47.指導者とは
現行日本連盟規約には、指導者を選任するにあたり、どういう人を選べばよいかという基準が、隊別ごとにわけて示してある。
即ち、402・421(年少隊)447・448(少年隊)478・479(年長隊)509・510(青年隊)、ただしこれは隊長と副長とについて主として示してある。
その要旨は、青少年を託するに足りる品性と経歴、そして講習会の課程を修了した者またはこれと同等以上の資質と経験を有する者、という。それと年令についての規定。
以上は決してまちがいでもなく、それでよいのであるが、「指導者とはどういう人であるか?」「あるべきか?」と詮索してみると、これはそう簡単にはいいきれない。隊長に適していても団委員には適さない人もあろう。コミッショナーには適しても隊長に適さない人があるかもしれない。それは性格や技術上の問題ばかりでなく、時間的余裕の有無とか住所遠隔などの理由も関連する。
極東地域の会議で、専従指導者の資格、という議題で討議された結論を見ると――(a)スカウト運動への信念(b)性格(c)教養(d)健康(e)年令(f)技術(g)若さ(h)人格(i)家庭円満――の9項があげてある。ただしこれは専従指導者(有給者)だけについてである。それにしてもボランティア(無給者)の人たちにも参考となるであろう。性格と人格との区別など、日本語ではちょっと、はっきりしないが、性格は固有のもの、人格は風格、品格の意味と考えてよかろう。
しかし、これにも、やはり足りないものを感じる。例えば、明確な宗教信仰心だとか、清廉潔白とか、ユーモアの必要とか、または就任後の精進性――実践躬行、精究教理、道心堅固とか。いろいろあると思う。また、その個々が立派な資質をもっていても、個々の完成だけでは、これまた駄目である。なぜか? と、いえば、この運動には、チームワークが絶対必要であるから、協働性のない人、つまり個人プレイの巧者は、いくら条件が完備していても失格だと考えられる。そのような人は、パトロールシステムがわかっていないからである。
何というても、子供からきらわれている人ではお話にならないであろう。また、感化力が欠けているならば、一体、何のためのリーダーかわからない。云うことは立派でも、ご本人が、実行していないならば、お手本とはならない。
教育という仕事は、時間の長くかかるものであるから辛抱強い人でなければならない。無給指導者の場合は、何よりも生計が立っていて、時間的に奉仕の出来る人でなければつとまらない。そのため妻子をこまらすようでは、これまた困る。
最後に、指導者には、指導者の道があるということ。これは指導者コースだけをいうのではない。師匠をもつこと――。これが重要である。師匠の方では、自覚してオレは師匠だとは思っていないかもしれない。(実は、本当の師匠は思っていない。)けれども、こっちから見れば師匠だ。そういう人に師事し私淑した人が、こんどは後輩から、いつのまにか私淑されるようになる。その者が、また次の後輩から私淑される…。
「道」というものは、古来、みな、このコースで相続されている。茶道、香道、華道等々「道」と名づけられるものことごとくそうである。若い人たちは、あるいは、封建制だとくさすかも知れないが、これは封建制とは異種なものである。これが「教育」というものである。
世の指導者諸君、あなた方は、何人かの少年たちから、現に、私淑されつつあることに気づかれたい。これを指導者道という。
スカウティングにあっては、他の教育法にもまして、指導者道(Leadership)を強調していると私は思うからである。
(昭和36年1月13日 記)