを助ける(save)することとは、どっちも、save である――と。
今一つは、――手を洗わないで炊事をしたり、不潔な炊事具で炊事をする者は、おきて第10にそむく、と、いう考え方がある。おきて第10は、スカウトは純潔である――と。
(英国のおきては、10ヶ条しかない。日本のおきての第11条にあたる。)
このように、スカウティングの、ありとあらゆる作業、技能、訓練は、すべて、ちかい、おきてに結びついている、と言うことを改めて、お考え下さい。
私はスカウトの精神訓練について、と題して、これを書き出したのですが、ここまで書いてみると、この題目がおかしくなりました。というわけは、この中に技能訓練も入っているからです。精神と技能とは一本(一体)であるべきものだからです。
最後にいうべきことは、すべては、ちかいの第1の「神または仏に誠を尽くし」という一点にしぼられる、ということであります。
だから、確乎たる信仰というものが強調され、信仰生活が裏付けにならなければ、スカウティングは有終の美を発しないと思われます。
(昭和33年1月1日 記)
23.幸福の道について
“私は最も幸福な一生を送った。それで君たちみんなにも、幸福な人生を送ってほしいと私は望む。私は神が幸福に、そして楽しい生涯をもたらすこの愉快な世界を私共にお作り下さったと信ずる。幸福というものは、お金持ちであることからくるものでなく、単に立身出世して成功することから来るのでもなく、自分の思いどおりになることから来るものでもない。幸福に至る一歩は、君達が少年時代、心身ともに健康になることである。そうなれば大人になったとき、生活をたのしむことが出来る。”
以上は1941年1月8日ベーデン・パウエルの死後、文書の中から発見された、チーフスカウトのメッセージであり、スカウト達への遺言の一端である。
私はこの文につけて、三ヶ条の「ちかい」を思い及ぶのである。
私は名誉にかけて次の三条の実行をちかいます。
1.神(仏)と国とに誠をつくしおきてをまもります。
1.いつも他の人々を援けます。
1.体を強くし心をすこやかに徳を養います。
という言葉は、「幸福になる道」であると私は思う。
第一条は真理を仰ぎ、真理に忠実に、マコトをつくす人。
そしてそのために12条のおきてを実行する人は幸福であるということ、詮じつめれば真理を仰ぎ尊んで、それに近づかんとする者は幸福である――と解せられる。真理を馬鹿にし、それを疑い、それに近づくことを怠る者は不幸である――と逆にいうことも出来よう。勝敗を争うことに生命を賭ける馬鹿をよして(今までの日本歴史のような)、真理が国に行われ、真理のために生命をささげ、一生を献ずる人(これがスカウトだ)となれ――ということだ。
第二条は他人の幸福を援ける人は幸福である――と解せられる。他人の幸福を援け得る人という者は、それだけの体力と、心と技を兼備している人でありそういう機会を見だして奉仕する時間的余裕を作ることの出来る生活状態をもつ人であるから幸福である。そんなことの出来ない人は不幸であろう。人の世を少しでも幸福にして上げることが出来るということは幸福であって、不幸ではない。“けれども幸福を得る真の道は、他の人々に幸福をあたえることによってなされる。”とベーデン・パウエルの遺言状にハッキリ記されている。
第三条 何が幸福といったって、身体の健康なことにまさるものはないのだから、少年時代にうんと健康な身体を作っておくこと、同時に心の健康も、またはからねばならぬ。身体だけが健康であっても、心が曲がっていたり、じめじめして暗い心であっては、本当に幸福ではない。その健全な心身の上に、さらに徳を養い育てるならば、一層幸福である。徳というものは後光みたいなもので、光がさしてくる。光がさし皆から尊敬されるように磨いてゆこう。徳とは幸福なりと辞典にも出ている。(人格の完成のこと)このように「ちかい」は「幸福への道」を示していると私は思う。
世の中に不幸になりたいと思う人は恐らくないであろう。みんな幸福になりたいと思っているにちがいない。
けれども幸福とは何か? 幸福になるにはどうすればよいのか? という命題については余り考えても見ない。
お金があったら、邸宅があったら、うまいものがたべられたら、きれいな着物が着られたら、自動車がもてたら、人に勝って思い存分のことが出来たら、そのために立身出世したら幸福になれるなど考えるものだ。何をかいわん、真理を敬いてそれを行い、他人の幸福のために奉仕し、おのれの心身を健全にして至善の行をつむ――これが幸福の道だと、チーフスカウトは教えているのではあるまいか。
チーフスカウトが1941年1月8日、北アフリカのケニヤで84才をもって世をさられた時、本当に幸福の最頂上であったろうと思う。すべてチーフの経験がそれを物語っている。
スカウティングとは“幸福の道であろう”スカウトとは“真理に生き真理を行う人”ということになろう。
(昭和25年10月5日 記)
22.“ちかい”のリファームについて
英国でも米国でもボーイスカウトからシニアースカウトに、または、シニアースカウトからローバースカウトに上進する式に、“ちかい”のリファームを行うことになっている。(ただし米国にはローバースの制はないのだが)日本においてもこの手続きを採用しようという声がある。そこで、このことを考えてみたい。
リファーム(Refirm)とは再認、再確認ということであろう。即ち「ちかいの再確認式」Refirmation を行うわけ。「ちかい」というものは一生に一度だけ行うものである。幾度も行うものではない。一度ちかった後は、唯、唱えるだけ、または、思い起こすだけで、それは「ちかい」ではない。そこでリファームなるものも、その程度であるかも知れない。然し、私はリファームなるものを別の意味に考えようとしている。
私は、リファームを唯、単に復習と考えない。内容的に、より高度の実践への決意と心得たい。もっと具体的にいうなら、初級にありては「ちかい」「おきて」の暗記とその意味の理解が要望される。2級と1級とは別にこれを考査課目としないで、日々のスカウト生活にどの程度あらわされているかを、面接法で評価するものと私は判断する。
けれども、その実践はいわば道徳的の限界にとどまるように思う。然るにSS及びRSに成長すると宗教的の生活プロセスが押し上がってくると私は思う。即ち、SSやRSの日常生活というものは、僧服をつけざる僧とでも申すか、俗人の坊さん足ることをB-Pは期待している。と私には感じられる。
そこで「神(仏)に誠を尽くし」という言葉が、少年時代(BS)よりもハッキリ具体化されなければならない。今までは観念的であったか知らんが、生活的でなければならない。ここにおいて何宗、何教、何派であろうと信仰の生活に入ることが期待されるのではなかろうか? 私は、Refirm という言葉のもつ意味をここまで掘りさげつつある。
「誠を尽くし」という表現は文字の上では入信を規定していない。だからその解釈は自由であろう。だが、私自身のスカウティングは、そして私の自発活動はきびしく私を、信仰生活に指向してやまない。スカウティングという綱と、宗教という綱とが、私にとっては一本にない合わされつつあることを自覚するが故に、私はRefirmなる言葉をそのように考えるのである。
(昭和31年11月5日 記)
21.名誉について
“私は名誉にかけて次の三条の…”の、名誉にかけて――というところを、カブスカウトの月の輪の子供にどう説明したらよいか、その中でも、“名誉”をいかに説明すべきや、という質問をうけた。私は、あなたは講習会で何を教えられましたか、と、逆に質問をした。するとその人は、私はカブの講習会には行きましたが、少年部の講習会には、まだ行けませんので、何とも教えてもらっていないと答えた。その団には少年隊がないので、カブの隊長が少年部のちかいと、おきてを教えねばならないのである。こういう実例が、方々にあるのではなかろうか?
私は数年前、ある地方の少年部指導者実修所の事前課題に“スカウトの名誉”という出題をしたことがある。
その時の答案を見て、実はガッカリしたのである。ある者は、漢和辞典をめくって“名誉”の解説をしたのもある。しかしそれは答えになっていない。
これに対して、私は、次の二つの点を解答の鍵とすべきだと思う。
(1)おきての第1条をよく勉強すること。
(2)“スカウティング・フォア・ボーイズ”邦訳本381頁のB-Pの示唆である。
おきての第1はいうまでもなく、「スカウトは誠実である」この主文の下に次の説明のようなものが載っている。――スカウトの真の資格は信用され得る人間にのみ与えられる。嘘を云わず、ごまかしをせず、信頼されて託された任務を正確に行うことなどは、すべてスカウトの名誉を保つ基礎である。――と。
前記のとおり、この一文は、説明文のように思えるが、昭和22年~23年、これを制定した時の委員会は、このながたらしい文言をも、主文だと説明している。ただ、全主文を暗記することは、むつかしいので、暗記は前の主文だけでよい、というとり決めであつかったことは、その委員会の中心であった故中野忠八先生が昭和23年夏の、戦後最初の宮島実修所において講義をされたので明瞭である。しかるに、その後の講習会などにおいては、この全体が主文であることを、いつの間にか忘れて、説明文であるかのごとき講義をした向きもある。
要するに、たとえこれが、説明文であったにせよ、大多数の指導者もスカウトも、これを読んでいない。読んでいるならば、スカウトは、人から信用されることを名誉とする。信用されるためには、ウソをつかない。すなわち誠実である。だから名誉にかけてということは、正札通り、カケネなしということになろう。
また、これは米国のおきて第1とまったく同じものである。米国のは、ただ“スカウトは、信頼に価する”という表現になっている。日本は、それを、誠実であるといいかえただけの違い。
英国のおきて第1は“スカウトの名誉は信頼されることにある”――云い換えれば、“スカウトは信頼されることを名誉とする”となろう。
誠実――信頼――名誉、という三つの関連によって、明確な答えが出るはず。
B-Pが“スカウティング・フォア・ボーイズ”に書いてある示唆は、非常に暗示的である。要するに船が難破、沈没した時、船長がもし真先にわが身の安全をはかって船客を放っといて逃げるならばそんな信頼の出来ない船に生命をかけ、船賃まで出して乗る馬鹿はない。と云う云い方をしている。
以上で大体いいつくしたと思うが、私はこの一事から見てもスカウト教育上、大変大切な事柄が、案外なおざりにされたり、早や飲み込みされたり、伝達不十分にされているのではあるまいか、という気がする。いいかげんな、お茶をにごしたような教え方を、厳にいましめたいものと思う。
(昭和34年12月1日 記)
20.名誉とは
スカウトのちかいの前文に「私は名誉にかけて次の三条の実行をちかいます」とある。この「名誉にかけて」とは一体どういうことなのか? 指導者がスカウトにこれをどう説明すればよいのか? 私はかってある研修所の事前課題に、この問題を出したことがある。
その答案は、辞書で「めいよ」をひいてみたり、名誉心とか名誉欲とかを一応あたってみたが、どうもうまく考えがつかないという答えが多かった。然るに、おきての第一に、このことは明白に出ているのである。それに気づいて答案を書いた人は僅か3人位しかいなかった。おきてのヨミが足らないナーと私は直感した。
スカウトは誠実である。
スカウトの真の資格は信用され得る人間にのみ与えられる。嘘を云わず、ごまかしをせず、信頼されて託された任務を正確に行うことなどは、すべてスカウトの名誉を保つ基礎である。
以上がおきて第1の全文である。
多くの者は前文だけ暗記して全文を読んでいない。前文を除いた残りの文は本文でなく、説明文或いは副文であるという説がある。私はこの説に反対する。全文が本文である。これは故中野忠八先生(起案者だった)から直接私へのお話に従ったものである。
ただ、初級になる少年には全文の暗記は無理であるから前文だけを誦えることになっているにすぎない。然し少なくとも、15才以上の者は全文の暗記が出来ないこともあるまい。努力次第だ。もし暗記できなくても全文を朗誦するようにしたい。なぜか、というに、15才以上の年長スカウトは、一段とおきての実践に峻烈さを要望されるからである。
「信頼に値する人」とは「責任を果たす人」であり、「誠実な人」である。名誉とはそれに値するものである。
故に、誠実――責任――信頼――名誉、の四つは互いに原因であり結果である。「信頼される」ということが「名誉」になる。「自己を裏切らない」ということが責任の第1段階、すなわち「自分が自分に対する責任」を果たすことである。
「他人への責任」「社会への責任」「国への責任」などは、この自己への責任の土台の上にこそ建てられるべきものである。自分が自分に対する責任を怠っていたのでは、他に対する責任など建てようがない筈であるが、古来日本人は命令者(権威)に対して奴隷であったため、その方への責任が恐ろしくて自分への責任を放棄していた。基本的人権を自分から棄て去っていたのである。そしていかにすれば責任を免がれるか、転嫁し得るか、巧みに逃げるかの術を研究したものである。――現今でも。
