6.隊長がエライか? 地区委員がエライか?
近頃“逆コース”という言葉が流行する。
弁証法的にいえば、これは進歩への一つの必然なプロセスで、時計の振子が右に動いたのが次に左に振るのと同じ運動であって、右から見れば左するのが逆コースであり、左から見れば右するのが逆コースとなる。だからどっちみちこれは相対的な見方で、いつの世にも逆コースはあるわけだし、これが進歩の運動法則なのだ。
そこで、逆コース必ずしも逆ならず――と、いいはることも出来る。そして、この逆コースがもしなかったら、万有は停止し死滅するともいえる。バランスをとる貴重なる運動なのである。そして進歩とは、よりよきバランスの向上ともいえよう。
水無月というのに、梅雨でこれでは水有月ではないか? と思うだろうが、新暦と旧暦とのズレからこんな疑問がでるのだ。水無月は6月にちがいないが、それは旧暦の6月で、新暦では7~8月頃にあたる。五月雨(さみだれ)というのが新暦6月の梅雨に相当する。
こんなことをなぜ書くのかというと、今の日本人、特にアプレゲールたちは、モノの本来のワケを知らないで、いろいろの現象、実体を独断的に判断して、幾多の誤りを犯し、自分自身、自家矛盾を作って、あるものは、他人をつるしあげて威張り、あるものは悲観して自殺する例が少なくないからである。この種の“逆コース”を本末テントウ型と名づける。大戦とその敗戦、それにつづく占領治下の十年間、日本の過去と現在とは、まっぷたつに切断されたので、どこか血の通わない部分が出来たため、モノの考え方が断層的になったせいである。
だが、それだけが原因ではない。明治時代の急速な文物輸入と、いわゆる先進国の仲間入りをあせった結果から来る、消化不良の固疾が今では慢性になって、こいつが第二の原因になっている。
『多数決だから、それはよいことにきまっている!』と、いう頭も、この病気のせいである。『そのことがよいから、多数の者が賛成するのだ!』この方が正解であり、真理である。しかるに多数決は常に正しいという逆コース的判断は本末テントウ型で誠に困ったものだ。このような逆コースは、決して進歩をもたらさない。衆をたのんで『真理』をおおいかくすもので、政治では多数党横暴となり、経済面、社会面ではいろいろの闘争を起こし、結局『勝った者の天下』という勝敗世界に日本を陥れる。いつになったら真理日本が現出出来るか? すこぶるなさけない。
隊長がエライか? 地区委員がエライか?
エヴァンソン氏著『地区運営』(Evenson:“District Operation”)の14ページに隊長が隊長本来の任務を忘れて、地区委員の仲間入りをして行政面にタッチすることを得意とし、自分の身分が何階級も上昇してスカウトのオエラ方の仲間入りをしたかのように考えるのはとんでもないことだ――とボエンを喰わしている。
そして『彼(隊長のこと)は、スカウティングの中の単位隊指導者に、既になっていることを忘れているのだ! 彼は多くのスカウターの中の最高の階級に彼がなっていることを知らなかったのだ!』と警告している。
この隊長最高論には私も大いに共鳴する。さきに、万年隊長論を書いたのも、表現の仕方は違うが、エヴァンソンの心境と同じ所意にもとづいている。地区の委員や、コミッショナー、県連の理事やコミッショナーなどが、隊長よりエライという考え方、隊長からそれらの職に転ずることは、栄進であるとみる考え方には私は大反対である。地区県連のそうした人々の側でも、隊長よりオレの方が上役でエライと、もし考えるならば、とんでもないくわせ者である。かかる本末テントウ的逆コースは是正されねばならない。
私は思う――隊長以外のスカウター全ては、ことごとく、隊長への奉仕者助言者であると。エヴァンソンは、県連はスカウティングに奉仕する『まかない方』だといっている。或いは車掌さんである。乗客は隊長である。
総長を始めとした理事長、理事、局長等々は、皆隊長に奉仕するために存在している。
ただし、私は隊長諸君にも申し上げたい。もし君は1級はおろか2級の指導も出来ないようなら、一人前の隊長でスカウターの最高位だ――と、うぬぼれないこと。一人前の隊長とは、少なくとも10人の1級、30人の2級を作りあげてから言い得るのではあるまいか?
それだけではない。B-Pの意図に即するとおり、本当に班制度を活用しているか? 或いは今はまだ年月浅くしてそこまで到達しないけれども、そうする努力に人並み以上励んでおり、基礎だけは出来た――と、いうのなら。
隊長より地区委員の方がエライ、地区委員より、県連理事の方がエライ、理事長はその中でもエライ、日本連盟の理事は、それよりエライ…というような考え方が、もし実在するならば、それは二つの大きなミステークがある。それは
1.地区を通じて、県連なるものは隊の連合組織だと誤り考えているためである。
県連は決して師団司令部や総本部ではない。日連も然り。むしろ、県連、地区は加盟育成団体の要請によってスカウティングを、大成せしめるため隊長たちに協力する奉仕後援連合会なのだ。
2.委員とか理事とかいう個人には執行力も何もない。
委員会とか理事会とかいう機関にはそれはある。彼等一人一人の個人は、単にその会のメンバー(一員)たるにすぎぬ。個人の彼がその会(委員会、理事会等々)から業務執行を委託されて、その会としての仕事を行う場合の彼は公人であろうし、当然業務を行う権利義務をもつが、そうでない場合、彼は単なる個人である。外国語には委員とか理事とかいう言葉は委員会のメンバーと表現している。機関とそのメンバー、公人と私人の立場をはっきりしている。隊委員会(団委員会)なども同様である。こういうことがハッキリわからず委員だから理事だから、議員だから、代議士だから――エライ特権がある、と考えるあいだ日本のデモクラシーは、半熟である。
今やハイキングの好季節である。
アメリカの本を見ると、隊委員会は、その隊の全ての少年に、年間少なくとも十日十夜のハイキングと、キャンピングをさせることを義務づけているようだ。(ただし、そのハイキングとはどこかでやっているような、お弁当持って、毎日曜江ノ島に遊びにゆくようなとはちがう。)
2級訓練は主にハイキングで、そして1級訓練は主としてキャンピングで――という通念に従えば、今や2級と1級訓練の好機である。
各隊とも、この機を逸せず少なくとも5人の2級1人の1級を作ってほしい。32人の一隊で2級は少なくとも10人欲しい。それは、
1.班が4つとして班長として4人。
2.カブ隊が生まれるとして4組のデンチーフとして4人(6組――最大限――なら6人)
3.あとの2人は他の任務に
2級がたくさん出来ないと班別制度の充実に、進級制度の操作に、技能章課程の実施に、ひいてはシニアースカウトのプログラム展開に、そしてカブスカウトの組織に一大支障を来すのである。
2級がたくさん出来るか出来ないかは、スカウティングの死命を決するヤマである。
(昭和27年6月5日 記)