9.忘れられない話(その2)
1929年(昭和4年)7月14日は日曜だった。われわれ日本からの派遣団28名は、ギルウェル野営場でもう5日目のキャンプを迎えた。前日の土曜にロンドンからテントをかついでキャンプに来ていた英国の多くのスカウトたちは、遥か東の日本からこんなに多くのスカウトが来ているとは想像もしなかったらしく、私たちのテントにあそびに来て、物珍しそうに質問やら会話をし、お茶(紅茶)を味わったりしていた。
その少年の中に、15才になるJ(名は忘れたのでJとしておく)というスカウトがいた。ロンドンのある銀行の給仕をしているとかいった。たぶん2級スカウトだったと思う。
たのしい週末の一泊キャンプを、はからずも日本のスカウトと語った彼は、夕方、すっかり帰り支度をして、われわれのテントにやって来た。さよならをいいに来たのだ。彼は帰りがけに、何かお役にたつことがあったら命じてください、といった。わたしたちは彼のスカウトらしい申し出をよろこぶとともに、あることを思いついた。それは写真の現像と焼き付けをロンドンのDP屋でやってもらい、それをここまで持って来てほしい、というたのみであった。近くのチンフォードの町にはDP屋がないのと、われわれはジャンボリーのため月末にはギルウェルを出発しなければならないし、その前に、スカウトコースに入所する者もいるので、ロンドンまで出かける時間がない、という説明をこの少年にした。その結果、J少年は快くひきうけてくれたのである。数人が彼にたのんだので相当の量になった。
さて、こんど君は、いつ、ここへキャンプに来るか? とたずねると彼は、次の週末は、隊集会で来られない。だが、ウィークデーに何とか都合して持ってきてあげます。と約束して帰って行った。
あくる日7月15日、第71期スカウトコースが始まるので吉田、中村、田村、阿左見、吉川、小林の6人はそれぞれ入所した。22日からはカブコースに幾人か入所した。入所しなかった者は別のプログラムをしていた。
何日だったか記憶にないが、スカウトコースを出てからはもう、ジャンボリー行きの準備で連日多忙だった。ある日、夕方といいたいが、ここでは日没は9時半であるからまだ夕方という感じがしないが、6時頃、野営場の(スカウト用の)門のところで大声で呼ぶ者がある。その頃、日本のテントしか立っていないので、きっとわれわれを呼んでいるにちがいない。一体誰だろう? と思っているうちに誰だったか「あっ、Jだ、Jだ」という。そうか、たのんだ写真を持って来てくれたらしい――と、みんな気づいた。そこでこちらも大声で「よう、はいってきなさい」と叫ぶ者、「おいしいお茶があるよ――」と、いう者、だまって手をふる者、…。
ところがJ少年は、門の棚によりかかって手を左右にふって、「はいれない」と合図をするばかりである。
「なアーンだ。はいってくればよいのに――と、ぶつぶついいながら、二、三人駈けて門のところへ行った。
J少年は、たしかに、たのんだ写真の現像と焼き付けとを一括して大きな封筒に入れて持ってきてくれた。別の封筒には代金の勘定書とツリ銭がはいっていた。
「ありがとう――」と私たちは肩をたたいたり手を握ったりした。
ロンドンから汽車に乗って約30~40分、そして歩いてまた30~40分、わざわざ届けてくれたので、せめてお茶ぐらい接待しよう、と考えたから、私たちは、テントまで来ないか? とさそった。ところが、彼の返事は実に意外だった。
「君たちは、この門のわきの掲示板が見えないのですか? スカウト服でない者は入ってはいけない――と書いてあります。ぼくは、今日は銀行の帰りですのでスカウト服ではありません。だから、はいれません」
いかにも、それはギルウェルのキャンプチーフのかかげた掲示である。
「だってもうやがて日は暮れるし、ほかにだれもいないから、はいってもいいじゃないか」と、ある一人が笑いながらいうと、J少年は直立不動の姿勢で、
「ぼくらが作ったルールを、ぼくらで破れますか?」といいきった。
この一言に全く私たちは一発くらった。
「わるかった」と、口の中であやまり、頭をたれるほかなかったのである。
昔、ウォーターローの戦で、ナポレオンを破って世界の英雄となった英国のウエリントンは、その光栄につけあがって手のつけられない権力者になった。ある日、馬に乗り多くの従者をつれてロンドンから田舎へ出かけた。
そこにとても大きい牧場があった。牧場の外をぐるりとまわったのではとても時間がかかる。そこで彼は牧場の中をつききろうと一むちくれて馬を牧場に乗り入れた。すると1人の少年があらわれ、入ることならん、と両手をひろげた。ウエリントンは、馬上にふんぞりかえって
「おれを誰と思うか? ウエリントンだぞ!」と、どなった。「ウエリントンだろうと誰だろうと、ここを通ることはならん」少年の眼には怒りの光さえさした。「きさま、なまいきなやつだ。一体誰にたのまれてじゃまをするのか?」
「ぼくは番人です。牧場主のいいつけをただ忠実に守るだけです。」と答え、さらに一段と男らしく、「それが、ぼくのデューティーです。」と、直立して叫んだ。
ウエリントンは、そのけなげな少年の最後の言葉に打たれた。そして馬からおりて帽子をぬいでこの少年にあやまり、遠まわりして駒を進めた。
この話は、私が子供の時分、本で読んだ有名な話である。
今でも英国には、デューティーを果たす立派な少年がいることに私は感心した。
そんな思想は封建的だ――と、けなす人があるかもしれない。主人、主君、傭主、上長からのいいつけに盲従したり、虎の威をかりる狐みたいに権力者をカサに着て威張るならばそれは封建的であろう。
「わたしたちが作ったルールを、わたしが破れますか?!」という言葉には自主性がある。たとえそれは、ギルウェルの所長が作ったおきてなのであっても、結局スカウトが作ったのだからスカウトがこれを守ることは当
然である。おきてというもの、ルールというものは自分が作ったのではなくヒトが作って、押しつけるものだ、と考えるから交通規則も中々実行されない。そんな連中になると自分が作ったものだったら、誰にはばかるところなく、一層破り放題破ることだろう。
よい話というものは、今を去ること33年前の話でも、昨今の話のように、心によみがえり、心をうつものである。
(昭和37年1月17日 記)