こういう権威に対する屈従による自己否定の仕方は、本当の没我でも無我でも捨身でもない。自責の念に堪えんなんていうが、それは弁解にすぎない。自己が自己に対する責任をとことんまで尽くし果たして、それが不幸、果たし切れないときに身をすてるなら筋は通る。即ち、そういう時には他人に対する責任も併せて達成できないから、オメオメ生きていられないということになる。B-Pが「スカウティング・フォア・ボーイズ」の中の、責任という項で、船長は難破の時他の全員を助けるよう努力し、最後まで船に残って船と運命を共にすることを名誉だと教えられている。と記している。
B-Pはそれ以上の説明をわざとしていないが、かように自分の死をかけている船長であるから、人々は安心して乗船するのである。もし、まっさきに脱船するような船長だったら誰がそんな船に乗るもんか、と、いうことになる。つまり彼は乗客から絶対に信頼されている。それが船長たる者の名誉なのである。
不幸にして自己に、そして他の人々へ、国へ、神へ、最善を尽くしてもなお及ばなかったとき、ネルソンは“I have done my duty”と叫んで斃れた。duty という言葉に相当する日本語がないのは残念である。
「名誉にかけて」という言葉は、英語では「死をかけて」というほど絶対な厳しいものだとB-PはS.F.Bに書いている。
私は、これを「自発活動の極致」であると思うようになった。“かおりか光か、ああ、名誉!”薫りと光は、自発する。
(昭和31年4月4日 記)
19.私見:ちかいの組立(2)
ちかいの三つを、概観すると――。
第1は、神(仏)国、…のそれぞれに「誠を尽くし」、おきてを守る。というのである。この神、仏、国、おきては、どれも抽象的存在である。俗にいえば眼に見えないものへの忠誠である。且つ、人間以上の高いところに在るものへの忠誠である。
最小限、これらの存在を、否定しないことをあらわす。だから神仏を否定した無神論者や、国を否定した思想の持ち主は、スカウトとして失格者である。心のおきどころの確かでない者、心の動向が無秩序、または有害であるような精神異常者、即ち、おきての無い者もまた失格者である。尊ぶべきものを尊ばないような思いあがった無法者ではお話にならん、ということになる。おきて第12に、これは伸びてくる。
第2の「いつも他の人々を援けます。」というのは、自分よりも先に、他の人々のことを考えなさい、という意味がその本命であって「援け」る――という言葉は、まだ、具体的な行動をさしていない、と私は解する。
前述のとおり「ちかい」は、発想であり決意であって、行動の、一つの手前の段階、即ち「意思」律をあらわすものと、私は思う。「行動」はむしろ「おきて」のがわで律するものと思う。従って、このいつも他の人々を援けるという意思が、おきて第3の「スカウトは人の力になる」という「行動」を起こすことになると思う。ある一部の者は、ちかい第2と「おきて」第3とは、同じことを重複して云うていると、非難するが、私は、そうは思わない。
B-Pが「スカウティング・フォア・ボーイズ」のなかで、「この教育は、利己主義を利他主義に置き換えるものである。」という意味のことを説いている。(邦訳本P48、P478、他数カ所。)そのことを、この第2においてあらわしているものと、私は理解している。従って、自分個人のことは、一番あとまわしになる。即ち、ちかいの第3にはじめて、「自己」があらわれる。
第3に「体を強くし、心をすこやかに、徳を養います。」と。
体を強くし――と、一口にいうけれども、その意味は実に広大である。私は、近年病気をして、色々と反省させられた。60才をすぎてから起きる疾病の遠因は、殆ど全部が、少年時代に、無意識や不注意、乃至は無知、または強がり、No care に原因していることを知った。このことは後日、詳述したいと思っている。
心をすこやかに――この言葉も中々、やさしいようで、むつかしい。現在の私としては、唯、漠然と真、善、美への追及とだけ受け取っているにすぎない。「歩く時には、泥んこの水たまりを見ないで、かわいているところを見て歩きなさい。」と、言ったローランド・フィリップスの説話(「班長への手紙」、邦訳本「パトロールシステム」「班長への手紙」合本のP134参照)は、誠に示唆深いものがある。結局、「おきて」第10につながる決意であり、意思である。
徳を養います。――については、今度発刊された雑誌「スカウト」4月号(P40~41)に私が書いたように、他人の幸福をはかることを意味する。それは、B-Pの80才の時のメッセージと、最後のメッセージから解明できる。(「ボーイスカウトとはどんなものか」P32、P34参照)
第3の、この自己修練のちかいが、単に、自己中心的に、自分さえよければ、で、ないことは、この末文の「徳を養います」の一語によって、いみじくも、道破されている。この点に、留意したい。
さて、それでは、徳を養うためには、換言すれば、自己をささげるには、どうしても「小我」をすてて、「大我」に活きなければならない。このためには、ゲーテのいわゆる「至高なるもの」への、敬仰、思慕、追従が必要である。ここにおいて、私は「ちかい」第1に、もどって、仏(私の場合)に国に、誠を尽くすのではなかったら、私は、小我にとらわれて一生を曇らせるほかない。
このように「ちかい」には第1もなく、第2、第3というような順序もないのが本当である。円周みたいに始めも終わりもない。(この稿文には、仮に、第1、第2、第3としたが――)だから規約ではどれも皆一としてある。
一番むつかしい言葉は、「誠意を尽くし」である。これについては、以前、叙説したと記憶するが、これは“To do my Duty”にあたる日本語である。デューティ(Duty)は、邦語の「つとめ」「義務」に近いのだが、権利に対する義務では決してない。日本人の普通いう義務とは、権利あっての義務、義務あっての権利、即ち相対的の義務をいう癖が多い。この方はObligation(義務)であって、Duty ではあるまい。Duty は、絶対的なもので、それの対象は無い。そうして自発的である。なんらの交換条件や、反対給付を予想しない義務(つとめ)だ。
命令もされず、制圧もされず、全くの基本的人権の自発活動からくる奉仕である。これを「誠を尽くし」という表現にしたことは、誰の提唱なのか知らないが、中々味があると私は思う。(中野忠八先生のような気がする)
さて、この「誠を尽くし」の程度、どの程度の誠なのか、これはスカウト各人の年令、知能、力量、識量、境遇によってその段階は千差万別であるべきで、それ自体に、進歩の軌跡をもつものであるから、一定の基準をもって律するのは、まちがいである。スカウティングの妙味を内包している点からみても、実に味がある言葉だと思う。
最後に――。このちかいは、米国のOath または、Promise の、翻訳である――と言って非難する者がある。ある消息通の言によると、終戦直後、進駐軍当局は、日本BSの再建に関して、多分に疑念を抱いて、軍国主義の再建を警戒し、中々許可しなかった。そこで、米国のと同じ、ちかい、おきてにしてその疑念を解くため、且つは再建を急ぐ必要上、翻訳を提出したのだと言う。よって独立達成後は、これをやめて新規に立案すべし、という意見もあった。
しかし規約の改正に際して、このままで別に弊害はないということと、ちかいやおきてのような大切なものを、軽々しくまたは感情的に改正することは適切でない、ということでそのままとされた。
けれども、「徳を養います」という部分は決して翻訳でない。「徳」という概念は東洋的なもので、いわば日本独自の考え方である。私は「徳を養います」という言葉だけをもってしても、日本式スカウティング(もしそういう言い方が許されるならば)を端的にいいあらわしていると、誠にうれしく思うのである。
(昭和35年4月11日 記)
18.私見:ちかいの組立(1)
前稿で、ちかいは、実は、ちかひであることを説明した。ひは「たましひ」のひであり、漢字化すれば「霊」であることをのべておいた。さて、なぜ「誓」と書かないのか? これについて私の知っていることを付記しよう。
戦前の日本連盟が、「誓」とか「掟」とかという表現をことさらしないで、「ちかひ」「おきて」と書いたのは、理由があった。仄聞するところによると、当時理事長だった故二荒芳徳先生(前総コミッショナー)が、倭訓を強調され、誓とか掟は、どうも他律的にひびいて面白くない。たとえば、おきてとは、心のおきどころの「おき」と、方向を示す「て」という言葉の混成語である。それを「掟」と書いたのでは、そういう意味が出て来ない――という説明であった。「この土手にのぼるべからず」という立札にある「掟」みたいで――と大笑いになったそうである。そこで同じような理由で「誓」という字は敬遠されて「ちかひ」が用いられたのであった。私はこれは誠に卓見だと思う。第一、感じがよい。漢字でない方がカンジがよい――。
さて「ちかい」は、前言葉があってから、三ヶ条が頭をならべて表現されている。前言葉にある「私は」という言葉が非常に大切で一人称単数をつかう。普通の会則とか、宣言には「われわれ」とか「我等」とか「吾人は」とか複数を用いるのが日本人の癖である。悪くいえば、多数をたのむいい方が好きな国民である。
ところが前言葉では「私は」である点に留意されたい。これは基本的人権に基づいた発言をあらわす。ひとは、どうあろうとも「私は」である。その上、「自発活動」そのものである。もう、これだけで、スカウティングの在り方が明示され尽くしていると私は思う。
その次に問題になる言葉は「名誉にかけて」である。この「名誉」とは何か? については、前に述べておいたから詳述をさけたい。要するに、ウソやイツワリでなく、本心からちかう意味の最大級の表現である。昔流に云えば「刀にかけて」であり、「天地神明に誓って」となろう。
その次に「実行を誓います」の言葉。これでわかるように、「ちかい」は、まだ、「実行」そのものを指していない。「実行」そのものの部は、「おきて」の方にある。この段階はまだ「発想」の段階であり「決意」の段階だと私は解する。「意思」の設定なのだ。これについては、あとで、「ちかい」の第2と「おきて」の第3との相似点と同時に、異同点の説明の時、詳述したい。
それよりも、私は、最後の「誓います」の「ます」に注意を向けたい。「誓いましょう」でも「誓いました」でもなく、明らかに「誓います」という「現在形」である。そんなことアタリマエダ――と、一笑に付する読者があるだろうと思うが、私は、一笑どころか真剣ですぞ! 即ち、これは、常に現在形であり、永遠に現在形である。瞬間々々、Every Moment に「誓います」なのである。だから、いつも、いつもスカウトであり、今の今もスカウトであり、Always a Scout であるわけです。
(昭和35年3月17日 記)
17.私見:ちかいの意義
英国ではプロミス、米国ではプロミスまたはオース(Oath)という。プロミスは「やくそく」であり、オースは「ちかい」と訳すべきだろう。
日本では「ちかい」と名づける。曲解を試みるならば、「やくそく」では弱くて、これを破るおそれがあるから「ちかい」という少々固い名称にしたのかもしれない。カブの方は逆に「ちかい」では固苦しいというので、「やくそく」の方をとったというようにきいている。
「ちかい」は正しくは「ちかひ」と書くべきだろう。「ひ」とは「霊」(たましい――本当は、たましひ――)を意味する日本の古語である。「たましひ」「霊」にちかうので「ちかひ」という。これは「日本書紀」あたりによく出てくる「うけひ」という古語に関係がある言葉で、共に「ひ」に向かってベストをつくす人間の決意をいみしている。
こんなことをいうと、一層固苦しくなるかもしれないが、日本人の心理には「天地神明に誓う」とか、「天神地祇を祀って誓う」とか唱えて「神」「仏」に所信をちかうことが昔からある。そこでスカウトのちかいは、一体、誰に対してちかうのか? という大きな疑問にぶつかることになる。
昔の武士は神仏に誓った。それは人間同士は所詮、順逆常ならず、信用できない、ということ、また人間には栄枯、盛衰、生老病死があってたよりないので「絶対」のもの、即ち「神仏」や「天地神明」にちかったと考えられる。
明治以来の兵隊は、「大元帥」即ち軍服を着た「天皇」にちかった。それは、軍人としての天皇は兵馬の権、即ち「統帥権」をもっており、皇軍の首長であったからである。「軍旗」は大元帥の身代わりのハタだとされた。
スカウトは、武士や兵隊とはちがった人間である。だから神仏にちかったり、隊旗(これは軍旗とは全然性格がちがう)に誓ったりするのは、第一義的でない。
スカウトは、それなら「何に」「誰に」ちかうべきなのか?
私は、何よりもまず「自分」にちかうべきだと思う。「ひと」をあざむくことはできても、自分をあざむくことはできない。もし、平気で自分をいつわるような、そんな芸当が出来るならば、私は彼を「スカウト」と思いたくない。理由は? 簡単。彼は「名誉」をもたないからである。
「名誉」についての私見は、前に述べた。
「自分に敗ける」ことはあっても「自分をあざむく」ことがあってはならぬ。(“自分に克つ”の稿参照)平気で自分をあざむく者は、ヒトも平気であざむく。そうなると誰も、彼を信頼しない。だからスカウトではもうなくなっている。
自分が自分にちかう――これにまさる自発活動があるだろうか!
