25.B-Pはおきて第4をこのように実行した
英国の、おきて第4は――「スカウトは、全てのものの友であり、他のスカウトたちと兄弟であり、その者の属する国と階級または信条(creed)の如何を問わない。」
日本の、おきて第4は――「スカウトは友誼に厚い。スカウトは総ての人を友達と思い総てのスカウトを兄弟として、正しい明るい社会を作る。」と。
読者は、以上の二つをならべてみてどう思いますか?
私は、日本という国が、その昔は色々な人種民族の混在していた国であるが、今では、まとまった融合されたものになっているのに感謝する。それも小さく分析すれば、部落問題などのシコリが残っているかも知れないが、他国と比べるなら問題ではない。あの近東の、アラブ対イスラエルの対立などとは比較にならない平和国家といえる。
英国は、なかなかそうはゆかない。特に1600年代以来の発展によって多くの海外領土をもち、幾多の異民族を含めた大英帝国としては、その統治は容易ではなかった。カナダ、南アフリカ、インド、オーストラリアなど、現在次々と独立国となってしまってはいるが、大英共栄圏としては、今なお多種多様の人種、民族、宗教徒を抱いているのである。だから、おきて第4のいい方は、対内的にも通用する表現を帯びている。
今では、インドはインドとパキスタンの二つの国に分かれているが、昔は一つであった。そして、インド教徒と回教徒が対立していた。このほかに種姓(caste)という生まれながらの階級が、千何百階級にも分かれていて、上級の者は下級の者にモノも云わない。昔、釈迦が仏教をおこしたのも、実はこの悪習を改めて平等に「一切衆生」とみる仏の慈悲を投影し、生病老死という現実からみて、これは万人に共通する四苦であるから、差別の世界から超えて共通の広場(仏の世界)に出なければ救われないと説いた。しかし、成功したであろうか?
B-Pは、そのインドで青年期と中年期をすごした。だからインドの悩みをよく知っていた。ベンガル人にはベンガル人の血が流れ、パンジヤブ人にはパンジヤブ人の血が流れている。血と血は相対立し相争った。食人種は、その血をすすって歴史を誇った。
こんなことでは、インドだけでなく大英帝国としても永久に平和は来ないのである。
スカウティングの力で、これを何とかしなければ、おきて第4は空文死文となってしまう。
B-Pはいても立ってもおられなくなって、1937年(昭和12年)インドへ行った。時にB-Pは、80才であった。これを機会に、第1回全印ジャンボリーが、デリーで催された。
E. E. Reynolds 著“B-P”の115頁をみると「夢は現実となったようだ。すべての宗派、すべての種姓のスカウトたちは、スカウティングという大旗のもとに、彼等は一体となって、みんなのチーフを迎えたのである。この広大なる国のスカウトたちは、すでに、隊々での健康運動や、宗教的儀式の実行によって、この訓練の価値を立証していたのである。」と記している。
Bay Burnhan とKenneth Brouken 共著の「B-P生涯の絵物語」(日連発行スカウティング誌上の連載)の中に、このジャンボリーで、初めて立ち会ったスカウトたちが、仲よくキャンプしている絵があり、僕たちの親の代までは食人種で、互いに食いやいをしていたのに――という説明が載っている。
B-Pは、ジャンボリーという共通の広場で、おきて第4を実現、展開させた。「ジャンボリーの目的は、一体何ですか?」という質問に対して、「おきて第4の実習です。」と答えてまちがいはない。
今一つ、B-PはPen-Pal、即ち手紙による未知のスカウトとの接触を励行した。メーフキングの英雄から、返事を貰う少年のよろこび方は、想像にあまりがある。スカウトは互いに兄弟という実行の多くは、未知のスカウト同志の間で行われる文通による。
1922年、Bruce 将軍一行がヒマラヤ探検にいった時、B-Pは一通の手紙をKalinpong Himalay an Home
に在るスカウト隊に託した。この隊には、かつてB-Pが訪れて写真を与えたことがある。託した手紙には、――地図上、インドで一番高い所にある隊よ、スカウトの腕前でも最高であれ――と。
1933年、D.C.C.のH. W. Hogg がB-Pに送った報告書に――人界から遮断された13、000乃至14、000の裸岩ばかりの山中に、村があり、その村で私はスカウトを何名か発見した。Jot では、カブ隊を見つけたが、この村は7日間歩かねば文明社会に出られない。(以下略)
これは、パンジヤブ地方の話である。(Reynolds 著“The Scout movement”162頁より)
このように、インドでスカウティングが成功したのは、全く、B-Pの偉大さによる。スカウティングという教育法が、いかにあの抗争のインドを平和にしたか、証明になる。
釈迦が、達し得なかった大仕事を、B-Pは30年にしてやりとげた――と云うて過言であろうか?
カナダにも南アフリカにも、これに類する実績がある。
日本のような、平和な、単純な、結構な島国の国民は、この種の悩みがないから、従ってスカウティングの有り難さもわからないのではあるまいか?
B-Pという人は、おきて第4だけを実行したのではない。すべてを実行したマコトの人である。
私は「隊長から、一度もおきての解説をして貰ったことがない。」と、いっているスカウトを知っている。何をかいわんやである。
(昭和33年4月2日 記)