2010年02月04日

ちーやん夜話集36「バッジシステムの魅力」

36.バッジシステムの魅力
 進歩制度はこの旅の一里塚である。どれ程の旅が出来たか、それを自身で量り知る里程表である。時として階段である。山寺への坂道に立っている十丁とか八丁とか記してあるあの建石である。

 班別は旅の道づれであり、進級は旅そのものである。人生が旅である以上、進級制度は必修科目である。
Hiking の形がそのことを具象している。進級しない者は旅をしない者で、旅をしない者はスカウティングではない。
 まだ見ぬ山河を胸に描き、希望を抱いて颯爽と旅立つところにスカウティングは始まる。
 旅にはお土産がほしい。技能章はお土産であろう。自分の好きなものを得ることが出来る。
 子供達は競争でそれを得るであろう。これは、自分の力の代償として獲得するのである。それはあけて悔しい玉手箱ではなくて、開けて自分の生活を助ける玉手箱である。
 選択科目であり、適正適職のよすがになる。新教育による学校教育法第36条第2項において、新制中学校の教育はハッキリと職業指導をその性格の一つにあげている。しかしスカウトの職業指導のやり方の方が一日の長がある。その仕組みにおいて授け方において魅力がある。この線に沿うならば、世にいう所の科学教育も、新しい進展をすることを確信する。
 科学教育振興のための協議会が何百回となく過去に催され、学者や教育家達が甲論乙駁、名論を戦わしたのであるが、今もって具体的な方案は一として出来上がっていない。協議会の速記録がプリントされ、その記録が埃に埋もれて堆積されてるだけで、ペーパープランに終わっている。誰一人としてバッジシステムに思い及ばなかったとは何とした無能揃いであったことよ。バッジの魅力――それに気づかなかったのだ。
 Scouting は実に傑出した新教育法である。そして、そのスタンダードは実に班制にあることを認識せねばならぬ。近時学校教育にもグループシステムが強調され、一種の班制が作られるに到ったが、同一年令児を以て組織した班制というものには、今一つ欠けている機能がある。それはドン栗のセイクラベということである。  
 兄と弟という関係がないということである。結局学習のための方便としてのグループにすぎない。スカウトの班はスカウティングのための方便ではない。班制即ちScouting なのだ。このことを初心の指導者はよく知ってほしい。
 だから班制が形だけにとどまっているとしたら、そのスカウティングには根は生えぬ。従って成長しない。指導者が鞭うってタタキまわらねば車は動かない。徒に苦労するだけでオシマイだ。車は割れてこわれるからである。といって指導者が自分で車をひいたとしたら車は廻るかも知れんが、それは、猿のひいた車でしかない“Monkey Scout”だ。
 子供のものでなくなって、陣頭指揮型である。
(昭和25年1月20日 記)

Posted by tsutsumi at 2010年02月04日 09:10
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