「この三ヶ条の「ちかい」は、ベーデン・パウエルが作った――いや、これは日本連盟がきめた――そういうふうに、ちかわないとスカウトになれないから、ぼくは、ちかうのです…。」
私は、こういう考え方をケイベツしたい。この考え方には、一つも「自分が主人公になった態度」がない。自発的なものがない。ドレイ的であり、被害者的であり、盲従的であり、封建的であるから――。
自分から進んで、B-Pに共鳴しスカウト仲間にとびこんだ、という精神がひとつもない。そんな他律的な者にスカウティングは生まれて来ない。
これはスカウト仲間への「仲間入り」の約束の言葉でもあるから、第二義的には――スカウト仲間に対してちかうのである。または隊長だとか、隊旗に対してちかう――ということも、まちがいではないが、第一義的には、「自分が自分にちかう」。昨日まではスカウトでなかった自分が、本日、只今、この言葉とともにスカウトになるのだ――というモチベーション(動機づけ)を意味する。仏教で、俗人から僧になるときに「得度」(とくど)の式をするが、私はそれに似たものを感じる。またはキリスト教の洗礼――いいかえれば、一生の一転機である。
カブの場合は、仲間にやくそくを結び、その制約が自分にもどってきて、自分を律する、という反射的効果をとり、スカウトの場合は、自分の在り方をさきにして自ら律し、そのはたらき(機能)を仲間(ヒト)におよぼすという、積極性をとる――年令、知能、体力、精神力の発達にマッチしたやり方になっていると私は考える。
(昭和35年2月6日 記)
16.継続と成功
私の今いる町の隊も今秋4周年を迎える。今年、8周年になったという隊からは案内状を頂いた。或隊は5年、というように、いわゆる「星霜祭」が行われることは誠に喜ばしい。それは、継続し得た喜びである。生命体としての喜びである。そこで、私は、継続ということをテーマとして考えてみた。
英語のSuccess という言葉には「成功」という訳があるが、Succession という言葉では「継続」という訳がある。それで私は以前から「継続は成功の基」と思い、「成功は継続から」とのみこんでいた。どうもこの二語は一つのものからきているように思われてしかたがない。
今年5月、私は、B-P著「Wolf cub's Handbook」の第3部「ウルフ・カブ訓練の目的と方法」という部分を、読みなおし、自分の理解をメモしてみるという勉強を試みた。そのとき、カビングにあっては特に「継続する」或いは「続けさせる」ことが訓育の中軸であると、B-Pが指摘していることに私は注目した。
B-Pはいう。カブ訓育は、さしあたり人格と健康の2点から公民として能率的な次代人を作ることを目的とする。この年令の者は正しい指導を受け入れ得る時代であるから基礎を打ち込むべき時代である。しかし、カビングは書物で教えるのでなく、実行を通して導くという方法をとるが故に、これを達成させるには長期の継続(または持続)を必要とする。良い習慣をつけることは人格をも健康をもよくする。例えば、毎朝毎晩、歯を磨く。これが習慣化し、生活化するには長い期間の持続を待って始めてでき上がる。けれども、この持続というものは、カブにとっては、まだ、自発活動に発していない、そうでなくても、カブ年令の者はあきっぽく、すぐ忘れる。それを何とかして、自発活動ができる年令の時まで持続させるということに、カブ訓育の責任がある。その責任は、躾け方の如何によるほかない。
それには、
(a)興味を失わさない工夫
(b)励ます工夫
(c)進歩したことを自認させる工夫
(d)まだあとがあるぞと奮発させる工夫
(e)自分に或るすぐれた特技のあることを自識させる工夫
――が必要なこと。これが結局、組(班)制度、進級、技能制度となると思う。そして、CS、BS、SS、RSへと上進する一連のプログラムとなる次第。
以上は、私の注釈を多分につけ加えた一文であるが、さて、かように考えてみると、年功章を沢山つけているスカウトという者は、大いに誉めてあげてよいと思う。これに反して、休隊、離隊した者は、継続の失格者であって不成功者である。その原因は、本人の側に勿論大部分あるとは思うが、指導者の側にも相当あるのではあるまいか? 即ち、上述の工夫が足りなかったり、私の持論である「個人プログラム」を無視して、班や隊のプログラムで押しまくったため、「ついて行けない」結果におとしいれたのかも知れない。進学の問題、家庭の事情など、多くの原因はあろうけれども、その大部分は個別的扱い方によって九死に一生を得られる指導の仕方があるのではあるまいか?
かように考えてゆくとき、継続ということは大きな問題で、それ自らがスカウティングだといえる。
Once a scout always a scout.という名言は、継続ということを内包している。always という一語が意味深長である。
さて、いかに隊が8周年または5周年を迎えたにしろ、隊の年数と同数の年功章をつけているスカウトの数が、何人いるのか? ということが次の問題になってくる。いわゆる歩どまりの問題である。第2には、隊員の進歩状況である。隊の年令と、進級(進歩)との歩合表を私は持ち合わせていないのでどんな比率になっているのか、よく、わからない。要するに、隊の年令のみを祝い喜ぶだけで、隊員の継続、進歩の方を第2に考える。という考え方には賛成できない。ここに仮に創立10周年の隊があったとする。隊員数は僅か8人しかなく、2級スカウトが1人、あと皆初級というが如くであるならば、祝辞を呈するにちゅうちょせざるを得ない。結局継続ということは根本的に重要であるのだが、継続の内容如何、主体如何、ということに問題がある。
運営面では10年継続したが教育面では、それにマッチした継続がないのであれば、甚だしきアンバランスで「一体あなたの隊は、何のために存在しているのですか?」と質問したくなる。昔、少年団といっていた頃には、団旗だけ残っていて、指導者も隊員も、跡かたなく消失したのが相当あった。一夜にできた銀世界は翌日とけてぬかるむ。
続けることにスカウティングはある。続けないところに成功はない。まぐれあたりに、場あたりに、一見、成功したかにみえるものがあるけれども、それは本当の成功ではない。継続しつつあるその瞬間に成功は組み立てられつつある。と思うと、あせったり、ごまかしたりする必要は毛頭ないようである。
(昭和30年10月29日 記)
15.自発活動(その2) 日本人に欠けているもの
朝から晩まで、何事も自発活動、自発活動――と思いながら一日中何かをやっていると、とても愉快になる。
生活の自主性がハッキリ出てくる。多分これは健康にも良いだろうと思う。こういうあいだに、スカウティングが積み重ねられてゆきつつあるように思われる。なんといっても自分のエンヂンがかかっているのだもの。
さりとて、自発活動なら、どんなことをしてもよい――とはいえない。本能のままに、コントロールなしに、衝動にかられて狂犬の如く盲動してもよいのだ、とはいえない。
他人に迷惑や損害を与えても一向にかまわん、という一方的な自発活動では目茶々々である。スカウティングは自発活動をモトとするが故に、その自発活動の在り方、と、いうことが極めて大切である。その在り方を自得するために、観察力、推理力、の錬磨をB-Pは、まっ先にあげている。これがスカウティングの基本になっている。いやいや、それよりもっと基本のもの――三つの「ちかい」と十二の「おきて」――。これぞ自発活動の在り方を示した道標である。我々の自発活動は、この基本線に沿うて発動されねばならぬ。
次に我々の自発活動は、何に向かって投入されるべきか? 私利、私欲のためや売名のためでないのは云うまでもないのであるが、これをもっとハッキリさせたい。我々の(私の)自発活動は「組織体」に投入されねばならん、と私は思う。いいかえれば、せっかく、投入した自分の自発活動が、「組織体」に何程かの貢献をプラスするのでなかったら、その労作はもったいないことだが点にならなくて「残塁」に終わってしまう。全く惜しい。
そんな下手なゲームはやりたくない。「組織体」に投入するためには、自分の「分担」または「役割」がハッキリしていなければならない。自分ご自身においては勿論のこと組織体のメンバー全員にもハッキリしていなければならない。これは必須条件である。同様に、自分以外のメンバーの、それぞれの分担、役割についても私は充分よく知っていなければならない。そうでないと協働(CO-operation)がとれないのみか、自発活動の鉢合わせや、対立や、行きすぎや、縄張り争いや、功名争いが起きる。その結果、組織体は崩壊する。
現在、日本に、こういう下手くそなゲームが毎日くりかえされている。政争、組合争、団体の内紛、等々。それは、当世の成年層の人々が少年時代に「組織体」訓育を経験しなかったセイである。班制教育というものは、この訓育の実践と練習のために存在するのだ。組織共同体に対する各自の自発活動の投入と、「分担」「役割」を通じての協働を、少年時代から身につけさせるためB-Pが考えた方策である。
それは成人の暁、能率高い公民になるべき狙いに叶う方策なのである。我々は、日本人一般が、一番欠けている組織体生活というものを、根本から築き上げて、次代の国民を仕立てるという大仕事に従事しているのである。而してその試練の第一歩は「班制」いかんにかかっている。
もっと、もっと深く、組織体というものを考えよう。君の班は果たして組織体になっているかどうか? 君の隊は? 君の地区は? 県連は? 日本のScouting は往々にして「組織体」でなく「個人商店」になりがちである。
これは、株式組織に切り替える以前の創業時代そのままの状態にとどまった形といえる。「個人商店」のままでは発展のしようがない。たとえ強力無比な一個人が、一生をかけて経営したところで、個人の力だけではたかが知れている。それは他の人の自発活動を育ててやらない、という大きな教育上の欠点を内包している。故に二重三重のマイナスとなる。これは経営面だけにとどまらない。
プログラムというものも、組織体になりきった暁でないと本当のものは生まれない。個人商店のプログラムでは、思いつきや、ハッタリや、宣伝の域を脱しきれまい。個人商店は、人間を利用価値の面だけで扱う。利用価値のあるあいだはコキ使い、利用価値がなくなればヘイリ(弊履)の如く打ち棄ててしまう。人を育てるとか、長所を伸ばすとかいうような教育活動はソロバンにないのである。だから、本当のプログラムはないのだ。あるのは行事(Event)ばかり。それも、いかにして自己の名声を持続するか、を重点とした独善的企画にすぎない。
次代の日本人は、もはや、そういう旧態依然たる企画と、ボスの手を離れた仕組みの中で育てられなければならない。そうでないと、子供たちの折角もり上がった自発活動の伸びる道がない。彼等は、失望のあまり退隊してしまう。星の夜、胸一ぱいの希望と夢を抱いて、三つのちかいをした、あの、神秘な幽玄な、入隊式の日のことは、裏切られたことになる。一体全体、どこに病因があるのか?
下手くそなゲームぶり! 残塁につぐ残塁。すべては在り方の研究不足。
(昭和30年7月30日 記)
14.自発活動(その1) 人に対する忠節をつくすのか?
歎異抄(たんにしょう)という親鸞(しんらん)上人(しょうにん)の書きのこされた本の中に「親鸞は弟子を一人も持たない」という言葉がある。
これは師弟だとか、教え子だとかいう特殊関係がそこに生ずるとき、法(この場合は仏法)に従わないで「人」(仏語ではニンと読む)に従うようになる。これは恐ろしいことで、師の方は人情にひかれて妄執にとらわれ、弟子の方は法を忘れて人(ニン)にすがりつき、結局師弟もろとも溺死するということを戒められたサトリであると承っている。
だが、いま一つには、弟子が正しき法に従ってサトリををひらくということは、弟子自身の自発活動に基づくものであり、その自発活動を師匠という圧力でゆがめないよう、その者の本来のペースのままで育ててやりたいという深い愛情に基づくものだろうと私は考える。
弟子が師にすがりつこうとするのを、払いのけるその心は無情か、非情か、一応不人情のようであるが、そうしなければ菩薩道の修行がやってゆけない切々たる苦衷を「弟子一人も持たない」といいきったものと味われる。親鸞は、自発活動を、かくの如く厳粛に扱っていたと思う。
児童憲章(そんなものがあったことを忘れている人も多かろうが)の中に「児童は総て人として尊ばれねばならない」と規定されている。一体、児童の何を尊ぶべきなのか?
「人格をだ!!」と、誰かが叫ぶ。「自発活動をだ!!」と、私は叫びたい。結局同じことになりはするが、あとのいい方の方が、より具体的だと思っている。子供を私有物だと考える母、これは母性愛のゆきすぎだと批判される。子供は国有物である、と、何年か前の全体主義的国家主義者は叫んだ。児童憲章は、それを拭い去ろうとしているのだが、さて現実はどうであろう?
スカウティングの一つの要素に「スカウティングに対しての忠節心」或いは、「道に対する忠節心」「この運動への忠節心」ということが要望されている。世界大戦後のスカウト国際会議のテーマにさえなった。この言葉の意味、その解釈ならびに忠誠心のあり方については決して一様でなく、色々の考え方があると私は思う。
しかし、何れにせよ、道とか運動とか、スカウティングへの忠誠心であって、「人」に対する忠誠心とは異なる点を注目したい。「Aさんが理事長をしているあいだは、僕はひっこんで第一線に出ませんよ。」とか「あんな奴がコミッショナーだなんて笑わせる、うちの隊は、自分とこだけしっかりやっとればそれでええ。当分地区の集会には欠席ですわ。」と、いうような声をよく耳にする。これは皆、「人」に対する忠誠をやっているわけで余りにも、「人」にこだわりすぎている。日本のスカウティング、40年の歴史をもちながら伸び育たない原因の一つである。「法」(または「道」)と、「人」と、そのどちらに君は忠誠を尽くそうとしているのか?
話を元に戻す。しかし、弟子のがわからは、どこまでも師と仰ぐべきである。「たとい師の法然上人にだまされて一生を台なしにしても、私は一つも後悔しない」と、云った親鸞上人のあの信じきった師への尊敬は絶対である。であるからこそ、師になってからの親鸞には非情にならざるを得ないことになる。「人」への忠誠心と「法」或いは「道」、我々の場合は「スカウティング」への忠誠心との岐れ目である。君は、どの道を選ぶか?
君の自発的活動にまかせるほかはない。それが、君のスカウティングなのだ!!
