3.偉大なる自発活動
B-P祭を迎えるこの日、私は“おきて”を厳しく自分に深めねばならない。次の話は、イギリス連盟発行の“ザ・スカウト”(週刊誌)の1955年11月4日刊行の誌上に主筆のハゼルウッド氏(Rex Hajelwood)が執筆したものによる。それは僅か10才のカブ、ロバート・マックリントック少年(Robert Maclintock)の行なった偉大なる自発活動ぶりについてである。1916年発生したウルフ・カブの運動は今年まさに40年を迎えるので6月16日から24日までギルウェルパークで記念行事が行われる由であるが、私はこの佳話を広く日本のスカウト兄弟に伝え、もってこの祝福の言葉にいたしたい。
1955年9月17日、ハゼルウッド氏は北部アイルランドに旅した。同夜は、Larne でのオールド・ウルブスの集会に臨席し、夜遅く45里の道をBallycastle に引き返し、80人の班長たちと会合で歌い語って1泊したのは23時20分であった。海岸であるこの地方はその夜、雨雲低くたれて恐ろしい風で海は荒れていた。
翌日、朝早く一少年の勇敢な人命救助の話で皆は夢を破られた。その行動に力をかしたトメルティ(Peter Fomely)というビッコの男の話によると、――「私は防波堤の終点にある小店に立っていました。その時、波は大体50尺位の高さで防波堤を乗り越えぶちあたっていました。そして2人の男の大人と2人の少年が、波にさらわれて港の中へ流されているのを見ました。
一人の少年がエビの壷をしっかり持っている。私は防波堤を大急ぎで走って救命帯の置場へ行きました。長いロープをみつけて、その少年(その少年はギルバート・ハミル Gilbert Hamill)の方へ投げました。彼は大波のてっぺんに乗っていたところです。不幸にしてロープは流されたので、もう駄目だと思いました。すると、ロバート・マックリントック君が反対側からその大荒れの海中にとび込んだのです。
ハミルをつかまえようと泳いだ。やっと彼の腕をつかまえて救命帯の方へと泳いだが、一度は腕がはなれてハミルは海中に深く沈みました。だがロバートは再び彼を捕えてとうとう救命帯まで着き、もがきにもがいてハミルの身体に救命帯をとりつけたのです。それで私と他の人とで岸へ引き上げました。岸へ上がるとロバートは、もう一人大人が助けを呼んでいるから僕はすぐひきかえす、というのです。
私たちは、こんなに荒れているので行ったってもう遅い、と止めましたが彼はいうことをきかずあばれました。ボートを出すことも出来ないほどの大シケで、その上、真っ暗でした。何しろ、10才の子供でしょう。私はこんな勇敢な子供を見たことがありません。」
Ballycastle 在住の隊長の談、そして助けられたハミル少年の感謝の言葉が載っているがこれは省略する。
ロバートは、イギリスの総長から、ブロンズ・クロス(青銅十字章)を授けられた。これは自分の危険をかえりみないで人命を救ったものに与えられるものである。
この話は、これで終わったのではない。ロバート家では、子供は暗くならないうちに家に帰るように、というさだめがある。その晩、暗くなってもロバートが帰ってこないので、父と母とは、彼が帰ったら叱らねばならんと話し合っていた。夜8時になっても帰ってこない。8時30分に帰ってきたので両親から大いに叱られ、まっすぐ寝床にはいるよう命ぜられた。それで、彼はこの事件については一言も親にいわず神妙に床についたのであった。
父母が、ロバートの勇敢な行為を知ったのは翌朝、近所の人々が、ロバートは元気かどうか見舞いに来てくれた時であった。恐らく親たちは、びっくり仰天してロバートのベッドへ駆けつけて、昨夜の出来事を息をはずませて尋ねたことだろうと想像される。
ロバートは実にいい少年である。彼は、罰からのがれようとはしなかった。完全に叱られ、完全に誉められた。
罰は罰、賞は賞。ハゼルウッド氏は、こう書いている。B-Pは、こういう立派な少年を世に出そうとして心血を注いだのだ。大人でも負けるロバートの偉大な自発活動よ! 私はこれを読んで、12のおきてをゆっくり口の中で唱えた。ロバート君に感謝をささげて…。
B-P祭の劇に脚色いかが?
(昭和31年2月13日 記)