2010年02月01日

ちーやん夜話集33「B-P祭にあたって」

33.B-P祭にあたって
 世界のクリスチャンが12月25日をクリスマスとして祝うのと同じ気持ちで世界のスカウトは2月22日のベーデン・パウエル誕生日(マス)として祝う。もう、今ではお祝いするというよりも追慕するという方が適切であろう。それは1941年1月8日、アフリカのケニヤで世を去られたからである。既に10年前になる。

 外国では、その人の死んだ日を記念しないで生まれた日をその人の記念日としている。日本や東洋諸国のように死んだ日、いわゆる命日というものを行わない。イエスキリストが果たして12月25日に生まれたかどうかについては異説があるそうだが、ベーデン・パウエルは確実に1857年2月22日ロンドンで生まれた。日本の年号で安政4年で明治元年よりも11年以前である。チーフスカウトの詳しい年譜や伝記については吉川哲雄先生あたりにお願いするとして、私は、かつて大阪の高津中学(現高津高校)スカウト華やかなりし頃のB-P祭の思い出をいたしたい。
 そのころ一体誰がB-P祭をやろうと言い出したのか私の記憶にないが、いつのまにか隊(そのころは団といった)の年中行事になってしまった。また、そのやり方もいつしかきまって来た。まず、その前週の名誉会議(今でいうグリンバー・パトロール・ミーティング)で各班長が相談して、隊としての企画をきめる。そして各班の分担をきめる。例えば馬班は式場係、鷲班は装飾係、白熊班はエサ係(これは茶話会の食べもの係のこと)兎班は後片付け等々である。2月の末といえばその当時、中学校としては第三学期の峠で、五年生は卒業試験もすんで上級学校入学試験の準備中であり、卒業式を旬日の後に控えている。在校生は、第三学期の試験前の一種ボヤッとする時期なので、期せずしてB-P祭がすんだら勉強にとりかかろうというキワになっていた。
 いよいよ当日になり、学校がひけると皆クラブルームに集って来て服をきがえる。ユニフォーム姿になると、その頃は冬でも半ズボンなので、寒くてじっとしていられないので、各自の分担についてバタバタ走り廻る。式場は正面にベーデン・パウエルの写真を飾り、そのバックに英国旗を張りつけ、壇上、向かって左に国旗の室内掲揚柱、右側に隊(団)旗、それにならんで各班々旗を立てる。唯、異様なのは写真の前に大きな花瓶が花なしに安置されていることである。
 祭典は形の如く国旗掲揚から始まり、英国旗に敬礼し、団長たる私からチーフスカウトについて短い誕生の話をする。そして各班の最年少者が、それぞれの班で集めた色とりどりの冬の花の花束を捧げてB-Pの写真の前にあらわれ“おじいさん、お誕生おめでとうございます”というような言葉をつけて花瓶に花をさす。班の順番にそれを繰りかえす。それで献花祭とも云った。
 それがすむと、当番班長の発声で“いやさか”を三唱して式は終わる。これからが第二部で室内シンポジウムになる。室内営火の形でもある。唯、各班の演技の中にベーデン・パウエルの伝記の一節が必ず劇化されねばならぬのが特色である。その他はソングや室内ゲーム等々、何でもよろしい。時期を見てエサが配給される。センベイ、モチガシ、ミカン等々であるが、冗費節約のためセンベイやオカキは松屋町あたりの問屋から屑物を安く沢山仕入れて来るという点、さすがは大阪っ子である。かくて茶が汲まれ和気アイアイとして番組は進行する。約1時間半くらいで会を閉じる。またたくうちに後片付けして、たのしかったB-P祭は終わりになる。
 こういう行事を私の団長であった十数年間くりかえした。時に高校や高専に進学した先輩スカウトがやって来
て、昔の自分の班をなつかしみ後輩を激励もする。鈴木君や村田君などの昔なつかしき光景なのだ。
 私は、終戦後の再建スカウト各隊のためにB-P祭を行われることを進言したい。この22日を含む一週間を全国的、或いは県連的にスカウト週間として特別なEvent を持たれるよう望んでいる。アメリカではスカウト週間中全員必ずユニフォームをつけねばならないと聞いている。これは世人にこの運動を認識させる一法でもあろう。ガールスカウトはこの日をThinking Day(思念の日)として全界のGSがお祝いする。
 下に記した一文はB-Pが1941年1月8日アフリカのケニヤでなくなられた、直後発見された遺言文である。アメリカ版の“Scouting for Boys”の巻末に出ているのを私が下手な翻訳をして見た。これをもっと上手になおして貰いたい。そしてB-P祭の時、朗読するならば、我々の追慕の念を最も適切に表すことが出来ると思うし、この祭典の意義を最もよく発現するものだと考える。

チーフ・スカウト最後のメッセージ

親愛なるスカウト諸君
 君達が、もし、“ピーターパン”の芝居を見たことがあるならば、海賊の頭目がいつも、遺言状を用意していたことを思い出すであろう。それは彼が死期の来た時、彼の箱からそれを取り出す時間がないかも知れないことを虞れたからである。それは私の場合も全く同様であるから、今私は死ぬのではないけれども、私はそういう日の来ることを思って君達にサヨナラの一言を送りたいと思う。
 諸君が私から聞く最後のものになるだろうと思ってほしい。くれぐれもそう考えられんことを…。
 私は最も幸福な生涯を送った。だから君達の各々にも亦幸福であるよう私は望むのです。
 私は神様が私たちを幸福にすべく、生を楽しむべき愉快なる世界に下し給うたことを信ずるのです。幸福というものは金持ちになったり単なる立身出世することや、我がまま気ままから来るものではありません。幸福に至る一つの階段は、君達が自身を少年の時代から健康に強壮にすることにあります。そうすれば君達が大人になったとき、役に立つ人間になることが出来、そして生活を楽しむことが出来ます。
 自然研究というものは、この世界が美と驚異に充ち満ちていることを教え、神様がそういう世界を君達の快楽のためにお造り下さったことを示すでしょう。
 君達の得たるところのもので満足し、その最善をつくしなさい。物事の暗い面を見ないで明るい面を見なさい。
 けれども本当の幸福を得る道は他人に幸福を与えることによって得られるものです。諸君の発見した世界より、多少でもこの世界を善いものにするならば、君達の死ぬる順番が来たとき、君達は自分の最善をつくしたのだから兎に角、時を無駄にしなかったという幸福を感じながら死ぬことが出来ます。この考え方の上に“そなえよつねに”を行なって幸福に生き、そして幸福に死ぬこと――それはスカウトのちかいをいつも実行することです。
――たとえ諸君が少年であることをやめた後でも――そうすれば神様は諸君を助けて下さるでしょう。
君の友
ベーデン・パウエル・オブ・ギルウェル
(1941年1月8日、ベーデン・パウエルの死後彼の書類の間から発見されたものである)

私は、三つの“ちかい”をこの意味から“幸福への三つの道”と考えている。
私は偶然にも2月21日に生まれたので、B-Pmasの前夜祭を祝う幸福をもつ。
なお、このB-P祭当日の2月22日は、ワシントンの誕生日であるとともに「国際友愛日」(International Friendship Day)であることを追記する。
(昭和26年2月1日 記)

Posted by tsutsumi at 2010年02月01日 09:32
コメント