(昭和30年6月18日 記)
13.新しい時代に生きるスカウト教育
今日の新教育というものは、アメリカの碵学ジョンデューイの学説を基盤としていることは誰しも知るところである。70才を超えるこの考碵学の教育説は今は全世界のデモクラチック諸国の教育に対する光である。
アメリカのスカウト教育がその影響を蒙っているらしいことは想像される。また逆にスカウト教育がデューイに影響した点もあるのではあるまいか? この間の消息については残念ながら何一つ知る手がかりがない。
イギリスに生まれたスカウト教育法は、世界各国に伝播して、それぞれの国風と行き方に取り入れられた。
その例としてドイツやイタリーの改ざんは周知のごとく失敗した。ソビエート化したピオニールの現状はわからない。唯アメリカでのスカウティングは最近20年間に非常な研究と改良を見たのである。それはアメリカの建国以来のパイオニア精神と合致し、その公民教育と合致し、そしてデューイの学説と一致したからであるらしい。
これらに関しては私は今後の研究にまつ代はない。今日の処、単なる想見の域を出ない。
私はデューイの教育学説について有名なニューヨーク大学のホーン教授(Herman Harrell Horne)が新教育の特長として25項目をあげている。それを一見しようと思う。
次の項目の番号に私が〇印をつけたものは、スカウト教育と共通したものであることを示す。
1.○児童を中心とすること
2. ○児童生徒の教育参加
3.○ 個人尊重
4. ○プロジェクトメソッドの採用
5. ○討論法、協議法の採用
6. ○為すことによって学ばせる
7. ○「作業―学習―遊戯」のプラン
8. 形式的学級教授の縮滅乃至廃止
9. ○内的動機に基礎を置く
10. ○支配しない(教師は案内し指導するにとどまる)
11.学校の生活化
12.校舎の改革(学級教授が廃されるので校舎の形態が変わる。図書館、実験室、作業工場の結合が校舎である)
13.学校を社会生活の中心とする
14.○児童生徒の興味を尊重する
15.○論理方法よりは心理的方法
16.○自由訓練(強制を避ける)
17.○課外活動(エキストラカリキュラムを本体化する)
18.教科課程観の改修
19.知能検査の採用
20.学力測定の採用
21.下級中学制の採用
22.○職業による教育の重視(職業のための教育ではない)
23.○社会心の涵養
24.○国際心の涵養
25.○経験の改造を教育目標とする
以上の通り17/25はスカウト教育が既にこれを実施している。私は最後の“25経験の改造を教育目標とする”という意味についてその説明を引用しよう。
――新教育では教育を極めて広く考える。教育は生活そのもののごとく広く大きいのである。教育されるものも個人にとどまらない。集団や社会の生長が考慮される。教育とは単なる心の訓練でなく、智識の伝達でなく、過去の繰り返しでもなく、将来への単純なる準備でもなく、性格破産者の矯正を意味するものでもない。個人的なまた社会的な経験を改造し再組織し変形するにある。というのが新教育における教育の考え方である――。とこれ即ち、デューイの経験改造説から来ている。
以上のとおりスカウト教育は、正に新教育の要素を沢山備えている。そこで学校教育が新教育になったとき、それはスカウトとダブルことになるから、その時もはやスカウト教育は不要になるのではないか? と速断する先生方が出るかも知れない。だが、私はやはり二本建ては必ず存在しなければならぬと考える。それどころか、学校教育が、新教育の途を前導すればするほどスカウト教育は必要度を増すのだと思う。それは青少年の人格陶治(教育)において、まさになさねばならぬ領域と量の拡大は、到底学校教育だけでは時間的空間的に賄い切れぬからである。
かくて“Once a Scout always a Scout”という言葉は真理であって、スカウティングそのものも未来永劫不減である。
(昭和25年2月25日 記)
12.何を備えるか
“そなえよつねに”という言葉は一体何に備えるのだろうか? 何を一体備えるのだろうか? こういう自問を発してみた。普通、この標語は、いつなん時、いかなる場所で、如何なる事が起こった場合でも、善処、処理出来るということ、昔の言葉でいうと、一旦緩急あれば義勇、公に奉ずるというような、こと危急の場合、突発事件などに際して、あわてず憶せず、難にあたり奉仕するというような解釈が唱えられている。
Scouting for Boys にも、そう説明した章があることは周知のとおりである。けれども、私は危急の場合非凡な働きをするばかりでなく、平生平凡なことにも役立つ――と考えたので“やまびこ”誌には、これは「役立てつねに」と云いかえた方が、わかりやすいと書いたことがある。ところが今回は、何に備えるか、何を備えるか、という自問が出た。
まずそれには、心に備えるところ、かつ心を備えねばならぬ――と考えた。次には体に備え、丈夫な体を作らねばならぬ――と思った。しかし、それだけではいけない。溺者を助けるにも、水泳や結索法や人工呼吸法が出来なければ駄目、そこで技術(わざ)を修め、それが自分で出来なければならぬ。すなわち、技に備え、技を備えねばならぬ。そこで人格、健康技能を備えよ。つねに――ということになるが、この三つは結局、世のため人のため、奉仕するに備えることである。私はここまで考えた時にScouting for Boys 巻頭にベーデン・パウエルが挙げたScouting 指導の四つの柱を思い出して、豁然としたのである。
The subjects of instruction with it fills the chinks are individual efficiency through development of Character Health, and Handicraft in the individual, and in Citizenship through his employment of this efficiency in Service
とベーデン・パウエルは記している。
私はHandicraft を単に手技と解釈せず、術科、技能、すなわち術技と解した。この人格(Character)健康(Health)技能(Handicraft)と奉仕(Service)に備えること、かつそれらを身につけ築き備えることを、この標語は示していると思ったのである。
だから、ベーデン・パウエルは必ずしも突発事件や危急に備えよとばかりは考えなかったと思う。Scouting 指導の主たる土台は、人格造立、健康安全、技能取得、公益奉仕の四つにあること、そこでスカウトは、この四つに備えよ、いつも、つねに、とこれを要約して標語化したものだと思う。“Be Prepared”の標語“そなえよつねに”の真意はこれだと思った。さらにこの四つの柱からほぐして解析すれば、Scouting の構成原理がつかめるように思われた。
(昭和26年11月1日 記)
11.標語について
「そなえよつねに」という標語は、「何時も役立つよう準備ずみであれ」という解説でひと通りの意味はつきているようである。けれども標語の性質上、語呂なり簡潔性なりから「そなえよつねに」の7字の発声に要約されて見るとどうも「役立つ」という意思がぼやけて、「そなえよ」という言葉の方が強く響くのであります。
「そなえよ」という言葉そのものは決して悪くはない。心を引きしめる言葉であり、自らむちうつ語勢をもっている。であるからよいのではあるが、ややもすると非常突発の事件に備えるとか、天災地変に備えるとか、悪くすれば戦争に備えるような錯覚を伴わしめる。勿論そんなこともあるが、私はその事ばかりにこの標語の解説をすることに異論を唱えたい。即ち隊長が年少幹部班の訓練で、この標語をこのように解説するとしたならば、単純で素朴な少年達は、ただそれのみにこの標語を理解してしまうのではあるまいか?
そこで私はこの解説は、「役立つ」ということがその意味の根本であることを力説したい。英語でいうUsefulである。スカウトは精神において技術において、他の子供と異なる高度の訓練を身につけるのであるが、それらはことごとく役立つことによって修得の甲斐が生ずる。救急法や結索法を知るということは、単にそれが出来るというだけでは意味をなさない。それらの技術をスカウト精神によって役立たせることにより、初めて意義を生ずるのである。逆説的に云えば、役立つようにそれらを修得するにある。
結索のねじ結びに例をとれば、最初の綱の掛け方に、右廻しと左廻しの2通りがある。右廻しに巻いて右掛けして捻る場合、右からくる圧力には、締まる一方であるが、左からの圧力に対しては弱く、時としてゆるんで用をなさなくなる。左からの圧力に耐えるためには左巻き左かけにして捻る必要がある。このように「役立つ」ということを念頭において修得すれば、ここに修得の意義を生ずるのである。若しそうでなく、漠然とその時の工合いで右かけや左かけをやって、それで捻り結びが出来たと考えるような訓練をしたならば、突嗟の場合、真に「役立つ」かどうか怪しいのである。ましてや結索競争の場合、1メーターそこそこの短いロープの尾の方から通して、ねじ結びの型だけを作るような「要領結び」を指導者が得意になって教えるとしたら、結索ももはや一つの邪道に陥り、「役立つ」ということから遠く逸脱してしまう。私はこうした種類の隊をしばしば見ることによって日本のスカウトは「要領スカウト」になりそうな不安を感じている。
こうした考え方で私は「そなえよつねに」は日常生活の一つ一つに対する我等の生き方を示したもので、決して突発時に対する用意のみ指していない。むしろ平凡なることにも、そのものをマコトならしめるよう忠であれ――ということ。そのために汝の修技を役立たせよ――ということの方に強い意味があると思う。平凡なことを非凡に行なう。――ということにもなろう。
「そなえよつねに」を私は「役立てつねに」と云いかえて味わっているわけである。
(昭和25年2月20日 大阪に立寄って)
10.奉仕とは
「うちの団でローバー隊を作る計画があるのですが、肝心のローバーたちが、まだ迷っています。」という。「なぜ迷っているのか?」と問うたら、「ローバーは、地区や県連の行事に奉仕せねばならんでしょう。そうなると自分のことが出来なくなる。損するみたいだ、と思うらしい。」という答えであった。
私は、「せねばならんとは、どういうことですか? 強制されるのですか? 奉仕をしないと工合いが悪いから、やむを得ずする、という受け身的な考え方なのですか? やらされるというような奴隷的使役なのですか?自発活動での奉仕じゃないのですか?」と、連発式の詰問をした。相手は沈黙した。
私はさらに追い討ちをかけた。「奉仕は力だめしですよ。自分がどれくらいお役に立つだろうか、という力をためすのですよ。だから損にはならない。」と、たたみかけた。すると相手は、「ははァ…力だめしねェ…と、感心したような、びっくりしたような、かつ、半信半疑のような顔をみせ、せきばらいを一つして、急に話題を変えてしまった。
私は、この日以来、「奉仕とは何ぞや?」という課題ととっくんだ。スカウティングにおいて、究極の行動である「奉仕」ということについて、ひとつも研究していなかった自分に気がついたからである。研究していないくせに、口では奉仕々々と、よく云う。こいつはいかんぞ、と自分を叱った。以上が序論である。
さてここで、「奉仕」という言葉について考えてみよう。奉仕とは、「つかえたてまつる」という和訓で、何につかえるか、と、いうと、神につかえる、と、いうことから来ているようである。あるいは、これは、神道の教義にとらわれている解釈かも知れないが、神に限らず仏に対してもいえるであろう。即ち、至上なものに仕える――ことがその極限であろう。国に対する奉仕におよび、外国では、National Service といえば兵役のことになる。
大正年間以来、日本では、「社会」という意識がもりあがってきて、社会奉仕という言葉が流行するようになった。それが昭和のはじめ頃、商業主義の盛行によって、サービスという言葉が、百貨店の用語のようになった。
たとえば、大阪の大丸あたりが、そのキャッチフレーズの元祖ではなかろうか? 当時、大阪では、「ほしいしゃかい」するのだ――と「社会奉仕」をひやかした者があったことを私はおぼえている。これは、なんらかの反対給付や、儲けや、謝礼を予期したもので、結局、取引であり商売だった。これは、奉仕を看板にし、奉仕を売り物にした商魂でしかあるまい。
昭和も15年頃になると、奉仕という言葉では、もうききめがなくなった。それほど、この言葉は新鮮味を失い、無力となった。そこで、これにかわる言葉として「滅私奉公」という言葉が作られた。奉公と奉仕と同義語で、それに滅私という冠詞がくっついて、人心をとらえたものである。
日本人は、こういう言葉の魔術にかかりやすい国民だといわれる。奉公とは、公、すなわち、朝廷に奉るということ、この公が、後に主人公の公になり、主人につかえることとなり、奉公人という言葉が生まれた。雇傭人である。武士仲間では、主君に奉公すると云った。公はオオヤケであり、主家のことである。後にオオヤケは、公衆とか、社会大衆を意味するようになった。公共のことである。
スカウティングにおける奉仕の意義を考えてみよう。
スカウティング・フォア・ボーイズの巻頭に、いわゆるスカウティングの四本柱とでもいうべきものが載っている。それは、人格、健康、技能(手技)と奉仕の四つである。この四つの、どれか一つが欠けても、スカウティングは成り立たない、と、いうように思われるのである。そして、その最終段階に、この奉仕があげられているのである。われわれのスカウト教育は公民教育だといわれる。公民生活とは結局は奉仕生活なのだから、これは当然である。
よって、スカウティングのあらゆる指向は、この「奉仕」に帰納されなければならないであろう。
いま、このことを、次の帰納によって立証してみようと思う。
日々の善行――これは奉仕訓練の根本であり、積みかさねであって、方法的であり、かつ目的的である。これを忘れては奉仕はあり得ないといえよう。
そなえよつねに――これも奉仕を狙っての心がまえ、そして奉仕技能の準備である。何に一体そなえるのであるか? それは云うまでもなく、奉仕のチャンスを探し求め、チャンスを発見するや、まってましたとばかり奉仕を敢行する準備を完了することである。
「準備ずみ」であらねばならぬ。
日々の善行といい、そなえよつねにといい、どちらも自発活動がその生命であって、しなければならぬからするのではない。他から命ぜられてするものでもない。奉仕したら損をするとか、トクをするとかいう境地を超えた純粋行動である。
こういう行動が無条件にいつでも出来る人間になるように幼い時分から練習する。その練習期にあっては方法的に或る条件を与えて条件反射をくりかえす必要があろうけれども、その積みかさねが、いつしか習性となって無条件反射的に出来るようになる。そういう人間にすることがスカウティングである。観察推理訓練の目的も、また、ここにあるのである。
ちかいの第2――いつも他の人々を援けます――も、
おきて第3――スカウトは人の力になる――も、奉仕の徳目である。
さらに誠実、忠節、友誼、親切、従順、快活、質素、勇敢、純潔、敬虔のそれぞれは、いずれも、人につかえる道である。スマートネスもまた、人に悪感を与えないというモラルである。
まじめにしっかりやり、互いにたすけあい、自分のことは自分でする。おさない者をいたわり、そして進んでよい事をする――というカブスカウトのさだめも、みな、人への奉仕を意味する。
これら、人への奉仕は、いいかえれば、自分への奉仕――自己研修――ではないか!
