23.幸福の道について
“私は最も幸福な一生を送った。それで君たちみんなにも、幸福な人生を送ってほしいと私は望む。私は神が幸福に、そして楽しい生涯をもたらすこの愉快な世界を私共にお作り下さったと信ずる。幸福というものは、お金持ちであることからくるものでなく、単に立身出世して成功することから来るのでもなく、自分の思いどおりになることから来るものでもない。幸福に至る一歩は、君達が少年時代、心身ともに健康になることである。そうなれば大人になったとき、生活をたのしむことが出来る。”
以上は1941年1月8日ベーデン・パウエルの死後、文書の中から発見された、チーフスカウトのメッセージであり、スカウト達への遺言の一端である。
私はこの文につけて、三ヶ条の「ちかい」を思い及ぶのである。
私は名誉にかけて次の三条の実行をちかいます。
1.神(仏)と国とに誠をつくしおきてをまもります。
1.いつも他の人々を援けます。
1.体を強くし心をすこやかに徳を養います。
という言葉は、「幸福になる道」であると私は思う。
第一条は真理を仰ぎ、真理に忠実に、マコトをつくす人。
そしてそのために12条のおきてを実行する人は幸福であるということ、詮じつめれば真理を仰ぎ尊んで、それに近づかんとする者は幸福である――と解せられる。真理を馬鹿にし、それを疑い、それに近づくことを怠る者は不幸である――と逆にいうことも出来よう。勝敗を争うことに生命を賭ける馬鹿をよして(今までの日本歴史のような)、真理が国に行われ、真理のために生命をささげ、一生を献ずる人(これがスカウトだ)となれ――ということだ。
第二条は他人の幸福を援ける人は幸福である――と解せられる。他人の幸福を援け得る人という者は、それだけの体力と、心と技を兼備している人でありそういう機会を見だして奉仕する時間的余裕を作ることの出来る生活状態をもつ人であるから幸福である。そんなことの出来ない人は不幸であろう。人の世を少しでも幸福にして上げることが出来るということは幸福であって、不幸ではない。“けれども幸福を得る真の道は、他の人々に幸福をあたえることによってなされる。”とベーデン・パウエルの遺言状にハッキリ記されている。
第三条 何が幸福といったって、身体の健康なことにまさるものはないのだから、少年時代にうんと健康な身体を作っておくこと、同時に心の健康も、またはからねばならぬ。身体だけが健康であっても、心が曲がっていたり、じめじめして暗い心であっては、本当に幸福ではない。その健全な心身の上に、さらに徳を養い育てるならば、一層幸福である。徳というものは後光みたいなもので、光がさしてくる。光がさし皆から尊敬されるように磨いてゆこう。徳とは幸福なりと辞典にも出ている。(人格の完成のこと)このように「ちかい」は「幸福への道」を示していると私は思う。
世の中に不幸になりたいと思う人は恐らくないであろう。みんな幸福になりたいと思っているにちがいない。
けれども幸福とは何か? 幸福になるにはどうすればよいのか? という命題については余り考えても見ない。
お金があったら、邸宅があったら、うまいものがたべられたら、きれいな着物が着られたら、自動車がもてたら、人に勝って思い存分のことが出来たら、そのために立身出世したら幸福になれるなど考えるものだ。何をかいわん、真理を敬いてそれを行い、他人の幸福のために奉仕し、おのれの心身を健全にして至善の行をつむ――これが幸福の道だと、チーフスカウトは教えているのではあるまいか。
チーフスカウトが1941年1月8日、北アフリカのケニヤで84才をもって世をさられた時、本当に幸福の最頂上であったろうと思う。すべてチーフの経験がそれを物語っている。
スカウティングとは“幸福の道であろう”スカウトとは“真理に生き真理を行う人”ということになろう。
(昭和25年10月5日 記)