2010年02月15日

ちーやん夜話集42「班活動の吟味」

42.班活動の吟味
次の如きは本当の班活動といえないのではあるまいか。
1 隊として決めた行事を各班に分担或いは一任したり、若しくは競争でやらせる。いかに班の意思を尊重して行なっても、これは、隊活動と見るべきもの、况んや班の意志を度外し、上からの仕向で行った場合は、本来の隊活動にもならない。(大日本式天降りである。例、赤い羽根募金、緑化運動参加)

2 一見班活動の如くに見え、又その様に報告はされても似て非なものがある。それは、
a 行事のためにした行事
班長が班報告に何か書かねばならない必要上作った行事の如し。往々班監査の場合これに感心する余りゴマ化されやすい。例えば、防火運動、街路清掃。

b 班内の有志だけが行った行事
これは班全員の参加でないから、班活動と考えたくない。個人スカウティングの集合である。

3 班活動を行事面だけで要求したり取り上げたりするような考え方は、未だ班活動の真髄にふれておるとは思われない。
 我々は行事スカウトではない。事業団体でもない。行事をしなければならないように考える事は 本末転倒である。我々のする行事はそれ自体が教育と直結する。唯やりさえすれば良い、そこに教育がなくても人から賞められ認められさえすれば大成功だと思うが如きは外道である。換言すれば、行事面だけがプログラムではない。
 スカウティングのプログラムは広汎であって、行事のみに止まらない。いかにプログラムを班で考え全員が分担参加し、それを具現(project)したかが班活動である。従って班活動という言葉の含みは広汎であり、スカウティング全局に展開されるべきである。

4 班全員参加――と云う意味は、その相談から始まるのであって、一人でも相談に欠席し、事後承諾で決議を押しつけるが如きは、厳密に云えば本当の参加ではあるまい、况やプログラムの実施に際して一人でも欠席した場合も、厳密に云えば班活動とは云えない。だが、欠席の理由によっては――班意志の反抗、反対でない限り――許容されて班活動と見ても良いことがある。

5 以上のような失点が一つもなく立派な班活動と思われるものであっても、隊の責任者(隊委員長――現在団委員長――隊長)の方針に逆行し、隊内のチームワークを無視した独善的班行動は審査の必要がある。例えば、事務的打ち合わせの不充分とかに原因があったとか、或いは他意あっての事かは、隊名誉会議で審査すべきであろう。シニアースカウトに往々ありがちな現象である。

 まだ考えたいのだが次にゆずる。しばらくは 引戸をあけて外界の風ふき入れて 春を吸わなん
 ここは東京渋谷の病院の一室、時は3月27日です。梅がやっと咲いた。那須から上京し、入院して今日で6日、網膜出血により左眼の見えない今の私には、新聞の字もろくに見えない右眼の力をかりて、春の光を求めています。
 人生無限の広野 暗黒世界その一角に私は立っている(この切実感は失明の経験のない人にはわからないだろう)私の立つ限り、私の周囲には方位が存在する。八方位か、十六方位か、三十二方位か、それとも三百六十度の方位が私をとりまく。
 私は常に三百六十分の一、その一つの方角に進まねばならぬ。私に方向を示すものはパトロールコールであり、モールスであり、そしてそれはB-Pの教えである。暗黒の中のサインである。
あっ! 私の後ろから沢山の仲間のやって来る足音がする。私はそれらの人々に、サインを、光をかかげねばならない。
(昭和26年3月27日 病床にて記)

Posted by tsutsumi at 2010年02月15日 15:48
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