B-Pは、自己研修という言葉をあまりつかわない。「自分への奉仕」と云っていたことは注目に値する。自己研修という言葉は、東洋的、日本的な表現であろうが、何となく個人主義的、利己的、打算的な感がする。これについては、後述したい。
さて奉仕活動を発動するにあたって、その奉仕分野は、いろいろ考えられる。
まず自分の属する班や組の者に対する奉仕、それから次長や班長、組長、デンチーフ、デンマザー、デンダットへの奉仕、上級班長や隊付や副長補に対する奉仕、副長、隊長に対する奉仕、団委員、団委員長に対する奉仕、それに、集団としての組、班、隊、団、地区、県連、日連への奉仕、世界のスカウト圏への奉仕、ひっくるめてスカウティング運動への奉仕がある。
これ以外に家庭、隣保、地域、職域、学域、公共社会、国、国際世界への奉仕もある。
また災害救助や犯罪防止や防火、植樹、自然愛護、環境衛生、交通安全、助けあい運動、募金などへの奉仕もある。場合によっては軍役奉仕もあり得よう。宗教奉仕も考えられる。
考えてみれば、日々の生活は、一刻といえども奉仕ならざるはなし、どれかの奉仕に直面している、といえる。
ここで問題をしぼって、先に述べた自己研修と奉仕について、もう一度考えてみたい。
あるローバーたちは、前述のごとく、奉仕に引き出されるならば自己研修が出来なくなるという。そして損だと考える。私は、この段階の人たちに、次のような図を示したい。
<図略>
このように、彼らは、ふたつに分けて考えているらしい。ところが、私は、こう考えている。
<図略>
その理由は、奉仕することによって自己研修が深まり、自己研修によって、奉仕もまた進歩するからである。
そして二つの円のかさなっている部分は、自己研修すなわち奉仕であり、奉仕即自己研修であって、どちらか片っ方だけでない、と思うのである。
B-Pが、最後のメッセージに述べたところの、真の幸福というものが、丁度この部分にあたるように私は思う。すなわち他人の幸福をはかることによって自分の幸福を得る、という思想である。東洋思想では、これを、「徳」と云う。「徳を養います」――とは正に、これをさしている。私は、こういう奉仕が、本当の奉仕だと思うのである。
滅私奉公のような、自分をギセイにする奉仕――は、まかりまちがうと、とんでもない奉仕になりそうだ。なぜか? これは売名的になったり、人権を無視した強制になりがちだからである。奉仕によって自己も活かされねばならない。自己を殺したのでは、それは奉仕ではなくて、虐殺である。自殺を美化したものにすぎない。いいかえれば、義侠心を満足させるだけのための奉仕であるならば、それは自己満足は出来るだろうが、人は迷惑せんとも限らない。報償をアテにした打算的な、交換条件的な奉仕は、胸糞がわるくなる。名誉心にかられた奉仕も、ずいぶん世の中にはあるものだ。
結局、「善」とは何か? という課題と同じようなことになってきた。「奉仕とは何か???」
これは純粋無垢の善や、無条件の奉仕をした人だけが答えられるもので、そのようなことを、まだ、したことのない私には、いくら頭をひねっても答えられないのは、甚だ残念である。私は、ひとの答案をひっぱり出して、ご覧にいれるほかはない。
中国の古哲人、老子は――善行無轍跡(ゼンコウ、テツセキ、ナシ)と答えた。善行の純粋なものは、車の通ったあと、ワダチ(轍)のあと(せき)がひとつも残らない。輪跡がない、というのである。ひとに見せびらかそうにも何もない。まことに空気のような善行だ。
印度の聖雄とうたわれたガンジーは、「真の善行は、純潔な者だけが、なし得る」と答えた。「善行をひとつ、してやろう」などと考えてから善行するような作為の人間は、もうすでに不純だ、というのである。いわんや善行したら、ほめてくれるだろう、などと、報酬を予期するような善行は、不純だから善行ではない、と、いうのである。
ここで私は、「スカウトは純潔である」という、おきて第11を思い出して、冷や汗が出た。
英国のおきて第10にこれがある。英国のおきて(Law)は、最初9ヶ条だった。ところが、みんなが、もう一つふやして第10に「純潔」を入れてほしいと、B-Pにおねがいしたところ、B-Pは最初は反対した。その理由は、おきての第1から第9までをひっくるめてぶつかっても、「純潔」には勝てない。それほど純潔という徳目は比重が大きいのだ。もし、これを第10に加えるならば、純潔の比重は10分の1にしかならない。とんでもないことだ、というのであった。B-Pのこの説明は、大いに味わうべきもので、おそらく、ガンジーの言葉と相通ずるものがあるであろう。とにかく純潔は、10分の1ではないぞということを土台として、結局、おきての第10に加えたそうである。
(レイノルズ著、“Boy Scout Movement”による。)
実行した人の言葉には、力があるものだ。B-Pの云う「自分への奉仕」という言葉を味わいたい。
(昭和36年3月6日 記)
9.忘れられない話(その2)
1929年(昭和4年)7月14日は日曜だった。われわれ日本からの派遣団28名は、ギルウェル野営場でもう5日目のキャンプを迎えた。前日の土曜にロンドンからテントをかついでキャンプに来ていた英国の多くのスカウトたちは、遥か東の日本からこんなに多くのスカウトが来ているとは想像もしなかったらしく、私たちのテントにあそびに来て、物珍しそうに質問やら会話をし、お茶(紅茶)を味わったりしていた。
その少年の中に、15才になるJ(名は忘れたのでJとしておく)というスカウトがいた。ロンドンのある銀行の給仕をしているとかいった。たぶん2級スカウトだったと思う。
たのしい週末の一泊キャンプを、はからずも日本のスカウトと語った彼は、夕方、すっかり帰り支度をして、われわれのテントにやって来た。さよならをいいに来たのだ。彼は帰りがけに、何かお役にたつことがあったら命じてください、といった。わたしたちは彼のスカウトらしい申し出をよろこぶとともに、あることを思いついた。それは写真の現像と焼き付けをロンドンのDP屋でやってもらい、それをここまで持って来てほしい、というたのみであった。近くのチンフォードの町にはDP屋がないのと、われわれはジャンボリーのため月末にはギルウェルを出発しなければならないし、その前に、スカウトコースに入所する者もいるので、ロンドンまで出かける時間がない、という説明をこの少年にした。その結果、J少年は快くひきうけてくれたのである。数人が彼にたのんだので相当の量になった。
さて、こんど君は、いつ、ここへキャンプに来るか? とたずねると彼は、次の週末は、隊集会で来られない。だが、ウィークデーに何とか都合して持ってきてあげます。と約束して帰って行った。
あくる日7月15日、第71期スカウトコースが始まるので吉田、中村、田村、阿左見、吉川、小林の6人はそれぞれ入所した。22日からはカブコースに幾人か入所した。入所しなかった者は別のプログラムをしていた。
何日だったか記憶にないが、スカウトコースを出てからはもう、ジャンボリー行きの準備で連日多忙だった。ある日、夕方といいたいが、ここでは日没は9時半であるからまだ夕方という感じがしないが、6時頃、野営場の(スカウト用の)門のところで大声で呼ぶ者がある。その頃、日本のテントしか立っていないので、きっとわれわれを呼んでいるにちがいない。一体誰だろう? と思っているうちに誰だったか「あっ、Jだ、Jだ」という。そうか、たのんだ写真を持って来てくれたらしい――と、みんな気づいた。そこでこちらも大声で「よう、はいってきなさい」と叫ぶ者、「おいしいお茶があるよ――」と、いう者、だまって手をふる者、…。
ところがJ少年は、門の棚によりかかって手を左右にふって、「はいれない」と合図をするばかりである。
「なアーンだ。はいってくればよいのに――と、ぶつぶついいながら、二、三人駈けて門のところへ行った。
J少年は、たしかに、たのんだ写真の現像と焼き付けとを一括して大きな封筒に入れて持ってきてくれた。別の封筒には代金の勘定書とツリ銭がはいっていた。
「ありがとう――」と私たちは肩をたたいたり手を握ったりした。
ロンドンから汽車に乗って約30~40分、そして歩いてまた30~40分、わざわざ届けてくれたので、せめてお茶ぐらい接待しよう、と考えたから、私たちは、テントまで来ないか? とさそった。ところが、彼の返事は実に意外だった。
「君たちは、この門のわきの掲示板が見えないのですか? スカウト服でない者は入ってはいけない――と書いてあります。ぼくは、今日は銀行の帰りですのでスカウト服ではありません。だから、はいれません」
いかにも、それはギルウェルのキャンプチーフのかかげた掲示である。
「だってもうやがて日は暮れるし、ほかにだれもいないから、はいってもいいじゃないか」と、ある一人が笑いながらいうと、J少年は直立不動の姿勢で、
「ぼくらが作ったルールを、ぼくらで破れますか?」といいきった。
この一言に全く私たちは一発くらった。
「わるかった」と、口の中であやまり、頭をたれるほかなかったのである。
昔、ウォーターローの戦で、ナポレオンを破って世界の英雄となった英国のウエリントンは、その光栄につけあがって手のつけられない権力者になった。ある日、馬に乗り多くの従者をつれてロンドンから田舎へ出かけた。
そこにとても大きい牧場があった。牧場の外をぐるりとまわったのではとても時間がかかる。そこで彼は牧場の中をつききろうと一むちくれて馬を牧場に乗り入れた。すると1人の少年があらわれ、入ることならん、と両手をひろげた。ウエリントンは、馬上にふんぞりかえって
「おれを誰と思うか? ウエリントンだぞ!」と、どなった。「ウエリントンだろうと誰だろうと、ここを通ることはならん」少年の眼には怒りの光さえさした。「きさま、なまいきなやつだ。一体誰にたのまれてじゃまをするのか?」
「ぼくは番人です。牧場主のいいつけをただ忠実に守るだけです。」と答え、さらに一段と男らしく、「それが、ぼくのデューティーです。」と、直立して叫んだ。
ウエリントンは、そのけなげな少年の最後の言葉に打たれた。そして馬からおりて帽子をぬいでこの少年にあやまり、遠まわりして駒を進めた。
この話は、私が子供の時分、本で読んだ有名な話である。
今でも英国には、デューティーを果たす立派な少年がいることに私は感心した。
そんな思想は封建的だ――と、けなす人があるかもしれない。主人、主君、傭主、上長からのいいつけに盲従したり、虎の威をかりる狐みたいに権力者をカサに着て威張るならばそれは封建的であろう。
「わたしたちが作ったルールを、わたしが破れますか?!」という言葉には自主性がある。たとえそれは、ギルウェルの所長が作ったおきてなのであっても、結局スカウトが作ったのだからスカウトがこれを守ることは当
然である。おきてというもの、ルールというものは自分が作ったのではなくヒトが作って、押しつけるものだ、と考えるから交通規則も中々実行されない。そんな連中になると自分が作ったものだったら、誰にはばかるところなく、一層破り放題破ることだろう。
よい話というものは、今を去ること33年前の話でも、昨今の話のように、心によみがえり、心をうつものである。
(昭和37年1月17日 記)
8.忘れられない話(その1)
1929年の夏、私はギルウェルパークの第71期スカウトコースのクックー班に入所を許された。この班は何人いたのか記憶がないが、8人あるいは9人もいたかもしれない。なにしろ今を去る33年の昔のことである。
私以外は皆異国人だ。従って印象に残っている顔姿も少ししかない。ビルマの鉱泉会社の社員だという英人(この人の話が本稿の中心となる)と、消灯後1時間ぐらいベッドの上に端座して、お祈りをしていた若い清教徒の英人、すばしこく要領のいいデンマーク人、それにセイロンの黒光りするヒョウみたいな小柄の男(ネービスという名、この男の名前だけおぼえている)このほかにフランス人が一人いたようだ。あとは全然記憶にない。
ビルマから来た英人、仮にA君としておこう。この男は年令30代(当時、私も36才だった)中肉中ぜい。筋肉の頑丈さからみて私は軍人あがりだろうと思った。私はいつもこのA君とコンビになっていた。
炊事当番の時でもこの男と二人でした。彼は私を“Mura”とよんだ。私の苗字の後半だけをよぶわけ。入所第1日の夕食から二人は炊事係となった。A君は私に「ゲッツ、ムルキ!」と命じた。ムルキとは何か、
私にはわからない。ムルキとは何か? と聞くと、目をとび出させて私の顔をAはにらむ。スペルとたずねるとM、I、L、Kだという。なアーンだ、牛乳か…と私は彼をにらみかえした。そして牛乳を貰いに行った。英人は、iをUと発音し、aをアイと発音することに気づいた。
