2010年03月23日

ちーやん夜話集55「よく考えてみよう」

55.よく考えてみよう
 大正某年のある夜、あるRSの冬の集会に招かれた。夜もだんだんふける頃。「一日の終」の合唱で閉会となった途端、会衆は、誰いうとなしに、机上の密柑の皮や、菓子皿や、茶碗などをきれいに片づけ始めた。この何でもないたちふるまいは、ぼんやり立っていた私を驚かせた。むしろ驚いた私自身のぼんやりさに自分自身が驚いた。

 昭和某年のある日、某大学RSの最初の集会に招かれた。今は、私の余り好まない「ちかい」の合誦(ちかいは個人個人のもので一生一度のものと思うが故に、私は、この方式を好まない)をもって閉会となった。
 来賓は退場したがRSたちはまだ残って雑談を続けていた。机の上には、皿や、密柑の皮や、灰皿が雑然とそのまま放置されていた。誰一人として片づけようとしない。それはこの大学の学生食堂のボーイさんの仕事だ。と、いう限界が守られているかの如く。
 私は次のように考える。
 人工衛星に乗せられたライカいう名前の犬は、乗せられるまでに、条件反射の訓練を、何カ月かにわたって施されたのだと報ぜられた。条件反射とは、ソ連の生んだ世界最初の大脳生理学者、ノーベル賞受賞者の、パヴロフの立てた実験的学説である。彼は、犬を試験台として唾液分泌の条件反射の研究を始め、唾液分泌という作用は、ある与えられた刺激が大脳皮質部に届いて、そこの神経に働いて、その司令部が、ちょうど電話交換台のように唾液を出させる別の神経に命令を発することによって起こるという説である。
 そのため、犬に食餌を与えるたびごとにベルを鳴らす。それを何十ペン何百ペンと繰り返して施すと、犬は、食欲とは関係なしに、ベルの音さえ聞けば、唾液を出すようになる。これを条件反射と名づけたのである。かようにして第2の天性というか、ひとつの習慣が作られる。
 その習慣は、人間の場合は人格を形成する。ある程度の形成が出来たら、今度は、条件を与えなくても自分の自発活動、乃至は無意識に、条件を与えられた場合と同じような行動をとるようにまで発展して来る。こうなると無条件反射になる。ライカ犬は、どんな外界からの刺激が来ても順応出来、死なないように訓練されたというのだ。
 ソ連はこのパヴロフの学説をスポーツ界に用いて、選手を養成しているという。100米などの短距離レースでは、走法などというものは、世界各国とも、もう研究され尽くされ、技術的には進歩の余地がないほど改善されてしまった今日、問題は、スタートの号音を耳にした瞬間、1秒の何百分の一か、何千分の一か知らないが、他の走者より一刻も早く、最初の脚筋を動かす運動神経の、始動を起こした者が勝者になる。問題は条件反射の敏速さにある。こう考えて、ソ連は全スポーツのトレーニングの核心をここに求めた。
 そして、各種目に、メキメキと世界制覇をなしつつある、というのである。誠に、ソ連式唯物観の勝利だ。
 集会が終わると反射的にすぐ机上を片づけるというのは、一種の条件反射と考えられはしないだろうか? それを何度も繰り返すと、しまいには、習性となる。「ひとのお世話はするように。そして、むくいを求めぬよう。」――と初代の総長、後藤新平先生のいわれた言葉(これは、スカウティングという言葉の解釈になる)を、本当に実践し、身につける方法の一つとして、条件反射による方法が考えられるように思われるが、どうだろうか?
 「ちかい」と「おきて」の実行も、また、条件反射の繰り返しによって、身につくのではあるまいか?
 ただ、問題はこれを自発的に行うか、それとも、強制的に他律的にやらされるか、にある。ある一つの型に、強圧的にはめこまされるための、条件反射実験の道具に供されたのでは、たまったものでない。
 英国初期の立派なスカウトの一人故ローランド・フィリップスの著書「班長への手紙」第1集、第2集から発見した言葉の一つ二つを紹介しよう。
 「『ちかい』『おきて』は、これを実行しなければ何にもなりません。実行するその第1歩は、技能章をとることです。」
 「救急法が出来ない者は『おきて』第8の実行は出来ないのです。質素――貯金する(Save する)――も人命救助(Save)も、同じくSave することですから。」
「キャンプの炊事場で、不潔な手やきたない炊具で炊事する者は、『おきて』第10(日本では第11)に反する。と、いわれても、いたし方ありません。」以上は唯心的なのか唯物的なのかよくよく考えてみよう。
 2月ともなればオリオン星座は凍った中天に、きれいに光る。B-P祭は、毎年、この光の下で迎えられる。
 パヴロフがノーベル賞を獲ったのは1940年である。B-Pは条件反射の学説をスカウティング構成のためにとり入れたか、どうか、私は知らない。知らないから、知りたいのである。ただし、その時の受賞は条件反射のための受賞ではなく、その過程として(後世からみれば)の消化腺の生理学として世界最初の受賞であったので、私のこの想像的設問には多少の無理があることは自認する。
 私が私に発する質問として――お前は、条件反射を人格造立のための、一方法として考えることは、可能であると思うているが、パヴロフの世界はどこまでも唯物論の世界であると、いうことを忘れてはならない。どちらかといえば、永年、唯心論的世界観の領域の中に、人間完成の成長過程を歩んできた東洋人、なかんづく我々日本人には、そこまで非情に割り切り得ないものがあると、いうことを、考えの一隅においてから、考えてみることにしてはどうだろう?
 とにかく、よく考えてみるんだな。1957年英国での国際会議で、スプライ氏が重大な情報をもらした。それは、ソ連が最近BS運動を採用したという報道である。
 ロシアは、1909年早くもB-Pを迎え、時の皇帝はB-P卿に会見して、この運動に熱意を示した国であるが、革命後、ピオニールと名づける赤色少年団に改編して、我々の仲間から脱退してしまった。共産圏諸国も、これにならって皆脱退して今日に到っている。
 私は、ソ連は、あるいはスカウティング界の一角に唯物派を設定するのではなかろうか、と、想像する。恐らくそれは、スポーツ界に示したように、パヴロフの理論を基とした条件反射を方法としての展開ではあるまいかと、推測する。もし、これがスポーツ界で成功したような結果をもたらすとするならば、米国BSを上廻る一大BS国となるかも知れない。しかし、やり方によっては、犬のような人間が出来るかも知れない。
 私の予見が、誤りでないとするならばモンキースカウトではなく、ドッグスカウトが出来ることになる。(何らかの意図の光栄のためのギセイに供される者。イヌザムライ)
 故に我々は、分析を充分行って検討せねばならんし、よく考えてみなければならない。
 イヌの年の作文だと思って読んで頂きたい。
(昭和33年1月1日 記)

Posted by tsutsumi at 2010年03月23日 09:20
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