2010年01月12日

ちーやん夜話集16「継続と成功」

16.継続と成功
私の今いる町の隊も今秋4周年を迎える。今年、8周年になったという隊からは案内状を頂いた。或隊は5年、というように、いわゆる「星霜祭」が行われることは誠に喜ばしい。それは、継続し得た喜びである。生命体としての喜びである。そこで、私は、継続ということをテーマとして考えてみた。

 英語のSuccess という言葉には「成功」という訳があるが、Succession という言葉では「継続」という訳がある。それで私は以前から「継続は成功の基」と思い、「成功は継続から」とのみこんでいた。どうもこの二語は一つのものからきているように思われてしかたがない。
 今年5月、私は、B-P著「Wolf cub's Handbook」の第3部「ウルフ・カブ訓練の目的と方法」という部分を、読みなおし、自分の理解をメモしてみるという勉強を試みた。そのとき、カビングにあっては特に「継続する」或いは「続けさせる」ことが訓育の中軸であると、B-Pが指摘していることに私は注目した。
 B-Pはいう。カブ訓育は、さしあたり人格と健康の2点から公民として能率的な次代人を作ることを目的とする。この年令の者は正しい指導を受け入れ得る時代であるから基礎を打ち込むべき時代である。しかし、カビングは書物で教えるのでなく、実行を通して導くという方法をとるが故に、これを達成させるには長期の継続(または持続)を必要とする。良い習慣をつけることは人格をも健康をもよくする。例えば、毎朝毎晩、歯を磨く。これが習慣化し、生活化するには長い期間の持続を待って始めてでき上がる。けれども、この持続というものは、カブにとっては、まだ、自発活動に発していない、そうでなくても、カブ年令の者はあきっぽく、すぐ忘れる。それを何とかして、自発活動ができる年令の時まで持続させるということに、カブ訓育の責任がある。その責任は、躾け方の如何によるほかない。
それには、
(a)興味を失わさない工夫
(b)励ます工夫
(c)進歩したことを自認させる工夫
(d)まだあとがあるぞと奮発させる工夫
(e)自分に或るすぐれた特技のあることを自識させる工夫
――が必要なこと。これが結局、組(班)制度、進級、技能制度となると思う。そして、CS、BS、SS、RSへと上進する一連のプログラムとなる次第。
 以上は、私の注釈を多分につけ加えた一文であるが、さて、かように考えてみると、年功章を沢山つけているスカウトという者は、大いに誉めてあげてよいと思う。これに反して、休隊、離隊した者は、継続の失格者であって不成功者である。その原因は、本人の側に勿論大部分あるとは思うが、指導者の側にも相当あるのではあるまいか? 即ち、上述の工夫が足りなかったり、私の持論である「個人プログラム」を無視して、班や隊のプログラムで押しまくったため、「ついて行けない」結果におとしいれたのかも知れない。進学の問題、家庭の事情など、多くの原因はあろうけれども、その大部分は個別的扱い方によって九死に一生を得られる指導の仕方があるのではあるまいか?
 かように考えてゆくとき、継続ということは大きな問題で、それ自らがスカウティングだといえる。
 Once a scout always a scout.という名言は、継続ということを内包している。always という一語が意味深長である。
 さて、いかに隊が8周年または5周年を迎えたにしろ、隊の年数と同数の年功章をつけているスカウトの数が、何人いるのか? ということが次の問題になってくる。いわゆる歩どまりの問題である。第2には、隊員の進歩状況である。隊の年令と、進級(進歩)との歩合表を私は持ち合わせていないのでどんな比率になっているのか、よく、わからない。要するに、隊の年令のみを祝い喜ぶだけで、隊員の継続、進歩の方を第2に考える。という考え方には賛成できない。ここに仮に創立10周年の隊があったとする。隊員数は僅か8人しかなく、2級スカウトが1人、あと皆初級というが如くであるならば、祝辞を呈するにちゅうちょせざるを得ない。結局継続ということは根本的に重要であるのだが、継続の内容如何、主体如何、ということに問題がある。
 運営面では10年継続したが教育面では、それにマッチした継続がないのであれば、甚だしきアンバランスで「一体あなたの隊は、何のために存在しているのですか?」と質問したくなる。昔、少年団といっていた頃には、団旗だけ残っていて、指導者も隊員も、跡かたなく消失したのが相当あった。一夜にできた銀世界は翌日とけてぬかるむ。
 続けることにスカウティングはある。続けないところに成功はない。まぐれあたりに、場あたりに、一見、成功したかにみえるものがあるけれども、それは本当の成功ではない。継続しつつあるその瞬間に成功は組み立てられつつある。と思うと、あせったり、ごまかしたりする必要は毛頭ないようである。
(昭和30年10月29日 記)

Posted by tsutsumi at 2010年01月12日 11:05
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