わがクックー班は、9日間のコースの内の6日間、連続優勝した。これは地の利と人の和のたまものであった。
みなよくやった。終わり頃、1泊の1級ハイクに出かけた。ギルウェルの方式によると班長、次長は毎日交代するが、1級ハイクの時だけ班の中の一番優秀な者が選ばれて班長をつとめることになっている。
A君がそれに選ばれた。次長は班長が自由に選任するのが英国のやり方だ。私はAから次長を命ぜられた。よし、ひとつ日本のよいところをみせてやろう、と私は承諾してAの手を握った。
ハイクのパトローリング隊形、これは英国流に非常にきびしい。各員がうっかり互いの間隔をつめると、班長はすぐ号笛を短奏して注意する。次長は一番先頭をきるので私は実に快心のよろこびを抱いた。地図と想定書を持ち、ぬけ目なくあたりを観察してサインとか異変を発見する。エピングの巨大な森の中を進むのである。
自分はこれまでに日本の中央実修所を3回と地方実修所を1回終了し、常設近畿地方実修所の副所長兼隊長であるし、大阪藩長である。少なくともハイキングについては人一倍やかましい奴だ。そこいらのヘッポコに負けてたまるもんか――と、自分勝手なことを考えながら、まてよ――向こうからバイクで来る男はスパイらしい。
観察また観察、腕時計で時刻を確かめてノートする。コースはエピングの森を北に向かうとみてとった。コンパスは最後の必要な時以外、見てはならないことになっているからだ。だいぶん歩いた時複雑な辻に来た。五辻になっているのだ。ふと見ると草むらの中に置手紙を見つけた。次長たるものが見のがしてなるものか! 駈けていって開封すると、「この五つ辻を北に進み約1マイル3/4の地点にある教会の尖塔にある風見車(注・ウエザーコック)を写生せよ」と書いてあった。
私はちょっと立ち止まって周囲に眼をくばった揚句、よし、この道だとばかり今来た道の延長線、すなわち方角をかえることなく五つ辻のまん中の道を選んだ。すると、うしろで班長が号笛を吹いて私に停止を命じ、片手信号で分岐点まで戻れという。
これは面白い! 彼の方位判断と私の判断との対決だ。ひとあわふかしてやろう、と、悠々と分岐点へ戻った。
班長は、「この道だ!」といって斜め右に行く道を示した。「スカウトは服従する」という英国のおきて第4に従って私は班長の命ずる方向に進んだ。
一面の森とジャングルとの中に作った舗装道路だ。私は分岐点を出る時、そっと時計を見ておいた。ここから1マイル3/4の地点か――教会々々と前方を見つめ、かつ、時計をしらべた。分岐点から10分、15分…来たのに教会らしいものが出てこない。18分になる。ピッ、また班長の笛だ。私はとまった。それみろ、と思って班長のところへとんでいって、ぼくの判断の通りだろう、こうなったら、このジャングルを左へまっすぐ横断すれば、必ず教会へ出られるからジャングルの中をもぐろう――と、私は班長の肩をたたいた。すると班長は大声で、「ノー」と叫び、「進路をあやまったら一旦分岐点まで戻るのがルールだ。戻ろう」という。私は不満だった。そんな手間をとらなくてもよろしい。自分のカンに狂いはないのだからジャングルの中をつっきろう、と云った。再び「ノー」と班長は叫び、次いで「命令だ」といって全員分岐点まで戻るよう命じた。
五辻に戻ると班長は、なにやらひとりごとを云いながらコンパスを出して、路上においた。私はすぐ、近づいてコンパスをのぞきこもうとした。チラと見ただけで私は自分の判断した方位が正しいことを見てとった。そのトタン、班長は私を抱くようにして約1メートルあまり私をコンパスから遠のけ、彼もその位置に直立したまま根気よくコンパスの針の静止するのを待つのである。
私は、はっきり「やられた!」と自覚した。英国のスカウトは、コンパスの見方を基本通り実に馬鹿正直に実行しているのだ。腰にはスカウトナイフだの金物など、コンパスに影響を与える鉄性のものがないとも限らない。
そんなことぐらい日本の2級スカウトでも充分知っている。知っていて実行しない。これが日本人の欠点だ、と私は自責した。
結果的には私の方位判断が彼にすぐれていた。その証拠に教会のウエザーコックを発見してスケッチをした。
その地点は、さきに誤って進んだ道からジャングルをぬければ、今までかかった時間の3分の1ぐらいの短い時間で教会が見えたであろう。
日本のスカウトならおそらく10人中、8人か9人までは、私のようにジャングルをぬけて近道を選ぶであろうが、馬鹿正直と笑えば笑え、ルールに忠実であり、B-Pに誠実なスカウトは、単に英人に限らず、わざわざ分岐点まで戻って、正しいコンパスの使用法を実行して私心のないスカウティングを実践するだろう。私は一生の教訓を受けた。このハイキングにも、わが班は優勝したが、その印象よりもこの教訓の方が、うれしかった。
ある朝、A君と私は2度目の炊事当番になった。今はないそうだが、その頃のコースには料理法のテキストが備えてあった。
「玉子を班の人数分だけデキシー(鍋の名)に入れ水を入れて火に15分間かけること」なアーンだ、玉子をゆでるのか、と私は思った。幸か不幸か連日上天気で薪はよくかわいている。土もかわいている。火はどんどんもえた。マッチ1本で点火できた。まもなく鍋の中はふっとうしたらしく玉子が音をたて湯気はぷっ、ぷっと、鍋のふたをつきあげてきたので、私は鍋を火からおろそうとした。
するとAは腕時計を見ながら「ノー、ノー」と連発した。次の言葉は「あと27秒ある」という。私は驚きかつあきれ、同時に感心した。あとで私は、15分というのは標準だよ、快晴の夏の野天で、あんなに火勢が強いときは14分でも13分でも出来あがると思う、というと、彼は、「それは、わかっている。けれどもルールはルール、命令は命令だ。」とうそぶいた。いったい、どっちが本当のスカウト的なんだろう、と私は今でも考えさせられることがあるが、Aのいうことはやはり正しいと思う。
基本を学ぶ者の姿は馬鹿正直でなくてはならない。誠実こそ「基本の基本」だと思う。日本人は特有のカンにたよる傾向があり、その上、結果だけを考えて、方法を正規にふまず、はやまくで要領よくこなす癖がある。これではモノは出来ても人間は出来ない。
(昭和37年1月13日 記)
7.初夏随想・指導者のタイプ
隣の家から金魚を3尾もらった。早速ガラスの金魚鉢を買って来て入れた。一本の金魚草が入れられており、底の方にはきれいな小石が沈んでいる。
それを見ていると、いかにも初夏の気分がするし、見とれている自分は童心にかえったようである。
金魚は、赤と黒と、そのまだらとの三種でまことに鑑賞に値する。水の深さは25センチもあるので、彼等は上ったり下ったりしてかなりの運動をたのしんでいる。
あくる朝、私は床の中から金魚鉢を眺めた。その小さい宇宙の中には、美しい朝の光線によって、平和な小世界が、たしかに実在している。造物主は、まことに霊妙な制作をし給うたものだと感心した。あの小さい魚の体内には、呼吸器もあるし消化器もあるのだ。骨も血管も神経もある。感覚器官や運動機能もある。生命体、組織体、有機体として一応完備したその個々のものである。その個々は絶対的個体であって、その一小部分ですら他の生物と取り替えることの出来ないものである。
彼等は、金魚草にたわむれて遊び、水中の酸素を吸い、小石の苔を食う。動物、植物、鉱物の関連、相互扶助、共栄、バランス、そして調和から来る平和の世界が示されている。これは、スカウティングの在り方への示唆のようである。
けれども、金魚たちは大海を知らない。それを知れ、というのは無理である。彼等は塩水にむかないからである。
そこに限界というものが厳存する。
スカウティングは、まみずでもあるししおみずでもあるらしい。そのしお水は世界の七つの海にあふれ、五大陸の岸を洗う。スカウティングは、五大陸、七つの海にゆきわたっている。
その塩水に、世界の少年少女や青年、そして大人までが洗われ、浄められ、毎日毎夜を幸福に暮らしている。平和に。これは金魚鉢の、もっと、もっとでっかい一種ではあるまいか。
もしかして指導者たちが、もう、スカウティングの免許皆伝を得たかのようにうぬぼれるならば、大海を知らない金魚と変わるまい。
金魚や金魚鉢には限界が厳存するが、スカウティングには限界がない。
人間には悲しいかな限界がある。限界のある人間が、限界のないスカウティングと共に在りたいと念ずることは、また、念じてそれが叶えられつつあることは、本当に本当に感謝にたえないよろこびである。
(昭和33年6月16日 記)
6.隊長がエライか? 地区委員がエライか?
近頃“逆コース”という言葉が流行する。
弁証法的にいえば、これは進歩への一つの必然なプロセスで、時計の振子が右に動いたのが次に左に振るのと同じ運動であって、右から見れば左するのが逆コースであり、左から見れば右するのが逆コースとなる。だからどっちみちこれは相対的な見方で、いつの世にも逆コースはあるわけだし、これが進歩の運動法則なのだ。
そこで、逆コース必ずしも逆ならず――と、いいはることも出来る。そして、この逆コースがもしなかったら、万有は停止し死滅するともいえる。バランスをとる貴重なる運動なのである。そして進歩とは、よりよきバランスの向上ともいえよう。
水無月というのに、梅雨でこれでは水有月ではないか? と思うだろうが、新暦と旧暦とのズレからこんな疑問がでるのだ。水無月は6月にちがいないが、それは旧暦の6月で、新暦では7~8月頃にあたる。五月雨(さみだれ)というのが新暦6月の梅雨に相当する。
こんなことをなぜ書くのかというと、今の日本人、特にアプレゲールたちは、モノの本来のワケを知らないで、いろいろの現象、実体を独断的に判断して、幾多の誤りを犯し、自分自身、自家矛盾を作って、あるものは、他人をつるしあげて威張り、あるものは悲観して自殺する例が少なくないからである。この種の“逆コース”を本末テントウ型と名づける。大戦とその敗戦、それにつづく占領治下の十年間、日本の過去と現在とは、まっぷたつに切断されたので、どこか血の通わない部分が出来たため、モノの考え方が断層的になったせいである。
だが、それだけが原因ではない。明治時代の急速な文物輸入と、いわゆる先進国の仲間入りをあせった結果から来る、消化不良の固疾が今では慢性になって、こいつが第二の原因になっている。
『多数決だから、それはよいことにきまっている!』と、いう頭も、この病気のせいである。『そのことがよいから、多数の者が賛成するのだ!』この方が正解であり、真理である。しかるに多数決は常に正しいという逆コース的判断は本末テントウ型で誠に困ったものだ。このような逆コースは、決して進歩をもたらさない。衆をたのんで『真理』をおおいかくすもので、政治では多数党横暴となり、経済面、社会面ではいろいろの闘争を起こし、結局『勝った者の天下』という勝敗世界に日本を陥れる。いつになったら真理日本が現出出来るか? すこぶるなさけない。
隊長がエライか? 地区委員がエライか?
エヴァンソン氏著『地区運営』(Evenson:“District Operation”)の14ページに隊長が隊長本来の任務を忘れて、地区委員の仲間入りをして行政面にタッチすることを得意とし、自分の身分が何階級も上昇してスカウトのオエラ方の仲間入りをしたかのように考えるのはとんでもないことだ――とボエンを喰わしている。
そして『彼(隊長のこと)は、スカウティングの中の単位隊指導者に、既になっていることを忘れているのだ! 彼は多くのスカウターの中の最高の階級に彼がなっていることを知らなかったのだ!』と警告している。
この隊長最高論には私も大いに共鳴する。さきに、万年隊長論を書いたのも、表現の仕方は違うが、エヴァンソンの心境と同じ所意にもとづいている。地区の委員や、コミッショナー、県連の理事やコミッショナーなどが、隊長よりエライという考え方、隊長からそれらの職に転ずることは、栄進であるとみる考え方には私は大反対である。地区県連のそうした人々の側でも、隊長よりオレの方が上役でエライと、もし考えるならば、とんでもないくわせ者である。かかる本末テントウ的逆コースは是正されねばならない。
私は思う――隊長以外のスカウター全ては、ことごとく、隊長への奉仕者助言者であると。エヴァンソンは、県連はスカウティングに奉仕する『まかない方』だといっている。或いは車掌さんである。乗客は隊長である。
総長を始めとした理事長、理事、局長等々は、皆隊長に奉仕するために存在している。
ただし、私は隊長諸君にも申し上げたい。もし君は1級はおろか2級の指導も出来ないようなら、一人前の隊長でスカウターの最高位だ――と、うぬぼれないこと。一人前の隊長とは、少なくとも10人の1級、30人の2級を作りあげてから言い得るのではあるまいか?
