11.標語について
「そなえよつねに」という標語は、「何時も役立つよう準備ずみであれ」という解説でひと通りの意味はつきているようである。けれども標語の性質上、語呂なり簡潔性なりから「そなえよつねに」の7字の発声に要約されて見るとどうも「役立つ」という意思がぼやけて、「そなえよ」という言葉の方が強く響くのであります。
「そなえよ」という言葉そのものは決して悪くはない。心を引きしめる言葉であり、自らむちうつ語勢をもっている。であるからよいのではあるが、ややもすると非常突発の事件に備えるとか、天災地変に備えるとか、悪くすれば戦争に備えるような錯覚を伴わしめる。勿論そんなこともあるが、私はその事ばかりにこの標語の解説をすることに異論を唱えたい。即ち隊長が年少幹部班の訓練で、この標語をこのように解説するとしたならば、単純で素朴な少年達は、ただそれのみにこの標語を理解してしまうのではあるまいか?
そこで私はこの解説は、「役立つ」ということがその意味の根本であることを力説したい。英語でいうUsefulである。スカウトは精神において技術において、他の子供と異なる高度の訓練を身につけるのであるが、それらはことごとく役立つことによって修得の甲斐が生ずる。救急法や結索法を知るということは、単にそれが出来るというだけでは意味をなさない。それらの技術をスカウト精神によって役立たせることにより、初めて意義を生ずるのである。逆説的に云えば、役立つようにそれらを修得するにある。
結索のねじ結びに例をとれば、最初の綱の掛け方に、右廻しと左廻しの2通りがある。右廻しに巻いて右掛けして捻る場合、右からくる圧力には、締まる一方であるが、左からの圧力に対しては弱く、時としてゆるんで用をなさなくなる。左からの圧力に耐えるためには左巻き左かけにして捻る必要がある。このように「役立つ」ということを念頭において修得すれば、ここに修得の意義を生ずるのである。若しそうでなく、漠然とその時の工合いで右かけや左かけをやって、それで捻り結びが出来たと考えるような訓練をしたならば、突嗟の場合、真に「役立つ」かどうか怪しいのである。ましてや結索競争の場合、1メーターそこそこの短いロープの尾の方から通して、ねじ結びの型だけを作るような「要領結び」を指導者が得意になって教えるとしたら、結索ももはや一つの邪道に陥り、「役立つ」ということから遠く逸脱してしまう。私はこうした種類の隊をしばしば見ることによって日本のスカウトは「要領スカウト」になりそうな不安を感じている。
こうした考え方で私は「そなえよつねに」は日常生活の一つ一つに対する我等の生き方を示したもので、決して突発時に対する用意のみ指していない。むしろ平凡なることにも、そのものをマコトならしめるよう忠であれ――ということ。そのために汝の修技を役立たせよ――ということの方に強い意味があると思う。平凡なことを非凡に行なう。――ということにもなろう。
「そなえよつねに」を私は「役立てつねに」と云いかえて味わっているわけである。
(昭和25年2月20日 大阪に立寄って)