2010年02月12日

ちーやん夜話集40「自己研修とチームワーク」

40.自己研修とチームワーク
 指導者道の講義で、つねに引用されることは、故佐野常羽先生が、実修所でお話になった実践躬行、精求教理、道心堅固という三つのことである。また三島総長がお話になった運動への忠誠ということである。

 これらは、誠に指導者道を照らし出された光明であって、このタイマツがなかったら、我々は暗い道をふみ損じたかもしれない。時としては非常に自分を奮起させる力ともなったことは事実である。
 ところが、その受け取り方が、極めて大事だということに、最近私は気がついたのである。と、いうわけは、これらの光明は、指導者個々の自己研修を励ます面々に多分に服庸される傾向が強いのではあるまいか…?
 それも誠に結構であります。仏教の教えの中にも驕慢と弊(卑下すること)と惰怠(サボること)は正法を修する者にとっては禁物であると戒めている。天狗になったり、おれには出来んと捨てたり、怠けたりすることは、スカウティングにおいても、正しいスカウティングに伸びゆくことを妨げるものである。このようにして、以上の
教えは、自己研修を励ます上に、またとない力となり、カガミとなることはいうをまたない。
 けれども自己研修を積み重ねたり、深く掘りさげたりするだけで、that's all であるならば、これはまだスカウティングの5合目あたりを登った位のものではないか、と、私は思うようになった。そのわけは、自己研修が最終点でなく、それを足場としてのチームワークが終点であり、それが頂上でありそのもりあがりが、今まで絶頂だと考えていた頂上を、更に更に高め築いてゆくと、思うからである。
 この絶頂が高まってゆくにつれて、おのれの自己研修はさらに勇気づけられて伸びるだろう。
 もしチームワークがなかったら、いい加減のところで自己研修は停止するか、自己満足するか「我流」になるか「私立スカウティング」化して、その人は活きても、死んでしまっても、一つも惜しくない存在に終わってしまうだろう。
 このことは「班別制度」の出来た根本原理に結びつくと思う。班員の中で、とても熱心で勉強家(スカウティングでの)で14才にして富士スカウトになるほどの、自己研修家が出た、と、例にしてみても、その少年が班のチームワークに何らプラスになっていないならば、それは学校の優等生と同じようなもので、一つも公民性が出来ていないことになる。
 ぬけがけの功名手柄を争ったり、一番槍をめざすみたいに、それは個人プレーでしかない。これらは過去の日本でこそ賞めたたえられたが、民主主義の今日では人間として一番いやしい人物といえよう。もし我々のいう「先駆者」「パイオニア」という言葉を一番槍みたいな功名争いに解釈したら、それはとんでもないマチガイである。
 「班」とはスクリーンみたいなものである。自己研修をした自分が、どんな形で、そのスクリーンにうつるかを示すカガミである。即ち自分の在り方を反省するチャンスである。さらに言えば、自分の役割、分担と、それに伴う責任、そして自己のペース(本領)や特質が、班というチーム(小社会)にいかにその在るべきところに
在らしめえたか、或いは、在らしめられたか、を検討する場――それが班である。
 これを総称して、チームワークという。在らしめさせる側のさせ方をもふくんでいる。こういう修練は、日本の過去の教育にはなかったと思う。あったのは、宇治川先陣争い式の、英雄思想の教育であった。
 今日、非常に自己研修の面で、アタマのさがるような傑出したリーダーを私は沢山知っている。けれどもその何パーセントかは、少年時代にスカウティングをやっていなかった。そのためなのか、班別制度の在り方、チームワークの修練にかけている人がある。それが年をとるに従って先輩扱いをうけてくると、自己研修の面での、永年の積み重ねが高まるにつれて、他の一方のチームワークへの不馴れさが暴露してくる。
 そこで、考えさせられることは、いかに班制の運営が大切か――と、いうことである。従って少年の時代から、正真正銘の班活動をやらせよ――と、いうことである。形だけの班なら造作なくすぐ出来る。3分間とはかからんだろう。けれども本当の班は、中々そうはゆかない。
 スカウターは、すべて無給で余暇を奉仕するのが建前であるから、自己研修ということは容易ではない。時間的に恵まれ、立地的に恵まれている者と、そうでない者とでは、大差がつくだろう。そうなると、自己研修を自慢したりハナにかけたりすることは、誠に一方的なヒトリヨガリで、正に児戯にひとしい。と、言わざるを得ない。しかも前述するように、それが終点ではないのだ!
 いい方はよくないかも知らないが、――自己研修の面では2番手であっても、チームワークの面で、すぐれている人の方が指導者道では、一枚上ではなかろうか――。そのリーダーなら、少年たちに、正真正銘の班別制度をリードしてゆけることうけあいだ。と、いいたい。名曲「スカウティング」の楽曲は、いかに名人でも一人では奏しきることは出来ない。
(昭和34年12月10日 記)

Posted by tsutsumi at 2010年02月12日 12:28
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