それだけではない。B-Pの意図に即するとおり、本当に班制度を活用しているか? 或いは今はまだ年月浅くしてそこまで到達しないけれども、そうする努力に人並み以上励んでおり、基礎だけは出来た――と、いうのなら。
隊長より地区委員の方がエライ、地区委員より、県連理事の方がエライ、理事長はその中でもエライ、日本連盟の理事は、それよりエライ…というような考え方が、もし実在するならば、それは二つの大きなミステークがある。それは
1.地区を通じて、県連なるものは隊の連合組織だと誤り考えているためである。
県連は決して師団司令部や総本部ではない。日連も然り。むしろ、県連、地区は加盟育成団体の要請によってスカウティングを、大成せしめるため隊長たちに協力する奉仕後援連合会なのだ。
2.委員とか理事とかいう個人には執行力も何もない。
委員会とか理事会とかいう機関にはそれはある。彼等一人一人の個人は、単にその会のメンバー(一員)たるにすぎぬ。個人の彼がその会(委員会、理事会等々)から業務執行を委託されて、その会としての仕事を行う場合の彼は公人であろうし、当然業務を行う権利義務をもつが、そうでない場合、彼は単なる個人である。外国語には委員とか理事とかいう言葉は委員会のメンバーと表現している。機関とそのメンバー、公人と私人の立場をはっきりしている。隊委員会(団委員会)なども同様である。こういうことがハッキリわからず委員だから理事だから、議員だから、代議士だから――エライ特権がある、と考えるあいだ日本のデモクラシーは、半熟である。
今やハイキングの好季節である。
アメリカの本を見ると、隊委員会は、その隊の全ての少年に、年間少なくとも十日十夜のハイキングと、キャンピングをさせることを義務づけているようだ。(ただし、そのハイキングとはどこかでやっているような、お弁当持って、毎日曜江ノ島に遊びにゆくようなとはちがう。)
2級訓練は主にハイキングで、そして1級訓練は主としてキャンピングで――という通念に従えば、今や2級と1級訓練の好機である。
各隊とも、この機を逸せず少なくとも5人の2級1人の1級を作ってほしい。32人の一隊で2級は少なくとも10人欲しい。それは、
1.班が4つとして班長として4人。
2.カブ隊が生まれるとして4組のデンチーフとして4人(6組――最大限――なら6人)
3.あとの2人は他の任務に
2級がたくさん出来ないと班別制度の充実に、進級制度の操作に、技能章課程の実施に、ひいてはシニアースカウトのプログラム展開に、そしてカブスカウトの組織に一大支障を来すのである。
2級がたくさん出来るか出来ないかは、スカウティングの死命を決するヤマである。
(昭和27年6月5日 記)
5.ローバーリングは電源である
1956年、英国のローバースカウトの制度が改正になったとき、当時の総長ロード・ロウオーラン氏は、「私はローバーたちが、これに対して忠実な支援をおくってくれること、ならびに、ルールを守って、ローバーリングをして、スカウト精神生産工場たらしめるだけでなく、スカウティングの全ての部門が、本当の電力をそこから引くことのできる発電所とするように、このローバーリングを、最善の水準にあげることを望む」と云った言葉を、特記したい。
次に、B-P、「スカウティングは、組織ではなく運動である」と云った言葉を、これとならんで、考えたいのである。
このMovement(運動)であるという意味は、たしかに大きなボエンだと思われるのであるが、私にはまだ、確とした意味がわからない。推察の程度でいうならば、スカウティングは、制度や規約や、組織で縛られた窮屈な、発展性のないものではなくて、生物のように、有機体のように、成長し、発展し組織員以外の人々のあいだにも伸びひろがるものだと、いうように解される。見方を変えれば、「運動である」ことの方が「目的」であって、その目的を達するための「方法」として、「組織」がいるのだ、と説いているような気がする。
私は、こういう見かたから、B-Pとロウオーラン氏のいう「発電所」「運動」という二つの言葉を味わっている。すなわち、スカウティングは、現在、全世界の800万人の青少年にまで及んでいるが、これで満足すべきではなく、この運動は、1000万人の人々、さらに、2000万人の若者や、あらゆる人たちに向かっても伸びてゆかねばならないであろう。数量の上だけでなく、質の面でも、さらに掘り下げられ、層を深め、充実されねばならない。
換言すれば、遠心運動と、末心運動の二つの運動を増大せねばならない。そういう「運動」だ、と示し、そしてその電源はローバーリングにある、と、言っているように思うのである。
すなわち、このスカウティングという大運動のメカニズムには、カビングという部分や、ローバーリングという部分がある。けれども、この、メカニズムにおいて、ローバーリングこそが、その電源だという解説である。
そこで、もし、ローバースカウトたちが、その使命を怠って、発電しなかったなら、また、発電はしても、弱い電力しか出さなかったとしたら、スカウティングという大運動のメカニズムは、充分な活動をすることができずに、お茶をにごすほかないことになる。
英国は、前述のように1956年4月1日、電力強化のため、大英断をもって、ローバースカウトの課題を大幅に改正したわけである。
日本のローバーリングは、1960年現在、そのプログラムもきまらず、発芽期にある。このような制度(進歩制度のような)は、作ろうと思えば、机上のプランで、わけなく作れる。衆智を集めれば、1カ月で出来る。
しかし、それでは、「運動」にならない。これが、運動から盛りあがったものとするには、ローバースカウト自らの力で、発芽し、育て、組み立てた制度でなければならない。時日や年月はかかっても、その方が本当である。
「根」をもつからである。そうでなかったら、「造花」にすぎない。
今夏、第1回のローバームート(青年スカウト大会)が、那須日光にわたって催された。全国から、大学ローバー(立教、慶応、大谷、龍谷、京大、中央大学)や、地域団のローバーたちが参加した。こんな愉快なものなら毎年集まろう、と皆が云った。最初、「日連は、ローバーリングに対して定見をもたない」とか「案を出さない」とかいう声もあったが、最後には、「自分の舟は自分で漕ぐべきだ」、「ローバーのことは、ローバー自身で建設すべきだ」ということがわかって、少しずつ、電力を出してきた。そして、おわりには、すばらしい成果を、おさめたのであった。
私は、ロウオーラン氏の、「電源論」を、みんなに、紹介しておいた。
単位団でも地区でも県連でも、ローバースカウトの発電力がなかったら、機械はうまく動かないだろうと、思う。
(昭和35年11月1日 記)
4.スカウティングのXとY
XとYというとこれは二元方程式に用いる符号である。スカウティングという方程式にもXとYという二元があると思う。
私は、Yという符号を教育訓練という符号に用いる。即ち隊長やその他の指導者はこれに当たる人である。副長以下上級班長、班長までに及ぶだろう。隊指導者は講習会、研修会そして実修所などのコースで勉強するが、これはYの勉強である。スカウティングは教育であり、訓練であり、即ちYである、ということは決して誤りでない。ゲームであるが訓練である。レクリエーションではない、と。
カブからだんだん年令がのぼってBSになりSSになる。ここまでの段階は全てYである。彼等は世間の小学生、中学生や高校生たちと何かちがう教育訓練をうけている自分を意識し、それを誇りとし名誉としている。そういう対象の指導にあたっている指導者たちにも、普通の大人、社会人などと違ったものを自分の生活に感じる。
それは決して悪いことでもなければ、まちがいでもない。ところが、今ローバースのことを考えている私には、RSもやはりYでゆくべきか? という問題が起こっている。そして、Yの部分もあることはあるけれど、いま一つのものがある。それはXだということを今考えている。即ち教育指導という求心的なものと反対の方向(反対の方向という表現は極めてデリケートである。)として遠心的なもの、これをXと名づける。ただし遠心とはいうものの、これは決してスカウティングから足を洗って外れることではない。足は依然としてスカウティングの核心についているのだ。今私がデリケートだというたのは、その点である。青年期になると、今まで辿ってきたものの逆を行ってみたい気がする。心理的にはレジスタンスである。こういう年頃にRovering があるのである。その意味で彼は二元方程式を解かねばならぬ。
Xとは運動(movement)としてのスカウティングのことを私はそう表現する。即ちスカウティングは決して教育訓練のみではないということである。movement としてのスカウティングがあるということを考えたい。換言すれば、頭初述べたようにXとYの二元であるということを。
このXとYのバランスがとれていないとスカウティングは発展しない。日本にスカウティングが伝来して48年になるのに、これが一向に広まらない原因は、遠心力にあると私は診断する。十人が十人、百人が百人、皆が隊長になる必要はない。君たちが永年スカウティングでうけたご恩をお返しする気があれば一介のRSとしてこれを果たす道は立派にある。即ち立派な家庭人として、良き社会人として、スカウティングで得たものを遠心的に働かせて本当に、ちかいの第2、おきての第3を実行する道である。真宗で説く還相回向であり、感謝報恩の生活である。
このmovement の在り方が本当にスカウティングをPRする道であろう。私どもは、日本のスカウティングが、年少のCub や、Boy あたりの年令者に偏していたため、考え方が永年、教育訓練の面(即ちY)にのみ執着してしまい、実修所に入らねばリーダーでないように思い、教育の万事をその線で割り切ろうとしていた。然るにSSからさらにRSに対象がのぼって来た今日、卆然として反省させられたのである。むしろYは、Xになる前提であり、課程であるとさえ思う。本当のスカウティングはこれからなのだ。Xなのだ?
The enthusiastic Scout has suffered from this in the past and we have been accused of making ourselves into “peculiar people,”. If we are to be able to give of our best to Scouting, we must be in close contact with community life.
「こんなことか今まで熱心なスカウトは悩んだ。我々も自分を“変人”にして来た罪を犯している。我々が全力をあげてスカウティングに尽くし得るためには、公共社会と密接な接触を持たなくてはならない。」
これはロウオーラン氏(英国の総長)が“Plan for Rover Scout”の序文の末尾に書いた一文である。
私自身、変人になっている。スカウト狂人といわれる人もあって中々面白い話もあるが…これも悲しいかなスカウティングが世間で特殊扱いされていることから起きている。私は日本のRovering を築くことによってこれまでの不備を充足し、日本のスカウティングの完成を期したいと思う。
(昭和31年6月5日 記)
3.偉大なる自発活動
B-P祭を迎えるこの日、私は“おきて”を厳しく自分に深めねばならない。次の話は、イギリス連盟発行の“ザ・スカウト”(週刊誌)の1955年11月4日刊行の誌上に主筆のハゼルウッド氏(Rex Hajelwood)が執筆したものによる。それは僅か10才のカブ、ロバート・マックリントック少年(Robert Maclintock)の行なった偉大なる自発活動ぶりについてである。1916年発生したウルフ・カブの運動は今年まさに40年を迎えるので6月16日から24日までギルウェルパークで記念行事が行われる由であるが、私はこの佳話を広く日本のスカウト兄弟に伝え、もってこの祝福の言葉にいたしたい。
1955年9月17日、ハゼルウッド氏は北部アイルランドに旅した。同夜は、Larne でのオールド・ウルブスの集会に臨席し、夜遅く45里の道をBallycastle に引き返し、80人の班長たちと会合で歌い語って1泊したのは23時20分であった。海岸であるこの地方はその夜、雨雲低くたれて恐ろしい風で海は荒れていた。
翌日、朝早く一少年の勇敢な人命救助の話で皆は夢を破られた。その行動に力をかしたトメルティ(Peter Fomely)というビッコの男の話によると、――「私は防波堤の終点にある小店に立っていました。その時、波は大体50尺位の高さで防波堤を乗り越えぶちあたっていました。そして2人の男の大人と2人の少年が、波にさらわれて港の中へ流されているのを見ました。
一人の少年がエビの壷をしっかり持っている。私は防波堤を大急ぎで走って救命帯の置場へ行きました。長いロープをみつけて、その少年(その少年はギルバート・ハミル Gilbert Hamill)の方へ投げました。彼は大波のてっぺんに乗っていたところです。不幸にしてロープは流されたので、もう駄目だと思いました。すると、ロバート・マックリントック君が反対側からその大荒れの海中にとび込んだのです。
ハミルをつかまえようと泳いだ。やっと彼の腕をつかまえて救命帯の方へと泳いだが、一度は腕がはなれてハミルは海中に深く沈みました。だがロバートは再び彼を捕えてとうとう救命帯まで着き、もがきにもがいてハミルの身体に救命帯をとりつけたのです。それで私と他の人とで岸へ引き上げました。岸へ上がるとロバートは、もう一人大人が助けを呼んでいるから僕はすぐひきかえす、というのです。
私たちは、こんなに荒れているので行ったってもう遅い、と止めましたが彼はいうことをきかずあばれました。ボートを出すことも出来ないほどの大シケで、その上、真っ暗でした。何しろ、10才の子供でしょう。私はこんな勇敢な子供を見たことがありません。」
Ballycastle 在住の隊長の談、そして助けられたハミル少年の感謝の言葉が載っているがこれは省略する。
ロバートは、イギリスの総長から、ブロンズ・クロス(青銅十字章)を授けられた。これは自分の危険をかえりみないで人命を救ったものに与えられるものである。
この話は、これで終わったのではない。ロバート家では、子供は暗くならないうちに家に帰るように、というさだめがある。その晩、暗くなってもロバートが帰ってこないので、父と母とは、彼が帰ったら叱らねばならんと話し合っていた。夜8時になっても帰ってこない。8時30分に帰ってきたので両親から大いに叱られ、まっすぐ寝床にはいるよう命ぜられた。それで、彼はこの事件については一言も親にいわず神妙に床についたのであった。
父母が、ロバートの勇敢な行為を知ったのは翌朝、近所の人々が、ロバートは元気かどうか見舞いに来てくれた時であった。恐らく親たちは、びっくり仰天してロバートのベッドへ駆けつけて、昨夜の出来事を息をはずませて尋ねたことだろうと想像される。
ロバートは実にいい少年である。彼は、罰からのがれようとはしなかった。完全に叱られ、完全に誉められた。
罰は罰、賞は賞。ハゼルウッド氏は、こう書いている。B-Pは、こういう立派な少年を世に出そうとして心血を注いだのだ。大人でも負けるロバートの偉大な自発活動よ! 私はこれを読んで、12のおきてをゆっくり口の中で唱えた。ロバート君に感謝をささげて…。
B-P祭の劇に脚色いかが?
