51.万年隊長のことについて
さきに、万年隊長論を述べたのであるが、これは恐らく賛否両論がきっとあると思う。私としても、心意気として万年隊長に、一応賛成するがその逆の方向を考えないでもない。
その理由の第一は、指導者もまた人間であるから年をとる。隊長として可能なる最高年齢は何才位か? ということが、ここに問題になる。その判定は、隊長その人の健康、肉体的順応性、それに、教養と、自己錬成、家庭および勤務先の状況、などによって、各人各様であろうから、単に数字上の年令からは判定が出来ないであろう。
私は自分の経験から、大体40才が最高のように思う。将来、年少隊(カブスカウト)が出来れば、50才位まではカブの隊長が勤まるかも知れない。だから、万年隊長というものは、心意気としてあり得ても、現実にはむつかしいのである。年をとれば、十二、十三才の少年とは時代的に、ズレが生じて、センスなり、思想なり、生活なりに、少年と合致しないものが出来る。いかに抜群な指導者でも、これはのがれることは出来ないであろう。
第二の理由は、いつまでも隊長のポストに頑張っていれば、後進の道をひらく――というスカウティングの、一つのつとめが出来ないことになる。すなわち、万年隊長の下に、同じように万年副長や、万年隊付がいるようでは、このスカウティングはどうかしているとの評を避けられないであろう。スカウティングには、進歩(Advancement)ということが大事である。無論、万年隊長でも、隊長としての進歩はあるけれども、ポストの進歩がないならば、マンネリズムにおちいり易くなる。こういう点から、万年隊長論は排撃されると思う。
そこで結論をいうならば、二十才で隊長になっても、二十五才で隊長になっても、大体少なくて五年は隊長修行をしてほしい。そしてその人によっては、さらに五年隊長の道を開拓して、そして後進に道をひらいてほしい。――と考える。
実役五年つとめれば、隊長としての経験の種々相を大体修められると思う。
投手だけではベースボールが出来ないように、隊長だけでスカウティングは出来ない。コミッショナーもいれば、県連の指導主事もいる。丙種適格(編者注、今はないが指導者養成委員のこと)の人も必要なのであるから、あまり万年隊長論の薬がききすぎると、スカウティング全局のバランスが破れて、まとまりというものがなくなることをご注意いたしたい。
全国高校野球に優勝した平安高校の勝因は、戦傷で右手を失った木村先輩が、左手一本で器用に打ったり、投げたり捕ったりして、後進のコーチに全生命をささげたその熱意にあったと伝えられる。このことは現任隊長たちに、何等の示唆を与えるだろう。ひとたび隊長となれば、隊員との間に、父子以上の愛情が出来、その熱が一切を支配する。隊長をやめることは、本人にとっても、隊員にとっても、全くつらいものだ。隊長をやめて他のポストについても、恐らく心の面では、万年隊長たることを失わないであろう。
この熱意が、今の隊長にあるか? どうか? 私の万年隊長論のスタートは、実は、この点にあったのである。読者諸兄、どうぞ、誤解ないように。
(昭和26年8月10日 記)