8.忘れられない話(その1)
1929年の夏、私はギルウェルパークの第71期スカウトコースのクックー班に入所を許された。この班は何人いたのか記憶がないが、8人あるいは9人もいたかもしれない。なにしろ今を去る33年の昔のことである。
私以外は皆異国人だ。従って印象に残っている顔姿も少ししかない。ビルマの鉱泉会社の社員だという英人(この人の話が本稿の中心となる)と、消灯後1時間ぐらいベッドの上に端座して、お祈りをしていた若い清教徒の英人、すばしこく要領のいいデンマーク人、それにセイロンの黒光りするヒョウみたいな小柄の男(ネービスという名、この男の名前だけおぼえている)このほかにフランス人が一人いたようだ。あとは全然記憶にない。
ビルマから来た英人、仮にA君としておこう。この男は年令30代(当時、私も36才だった)中肉中ぜい。筋肉の頑丈さからみて私は軍人あがりだろうと思った。私はいつもこのA君とコンビになっていた。
炊事当番の時でもこの男と二人でした。彼は私を“Mura”とよんだ。私の苗字の後半だけをよぶわけ。入所第1日の夕食から二人は炊事係となった。A君は私に「ゲッツ、ムルキ!」と命じた。ムルキとは何か、
私にはわからない。ムルキとは何か? と聞くと、目をとび出させて私の顔をAはにらむ。スペルとたずねるとM、I、L、Kだという。なアーンだ、牛乳か…と私は彼をにらみかえした。そして牛乳を貰いに行った。英人は、iをUと発音し、aをアイと発音することに気づいた。
わがクックー班は、9日間のコースの内の6日間、連続優勝した。これは地の利と人の和のたまものであった。
みなよくやった。終わり頃、1泊の1級ハイクに出かけた。ギルウェルの方式によると班長、次長は毎日交代するが、1級ハイクの時だけ班の中の一番優秀な者が選ばれて班長をつとめることになっている。
A君がそれに選ばれた。次長は班長が自由に選任するのが英国のやり方だ。私はAから次長を命ぜられた。よし、ひとつ日本のよいところをみせてやろう、と私は承諾してAの手を握った。
ハイクのパトローリング隊形、これは英国流に非常にきびしい。各員がうっかり互いの間隔をつめると、班長はすぐ号笛を短奏して注意する。次長は一番先頭をきるので私は実に快心のよろこびを抱いた。地図と想定書を持ち、ぬけ目なくあたりを観察してサインとか異変を発見する。エピングの巨大な森の中を進むのである。
自分はこれまでに日本の中央実修所を3回と地方実修所を1回終了し、常設近畿地方実修所の副所長兼隊長であるし、大阪藩長である。少なくともハイキングについては人一倍やかましい奴だ。そこいらのヘッポコに負けてたまるもんか――と、自分勝手なことを考えながら、まてよ――向こうからバイクで来る男はスパイらしい。
観察また観察、腕時計で時刻を確かめてノートする。コースはエピングの森を北に向かうとみてとった。コンパスは最後の必要な時以外、見てはならないことになっているからだ。だいぶん歩いた時複雑な辻に来た。五辻になっているのだ。ふと見ると草むらの中に置手紙を見つけた。次長たるものが見のがしてなるものか! 駈けていって開封すると、「この五つ辻を北に進み約1マイル3/4の地点にある教会の尖塔にある風見車(注・ウエザーコック)を写生せよ」と書いてあった。
私はちょっと立ち止まって周囲に眼をくばった揚句、よし、この道だとばかり今来た道の延長線、すなわち方角をかえることなく五つ辻のまん中の道を選んだ。すると、うしろで班長が号笛を吹いて私に停止を命じ、片手信号で分岐点まで戻れという。
これは面白い! 彼の方位判断と私の判断との対決だ。ひとあわふかしてやろう、と、悠々と分岐点へ戻った。
班長は、「この道だ!」といって斜め右に行く道を示した。「スカウトは服従する」という英国のおきて第4に従って私は班長の命ずる方向に進んだ。