(昭和31年2月13日 記)
2.スカウティングと社会性
ある日私は、次のような手紙をある県の人から受けとった。それは――要するに――我々スカウトは、あまりにもコチコチになり、スカウティングにこだわって、社会と隔離していると思う。それで、社会ともっと近接する教育をするため、夏の隊キャンプを隊キャンプとしないで、「夏の村」とし、村長とか村会とかを設け、村の自治的様式でキャンプしている。それがいいかどうか、意見をききたい。――というのである。
私は、キャンプの仕方としては、それも一つのやり方であろう。しかし、隊キャンプをやめてまで、そんなことをするとは、外道である。スカウティングのキャンプというもの、乃至は隊キャンプ本来の性格を、もっと勉強してほしい。我々は、キャンプを、キャンプのためにするんじゃなくて、スカウティングのためにするのだから、目的と方法との関係をハッキリ究明してほしい。と答えておいた。
そして末尾に、私は――「社会性などという言葉は、善行をしない者の口にすべき言葉ではない、社会性とは換言すれば、善行性であろう。我々スカウトは、コトバでモノをいわないでオコナイ(実行)でモノをいいたいと思う。少なくとも、私は、そういう人間になりたい。」と付記したのである。
私は、このことから、「社会性」ということについて考えさせられた。そして、スカウトたちが、社会から隔離している色々のことも考えてみた。
ある市の、社会教育課に勤めている人で、地区コミをしている人が、スカウトはあまりにも独善的で異色すぎるから、一般に普及しないのだ。よって制服を廃止し、1隊32名以下という制限もなくし、誰でも今日からリーダーになれるような、し易いものにしたならば、コドモ会などを吸収できて大きな団体になれる。三指の礼なんていう特殊なものをやめて、普通の礼をしたらどうだ。――と、いうている。というので、地区コミともあろう者が、けしからんことをいう。あの男は社教屋の立場からモノをいうクセがある。社教屋としては、BSのようなものは、一般性がないと診断するらしい。――など。
これに似たりよったりの意見が、「倍加運動」という声の下から出ているらしい。要するに「スカウティングの社会性」或いは「スカウティングと社会性」という問題になる。
本職で一人前の人生を送る上に、スカウターとして奉仕している日本の指導者は、時間的に、世間的なツキアイをなるべくやめて、スカウトのために働くのであるから、そういうイミでの社会性というものは、スカウティングに熱心になればなるほど減少する。
少年の場合も、スカウトの訓練に時間が別にあるわけではないから、自分で時間を作らねばならない。従って、一般の学友とのツキアイは少なくなる。その上、制服というものを着るから、ホカの者からは一種特別人扱いをされる。海外にでも派遣されようものなら、英雄扱い、または名士扱いをされよう。
結局、何か、他の人々とちがう、あるものを感じる。または、世人に感じさせる。日本人のような人の見方をする国民には、当然の現象であろう。
以上の文章(言葉)を、くるっと裏返してみると、社会にもスカウト性がない。または足りない――という答えが出て来る。足りないから、我々は社会に、スカウト性を植えつける先駆者として、「敢然として頂角を行く」という、ほこり、名誉、責任、自発活動、忍従、勇気、そして特異性がもりあがり、そこに同志意識、スカウト兄弟感、仲間愛、などを含むところの運動(ムーヴメント)になってしまった。B-Pの、生まれ甲斐はここにあったし、我々の生き甲斐もここにある。
さあ、こうなると、スカウティングの側にも、社会の側にも、「不足」がある。何の不足か――といえば「吟味の不足」「反省の不足」「謙虚の不足」「認識の不足」「理解の不足」――「協力の不足」――等々。
だが、私はそれらを超えた、もっと大きな不足を叫びたい。(スカウト側の不足ですぞ!!)それは「善行の不足」である。
これは「奉仕の不足」以上に不足している。(私には)
B-Pの教えのように、そして、ちかい、おきてを本当に実行し、日々の善行に励むならば、誰が狂人扱いをしたり、別人扱いをしようぞ。いうところの「社会性」などというコトバは、問題にさえならなくなる。口にする必要がなくなるから。
「行なうことによって学ぶ」(Learn by doing)という、B-Pのやり方をモトにして考えるならば、我々は「行なうことによって語る」のが本命であろう。しゃべったり、書いて示したりするのは「行ない」の足りない証拠で、まことにはずかしい。
(昭和32年9月19日 記)
1.スカウト象にさわる
「象でなく、像ではないのですか?」
「まァ、だまっておしまいまで読みなさい。結局同じことになるけど…。」
群盲触象――てな漢語がある。沢山の盲人が象にさわって、勝手な観察と推理をくだし、それぞれ自分が正しく、他人の説はマチガイだといい張る。けれども、誰か、その全貌をつかみ得ただろうか? という、ボエンである。
スカウト象――この象(像)の名を「スカウト」という。命名者はB-Pである。B-Pが描いた理想人の像である。幻像である。
「ははァ、足が4本あるネ。」
「それはネ…CS、BS、SS、RSという4本ですよ。」
「いや、それはネエ君、人格、健康、技能、奉仕の4本柱ですよ。」
これは理論派の盲人。
「この長い鼻ネ。これで食べたり、飲んだり、物をつかんだり、イキをしたり、ポンプになったり、ホースになったりするそうだが、してみると、スカウト象というものは、一般コドモ大衆に公開して、いっそうのことコドモ会にしてしまう方が、利用価値があるんじゃなかろうか?」「君はバカだな。この象牙の方が金になるのを知らんのか?」
これは利用派、実利派の盲人。
「一ペン位さわってわかるもんか。継続観察をやりなさい。」「僕は、和尚さんから白い象の話をききました。仏さまが乗るそうですネ。」
このような、声もきかれる。けれども、スカウト象の全貌をつかむことは中々むつかしい。隊長を何年やったとか、実修所へ何回入所したとか、所長であるとか、コミッショナーであるとか、理事長であるとか、何であるとかいうても、この象の全貌をつかんだという証明にはならない。
将棋の升田は、九段と、玉将位と、名人位の三つのタイトルを得たが、これは「実力」でかち得たものだ。
我々は、少年に「実力」で初級、2級、1級、菊、隼、富士、をとるようすすめているくせに、指導者は果たしてご自分の実力で、理事や、コミッショナーになったであろうか?
「実力」以外のSomething を足場として、立っているのではあるまいか? 曰く年功、曰く年令、曰く金力、曰く社会的地位、曰く情実、曰く強引に…。
折角つかんだ隊員を、1年か2年で逃してしまい、その補充に毎年何人かの新入者をいれて、1級以上の等級に進み、富士まで登った者は全国に20人もいない。何年たっても日本のBSは富士山の二合目か三合目あたりを登ったり降りたりしていて、それから上の方は雲で見えない。結果的に富士山の全容をよう見ず、二合目、三合目のみをもって、これ富士山なり、スカウティングなり、とわかったようなツラをしている。これが現在の段階、こう考えてみると、ウヌボレの度が、きつすぎる。下手なゲームのやり方だ。
B-P描くところのスカウト像は、そんなヤスモノではない。安い評価をしなさんな。スカウト像は生物だから、毎年大きく伸びつつある。像と書くと無生物と思われ易いから、私は象と書いた。ニンベンは、いいかえたらウヌボレヘンだから、ない方がよい。
本当に積みあげて出来た立派なローバースカウトよ出て来い。一体、幾人いるのか?
年令だけのローバースなら、スカウト以外の青年の中にも居る。
ジャンボリーのような、お祭りばかりに熱をあげるのが能じゃあるまい。事前訓練を欠いた野営大会、キャンポリー、ジャンボリーというものは、事前訓練という助走路を欠いているから飛躍がない。
結局は、“Scouting for Boys”をよく読んでいないため、象がつかめない。
ローランド・フィリップス著「班別制度」を読んだら、いかに、みんなが現在やっている班制が、班制の擬態であるかにびっくりするであろう。大いにハンセイ(反省)すべき点あり、勝手に理解し、我流で押しとおし、狭い視野内で速断し、想像を過信し、自分自身を高く評価しすぎると、足もとの今まで雑に積んできた煉瓦はくずれる。
SS、RSと積みあげる頃になると、下の方がくずれる。
私は、象の全貌がまだわからない。そう考えると、ほんまに、ゾウとする!
(昭和32年7月13日 記)
盟友中村知の後世にのこしたものは
ベーデン・パウエル卿が英国で、ボーイスカウトを始めたのは、今から55年前の事(昭和37年当時)である。その頃、日本の文部大臣は牧野伸顕で、よく英書を読む人だったので、すぐこれを知り、その進んだ青少年の社会教育法に眼をつけた。それで、時の広島高師(今の広島大)の校長の北条時敬が、英国に道徳会議の代表として出張するにあたり、この調査をもあわせて依頼した。北条はこの前年に英国で発足したこの教育訓練を見て感心し、その文献や用具を揃えて持ち帰ったが、その直前内閣が変わったので、文部省では、折角のこのよき材料をもてあまし、これを北条に渡した。
そこで北条は、彼の校長をしていた広島高師の附属中学校の生徒にこれを伝え、6個隊を作ってボーイスカウトのような訓練を試みたのであったが、たまたまその一つの城東団という隊の中に、わが中村知少年がいたのであった。彼は子供心にこの野外生活の訓練に大きな魅力を感じ、恩師北条の精神指導に打たれた。そしてこれが彼をして、一生この運動に心身を捧げしめるに到ったのである。
中村知はその後拓大を卒業し、さらに京大で東洋史学を専攻し、大阪府立高津中学(現高津高校)に教鞭をとった。
その頃、わが国にも、少年団運動が起こった。大正3年頃、京都には中野忠八が、まず少年団を作ってこのベ卿のボーイスカウト式の訓練をはじめたのに、彼も大いに興味を感じて、中野とも親しく交わり、連絡もとって、彼の高津中学の生徒の中の希望者を集めてボーイスカウトをつくり、彼はその隊長として、スカウトの訓練を実施した。
大正11年には、少年団日本連盟(第一代総長、後藤新平)が結成されたので、彼は喜んで他の同志とともにこの傘下に入り、特に佐野常羽に師事した。この佐野は、英国で親しくベ卿の知遇を得て教えを受け、またボーイスカウトの訓練の本山ともいうべき、ギルウェル実修所に学んで来た人で、大正14年には、富士の山中湖畔で、日本ではじめての指導者実修所を開いた。彼は勇んでその第一期生となって修業し、佐野の人格指導に傾倒した。その後彼は佐野にも愛され、ずっと彼の教えを受け、1929年には英国で世界ジャンボリーが開かれたので、佐野に従って渡英して参加、続いてギルウェル実修所にも学んだ。それで彼は、自信を得、ますますこの道に精進し、一方に高津中学ボーイスカウトの実際指導をしたり、大阪連盟の改造にあたり、一方では佐野に従ってますますこの道の指導者養成面の指導と研究に没頭した。
彼には、少年指導に必要なユーモアがある。それでなかなか話題をまいたものだが、その一つを紹介すると、世界ジャンボリーへ行った時、豪雨がきてキャンプの道がドロンコになったので、彼は日本からゲームのためにもって来た竹馬に乗って悠々濶歩して、世界の少年達を驚かせたが、佐野からは、その茶目っ気を叱られたそうだ。また、彼は詩と音楽を勉強して、沢山のよいスカウト・ソングを作詞、作曲した。どれも、彼の体験からほとばしり出たもので、スカウト気分がよくあふれた曲だが、その中にはなかなかこのユーモアのきいたものもあ
って、少年達に愛唱されている。
戦後、わがスカウト運動が再建されるや、指導面に円熟した彼は、本部の専従指導者となって実際指導を行い、那須の常設野営場長を5年務めたが、その間に不幸眼底出血で倒れた。それでもう荒行はできなくなったが、その不自由な眼で、彼は天眼鏡を使って、ベ卿の“Scouting for Boys”などの宝典を次々と訳出して日本スカウト道にバイブル的な光を与えた。もう一つ彼の高津時代の隊員たちは、今になって皆立派に成長し、あるいは能力ある外交官、学者、技師長などになって活躍しているが、その中の数人は、また現在の日本スカウト運動の最有力な中堅人物となっている。われわれは「弟子を自分より偉くつくる」ことを誇りとしているが、彼こそ身をもってその範を示した男である。
第一代後藤総長は「金を残したり、仕事を残したりするより、人を残して一生を終わるこそ上の上たるもの」といわれたが、彼こそこの言葉を実行して一生を飾る人である。
昭和37年7月記
総長 三 島 通 陽
は じ め に
中村先生は、昭和25年の暮れから公務として、ボーイスカウトの研究や、資料の翻訳に専念して居られました。その間に、各地の親しいスカウターの要請に応じて、余暇を見つけては、その時々の思いを書き送られました。あるものは県連の機関紙に、あるものは、地区の機関紙に掲載せられて、当時の指導者から、夜話(キャンプ・ファイヤー・ヤーン)として活用され、また、読物としてスカウト達にも深い感銘を与えました。
しかしその後先生の健康がすぐれず、続けて書いていただけなくなり、また昔のものは、散逸したり、書架の隅に埋もれてしまっていますので、せめて一冊にまとめて、リーダー達が、好きな時に読めるようにしたいとの希望が強くなりました。
そこでなんとう誌さきがけ誌の生みの親である松本石翆、住谷豊両氏の努力で、それらの機関紙に出た文が整理され、発行が企画されました。全部を通読した結果、現在でもリーダーの参考になるものも沢山ありましたので、関係者だけでなく、出来るだけ多くの人々に読んでいただきたいと考え、「夜話集」として印刷発行することにしました。
ここに集録されたものは、先生が日本連盟を代表し、見解や研究結果を発表されたものではありません。その時に応じて、私見を書かれたものであります。また、先生にしても、10年20年後の現在も全く同じ考えでないことが多々あると思います。
しかし、われわれには、中村先生ご自身のスカウティングの足跡を見る思いがするし、その精究教理に骨身を削ったお姿に、新らたに敬服の念を覚えます。
この本によって、若いリーダー達が、スカウティングというものを、なおよく知ってくれるとともに、今後自分ながらの研究を進めるための指針にして頂けたら、幸甚に思います。
なお、ここに集録された文は、当用漢字や現代かなづかいにないような先生独得のことばや表現法を交えて書かれてありますが、中村先生の妙味を生かす意味で、大部分をそのままにしました。よろしくご判読下さるよう念のため申し添えます。
ちーやん夜話集刊行会
宮 本 守 雄、村 田 正 雄、松 本 石 翆、住 谷 豊