35.1956年の意義ジャンボリー
1956年のハイライトは何といっても日本ジャンボリーの開催である。これは今までの皇居前広場(日比谷)や新宿御苑で行った全国大会とも違うし、蔵王でやった大会とも異なる構想に基づいている。いわば本格的なジャンボリーの最初のものだといえよう。
ジャンボリーは、祭典である。だがお祭り騒ぎではない。次のような教育効果がなければなるまい。
第1には「参加する」ということである。これはオリンピック大会でも同様であって、勝敗を争うため行うのではなくて「参加するためにいくものだ」といわれている。参加するということは一つの教育であらねばならない。
従ってプログラムであり、プログラムがある。たとえば5月末までに初級スカウトは2級にならなければ参加資格がとれない。もうあと5カ月しかない。あと何科目残っている、それを、いつ、どうとるか、というプログラムが生まれる。また、参加費や旅費や不足の用具を、どう工面或いは稼いで作るかというプログラムもある。
こうしたことのプロジェクトに教育効果がある。唯、参加するという言葉だけのものではない。
第2に、現地に着いてから何をするか、というプログラムと、それをどう分担するかという役割、これぞParticipation すなわち「参加」の本当の意味であるが、ここに至妙な教育的ねらいがあるわけだ。以上のことが欠けたなら唯のお祭りさわぎに終わる。
第3には、親和ということ。即ち他県や外国のスカウトたちと本当に兄弟であるという実感の体得である。これぞジャンボリーの本質といえよう。ジャンボリーは訓練ではなくて祭典だということは事実であって、昨年の富士特別訓練とは性格を異にすることもわかってもらいたいが、それと同時にジャンボリーもまた、教育であり、プログラムであることも忘れてはならない。
集まれば必ず「励ましあい」(emulation)と「競争」(competition)が起きる。自己の足らない点、まさっている点がわかる。これによって学ぶところ非常に大きい。第4の教育的ねらいがここにある。友誼に厚い――ということはこの場合、身にしむと思う。おきて第4だけでなく、12のおきてのすべてが身にしみてくる筈である。そういうチャンスを与えるものが、ジャンボリーなのである。第5にスカウト熱をあげるチャンスであるということ。
昨年の富士特別訓練は、今年の日本ジャンボリーへの一つの試行であった。計画、実施の側からいっても、これは大いに勉強になった。今度はその時の10倍、1万人の参加者を予想するから目下委員の方々は大童である。
来年イギリスで世界ジャンボリーがある。その準備は既に昨年からかかっている由である。これは、スカウト運動50年祭と、ベーデン・パウエル生誕100年祭のジャンボリーである。日本も将来いつか世界ジャンボリーを主催するだろう。その時の準備は並大抵でない。今度の日本ジャンボリーの準備委員の方々も、そういうわけで目下勉強されている。かよう我々のすることは皆、勉強である。
1956年はこういう次第で日本のスカウト運動発展の上に深い意義があると思う。
(昭和31年1月8日 記)