一面の森とジャングルとの中に作った舗装道路だ。私は分岐点を出る時、そっと時計を見ておいた。ここから1マイル3/4の地点か――教会々々と前方を見つめ、かつ、時計をしらべた。分岐点から10分、15分…来たのに教会らしいものが出てこない。18分になる。ピッ、また班長の笛だ。私はとまった。それみろ、と思って班長のところへとんでいって、ぼくの判断の通りだろう、こうなったら、このジャングルを左へまっすぐ横断すれば、必ず教会へ出られるからジャングルの中をもぐろう――と、私は班長の肩をたたいた。すると班長は大声で、「ノー」と叫び、「進路をあやまったら一旦分岐点まで戻るのがルールだ。戻ろう」という。私は不満だった。そんな手間をとらなくてもよろしい。自分のカンに狂いはないのだからジャングルの中をつっきろう、と云った。再び「ノー」と班長は叫び、次いで「命令だ」といって全員分岐点まで戻るよう命じた。
五辻に戻ると班長は、なにやらひとりごとを云いながらコンパスを出して、路上においた。私はすぐ、近づいてコンパスをのぞきこもうとした。チラと見ただけで私は自分の判断した方位が正しいことを見てとった。そのトタン、班長は私を抱くようにして約1メートルあまり私をコンパスから遠のけ、彼もその位置に直立したまま根気よくコンパスの針の静止するのを待つのである。
私は、はっきり「やられた!」と自覚した。英国のスカウトは、コンパスの見方を基本通り実に馬鹿正直に実行しているのだ。腰にはスカウトナイフだの金物など、コンパスに影響を与える鉄性のものがないとも限らない。
そんなことぐらい日本の2級スカウトでも充分知っている。知っていて実行しない。これが日本人の欠点だ、と私は自責した。
結果的には私の方位判断が彼にすぐれていた。その証拠に教会のウエザーコックを発見してスケッチをした。
その地点は、さきに誤って進んだ道からジャングルをぬければ、今までかかった時間の3分の1ぐらいの短い時間で教会が見えたであろう。
日本のスカウトならおそらく10人中、8人か9人までは、私のようにジャングルをぬけて近道を選ぶであろうが、馬鹿正直と笑えば笑え、ルールに忠実であり、B-Pに誠実なスカウトは、単に英人に限らず、わざわざ分岐点まで戻って、正しいコンパスの使用法を実行して私心のないスカウティングを実践するだろう。私は一生の教訓を受けた。このハイキングにも、わが班は優勝したが、その印象よりもこの教訓の方が、うれしかった。
ある朝、A君と私は2度目の炊事当番になった。今はないそうだが、その頃のコースには料理法のテキストが備えてあった。
「玉子を班の人数分だけデキシー(鍋の名)に入れ水を入れて火に15分間かけること」なアーンだ、玉子をゆでるのか、と私は思った。幸か不幸か連日上天気で薪はよくかわいている。土もかわいている。火はどんどんもえた。マッチ1本で点火できた。まもなく鍋の中はふっとうしたらしく玉子が音をたて湯気はぷっ、ぷっと、鍋のふたをつきあげてきたので、私は鍋を火からおろそうとした。
するとAは腕時計を見ながら「ノー、ノー」と連発した。次の言葉は「あと27秒ある」という。私は驚きかつあきれ、同時に感心した。あとで私は、15分というのは標準だよ、快晴の夏の野天で、あんなに火勢が強いときは14分でも13分でも出来あがると思う、というと、彼は、「それは、わかっている。けれどもルールはルール、命令は命令だ。」とうそぶいた。いったい、どっちが本当のスカウト的なんだろう、と私は今でも考えさせられることがあるが、Aのいうことはやはり正しいと思う。
基本を学ぶ者の姿は馬鹿正直でなくてはならない。誠実こそ「基本の基本」だと思う。日本人は特有のカンにたよる傾向があり、その上、結果だけを考えて、方法を正規にふまず、はやまくで要領よくこなす癖がある。これではモノは出来ても人間は出来ない。
(昭和37年1月13日 記)